細野晴臣さんはYMOで「無我」の音楽を表現~YMOは宗教バンド

YMOの細野晴臣さんは無我を音楽で表現しようとした

さて今日はYMOの話しでも。
YMOは、リーダーの細野晴臣さんが結成した昭和の時代を飾ったテクノバンドですね。

が、YMOは密教僧になれなかったリーダ細野晴臣さんによる「宗教バンド」。仏教の「無我」を音楽で表現しようとした「宗教バンド」。それがYMO。
ということなんですね。

こうしたことを指摘している方は、寡聞にして知らないのですが、YMO結成前後における細野晴臣さんの動きを追っていきますと、そう思わざるを得ないんですね。

ただ、こうした考察は、スピリチュアルや宗教に深く入り込んでいる人でないと気づかないかもしれません。

しかし、この辺りを掘り下げていただくと、「人生」「生き様」「人間の究極の目的」といった深遠なる番組作りもできると思うんですよね。

てか、誰かユーチュバーが出現して作ってくださるといいんですけどね^^; ちなみに、もしも番組を作る際、この記事の考察をパクってもいいですからね(笑) どうぞ、ご自由に。

で、以下、説明です。「スピリチュアルでしか読み解けないYMO」です^^; 長文です。

YMOのリーダー細野晴臣さんは密教の僧侶になりたかった

YMOを結成したリーダーの細野晴臣さんは、空海にあこがれていて、78年当時、密教の僧侶になるか(高野山へ行くか)、YMOをやるかどちらにするか迷っていたんですね。


引用先:Amazon

このことは、中沢新一さんの「惑星の風景」で細野さんが語っています。

このことは以前、記事にもしてあります。こちらですね。
⇒細野晴臣氏はYMOと密教の僧侶の選択に悩んでいた

で、迷った末、細野さんは、音楽(YMO)をすることに決めたようです。

ちなみに細野さんは、この当時、空海にあこがれていただけでなく、スピリチュアル全般に首ったけだったんですね。

密教、ヨガ、超能力、UFO、超心理学、オカルトにものすごく興味を抱いて、グルも探していました。自分を導いてくれるグルを探していたほどです。

このことは「地平線の階段 (1979年)」に書いてあります。これを読めば、細野さんが、当時、渇望とも言えるくらいに、精神世界に何かを求め探していたことが大変よくわかります。

細野さんは、当時は、求道者だったんですね。今の言葉でいえば、「ガチなスピリチュアリスト」だったわけです。

しかし僧侶は不向きと悟ってYMO結成を決意

細野さんは、「自分は宗教家になれないので、音楽で宗教を表現することにした」ということを言っているんですね。密教の僧侶になりたかったのは、本気だったようです。

しかし、「音楽しかできない」と悟った細野さんは、ドイツのタンジェリン・ドリームに刺激を受けてYMO結成に至ったと述べています

ちなみに、YMOを結成することを打ち出したのが、1978年2月19日。坂本龍一と高橋ユキヒロを自宅に招いて、イエロー・マジック・オーケストラの構想を打ち明けています。

で、合意。
YMO誕生です。
2月19日は「YMO」の日だったりします^^;

YMO結成直後にUFOを目撃した細野晴臣さん

YMO結成を果たした直後の1978年4月2日。この日から3週間、細野さんは、横尾忠則氏と一緒にインド旅行へ出かけます。で、おもいっきりスピリチュアルな旅をするんですね^^; 詳細は後述。

細野さんが、この当時、ガチなスピリチュアリストだったことは先述の通りですが、横尾忠則氏も、禅やUFOに大変な興味を抱いていたんですね。実際、禅やUFO本も出版しています。

なので、この二人が一緒に旅行に行くのは、スピリチュアルな旅が目的なんですね。

で!このインド旅行で、細野さんはUFOを目撃します。
コチンに行ったときです。
1978年4月13日。
コチンのマラバルホテルに宿泊した夜。

ホテルで横尾さんと一緒にUFO観測していたようです。ミルクティーを飲みながら。

で、横尾さんが「円盤呼ぼうよ」と提案。
で、「月」に向かってテレパシーを送ったといいます。1時間くらい想念伝達をしたそうです。

すると、突然UFOが!
月の下にUFOが現れたといいます。
テレパシーに応えて!

UFOは、月の下に光る物体の点となって現れ、右に移動し、その後、スーッと上に上昇して消えたといいます。

で、細野さんは興奮して絶叫。
で、横尾さんも手を合わせて「ありがとうございました!」と合掌。

インド旅行のとき、こういうUFO目撃談があったといいます。このことは、1978年「UFOと宇宙」8月号(ユニバース出版社)にあります。

haruomi hosono 1978
http://www7.plala.or.jp/keeplistening/1978-1.html

インドのコチンでUFOを目撃してアルバム「コチンの月(UFO)」を発表

ちなみにインドのコチンでUFOを目撃したことにインスパイアされて、約4ケ月後の8月6日からレコーディングに入って、約1ケ月半の9月21日に「コチンの月」というアルバムを出します。

で、もうおわかりですよね。「コチンの月」とは、「UFO」のことなんです。

インドのコチンで、夜、「月」に向かってテレパシーを送ったところUFOが現れたものの、控えめに「月」としたのかもしれません。しかし本当は「コチンのUFO」なんですよ^^;

このアルバムには、細野さんのUFOをはじめとしたスピリチュアリティが込められているわけですね。

ただ、惜しむらくは、本心をストレートに出さなかったことですね。まあ、当時の時代情勢もあったと思います。出しにくかったんでしょう。

周囲には精神世界をきちんと理解してくれる人も少なかったというのもあったと思いますね。不用意に言えば、茶化されたり、からかわれたりして面倒なことになる。

なので本心本音は、自分の胸にしまい続けて、メディアでは全容を語ることをしなかったのではないかと思います。

唯一、理解できそうなのが横尾忠則氏。しかし、その横尾さんはYMOに参加してくれなかった。

細野さんの本心は隠されたままの精神世界を下地に置いた宗教バンドYMOは、スタートしたんだと思います。

ご本人は照れや古傷に触らないでといって嫌な顔をされるかもしれませんが、いえいえ、とても素敵なことだと思いますね。

YMO結成直後、UFOを目撃して、それを音楽にする。すっごく素敵ですよ。

で、その後のYMOを理解するために欠かせない、すっごく象徴的な出来事です。

「コチンの月」と並行してYMOのファーストアルバムをレコーディング

ちなみに「コチンの月」のレコーディングに入る1ケ月前の7月10日からYMOのファーストアルバムのレコーディングが始まっています。

インドでUFOを見た直後の7月にYMOのレコーディングですよ。で、その1ケ月後の8月から、細野さんのアルバム「コチンの月」のレコーディング。

並行してたんですね。スピリチュアルモード全開の時期です。

YMOは細野さんの宗教表現だった「宗教バンド」

細野さんがYMOにスピリチュアル性や宗教性をダブらせたくなる気持ちは、こうした点からもわかりますよね。

  • 細野さんは密教のお坊さんになりたかった。
  • が、自分にはできないと思って諦めてYMO結成を決意。
  • が、その直後、インドのコチンで月の下に現れたUFOを目撃。
  • その体験の直後、YMOと「コチンの月」のレコーディング。
  • で、同年、YMOのファーストアルバムと「コチンの月」を発表。

時系列を整理すると、細野さんの心の中が垣間見て取れますね。

そもそも宗教やスピリチュアルに興味を抱いている人が神秘的な体験をした場合、その後の人生観に色濃く影響を与えるものです。そういうもんなんです。必ず影響を与えます。

インドでUFOを目撃したこと、テレパシーに応じてUFOが登場したというスピリチュアルな体験。

こうした体験は、その人に、ある種の使命感や、スピリチュアルな思いを強め、その人をより一層、スピリチュアルな人生へ後押しします。

細野さんの中に、宗教(密教)を音楽で表現することへの希求心がますます高まったのは、当然といいますか、必然でしょう。

YMOは、細野さんの「宗教表現」だったことは明らかなんですね。

高野山で密教の僧侶はできない代わりに「宗教(仏教)を音楽で表現する」という考えに至るのは納得できます。至極当然なことです。

また、その後の、あのエキセントリックなYMOを見れば、細野さんの根底には「宗教性」があったことがわかります。

YMOは、細野さんのその思いを形にしようとした「宗教バンド」というのが本質でしょう。

そんな細野さんの思いが根底ありましたので、YMOファンの中には、宗教関係者、スピリチュアル好き、オカルト好き、心理学好き、哲学好きなど、心の奥底を見つめることを好む人が多かったんだと思いますね。

また、そういう素養のある人達が、深い意識を見つめることを好む人達が、磁石のように惹きつけられたんだと思います。

細野さんは音楽で「無我」を表現しようとした

で、細野さんは、仏教(密教)における「無我」を、音楽(YMO)で表現しようとしたんじゃないかと思うわけですね。

ただそれは、「無我」を音楽で表現するだけでなく、ファッションなどでも「無我」的なものを表現しようとしたんだと思います。

たとえば、YMOのコンセプトの一つであった「匿名性」。これなんかズバリ「無我」的です。

当時、細野さんは、ニューミュージック・マガジン(1978年10月号)において

バンドのみんなが集まって、しかもコンユーターとかシンセサイザーみたいな、それ自体が人間の顔を持たないようなものが音楽を作っていってとりあえず何かを創りたかったというと、ぼくの顔の出てこない音楽なんですね。」

と語っています。

匿名性。明らかに「匿名性」を前に出そうとしていることがわかります。

匿名性とは「個を消す」。
つまり文字通りの「無我」です。
音楽的には、まさに電子音楽を多用した「テクノ」。

  • 人間臭さを排したコンピュータとシンセサイザーによる演奏。
  • 正確無比なリズム。
  • 繰り返すシーケンシャル・フレーズのパターン。
  • バッハにみられるバロック時代の宗教音楽そのもの。⇒たとえばBWV 540
  • 笑顔のない「無表情」さ。
  • 画一的な服装(人民服)。
  • クラフトワークのようなロボット・スタイル。

すべて「個我」を消し去ったものばかり。
「無我」。
人間臭さを消し去ろうとしたわけですね。
で、これが細野流の仏教解釈の「無我」。
文字通りの解釈の「無我」。

ステージ上の細野さんは、おそらく密教僧のような心境だったんじゃないかと思います。

観念的で誤解した「無我」の行き先は妖魔を経た「死」

しかし細野流の「無我」は、ありがちな誤解した「無我」だったんですね。観念で解釈した「無我」。枯れ木のように寂滅した「無我」。体験が無い、虚無としての「無我」です。

で、この誤解した「無我」の結果が、YMOのあの「無機質」さであり、ハートを欠如した「クール」さだったわけです。

「つかみどろこの無いYMO」と評されるようですが、それもそのはず。「無我」を音楽で表現しようとしたからですね。

しかし観念的な「無我」は、必ず「妖魔」へ、「死」へと向かいます。事実、BGM、テクノデリックは妖魔めいたものが多い^^; テクノデリックに至っては魔界でしょう。

誤解した観念的「無我」が行き着く先は決まっています。YMOもちゃんと予定調和的に行くべき所に到着しているわけですね。

それは「死」です。
終わり。
終焉。

散解。

結成から5年後の1983年にYMOは解散。

お約束通りに、誤解した観念的な「無我」の着地点である「死」にたどり着いています。

無我を体験した新手の宗教バンドが登場する

もし、細野さんが本当の「無我」がわかっていたなら、YMOは、神々しい音楽を生み出す「宗教バンド」になっていたと思いますね。

「空即是色」としてのYMOです。空前絶後の神曲を世に出しまくったことでしょう。

で、これこそがYMOが成し遂げることができなかったことでしょう。次のYMO的なバンドに託された「託された課題」というのは、恰好付けすぎた言い方かもしれませんが、今の時代の流れ、様子を見ていますと、神々しいバンドが出現するんじゃないかと思います。

無我を、宇宙意識を体験した人達による新手の「宗教バンド」「スピリチュアルバンド」が、登場してくるんじゃないかと読んでいます。

YMO解散の知られざる真相

ところで、細野さんは、たぶん坂本・高橋両氏に、自分の本心は打ち明けないままYMO結成にこぎつけたんじゃないかと思います。

しかし、途中で、坂本氏がこれに気づき、発覚。

坂本氏は、宗教を否定する政治思想を持っていますので、これがために、二人の間には修復困難な溝が生まれ、最悪の人間関係になったのではないかと。

観念的な「無我」の解釈に加えて、坂本氏の政治思想との対立。そして「死」を迎える。散解。

これは推測ですけどね。当たらずとも遠からずかもしれません。

名盤ドキュメント YMO ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

それで2019年1月2日、22:30からNHKBSで放送された「名盤ドキュメント「YMO“ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”」世界震撼!テクノポップの衝撃
http://amass.jp/115378/

NHKドキュメンタリーです。
おもしろかったですね!
音源の蔵出しを通してYMOを語る番組。

YMOのことがまとまって紹介もされています。

おもしろかった!
素晴らしい。

で、出演者がこれまたよかった。
・鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)
・石野卓球(電気グルーヴ)
・いとうせいこう
・川添象郎
・砂原良徳
・高田漣
・中沢新一
・松武秀樹
・森山公稀(odol)
・山口一郎(サカナクション)
・横尾忠則
・吉沢典夫

YMOの歴史を語るに最適な面々です。

で、番組ではトラックダウン前の24トラックテープを紹介。感涙&鳥肌ものでした。

ごいすー。
エンジニアの吉沢典夫氏も出演。
YMOの紹介もまとまっています。

こうして聴くと、YMOってやっぱりすごいよな、と思いますね。今聴いても、恰好いいですしね。

メンバーもさることながら、YMOを取り巻く人達が、これまたその世界ではトップクラスの音楽家、芸術家、文化人ですからね。

横尾忠則氏も、実は4人目のメンバーだったんですね。ところが、YMO結成の記者会見の当日、気分が乗らないとかだったのかな、参加できなくなり、それでYMOは3人構成になったという話し。

しかし、ここまで奥まったところを追求してくれるなら、もっともっと深層に迫って欲しかったですね。

「今だから語ることができるYMOの真実」とかやっていただきたかったなあ。

で、YMOの真実。
そんなことを書いてみました。

YMOは今聴いてもやっぱりすごい

で、音楽的には、YMOはすごいんですよね。
本当にすごいと思います。

が、YMOは、そんな細野さんの「宗教(仏教の無我)」を抜きにしては、考察できなんじゃないかな、なんて思っています。

ま、「ポストモダン」と言う向きもありますが、そんな気取った言葉を使うまでもなく、細野さんの経緯を検証すれば、もっとシンプルに「無我」ということが浮き上がってまいります。

で、YMOは80年代に大ヒットしましたが、音楽的には、当時アメリカでもヒットしていたジョルジオ・モルダーですね。

ジョルジオ・モルダーの音楽を、日本人流に換骨奪胎したものに聞こえます。

で、YMOは、コーラスやフランジャーといったステレオ・ディメンジョンを多用したサウンド主体の音楽の走りなんですね。

これが当時は、斬新。
刺激的。

で、トラックダウン前の24トラックテープがいいですね。CDには入っていないトラックもあります。ごいすー^^;

CDで埋もれている音も一音一音聴くことができます。
おもしれー^^;

「テクノポリス」のサビで流れるシーケンシャル・フレーズは坂本さんの手弾きだったとは初見です。

「根性のBRIDGE」であると^^; この音は「KORG PS3100」っぽい音ですね。フィルターのかかりがキュンキュン言ってますのでコルグっぽいです。

しかし、こうして聞けるのはおもしろい^^;

ビハインド・ザマスクでカットされたと言っている「ヴォコーダーの笑い声」は、アルバムに入っていますね。ものすごく小さい音で、イントロに入っています。音が小さいので、聞き逃しやすかったりします。

宗教バンドYMOのバトンは今も宙をさまよっている

そんなわけですが、YMOは、細野さんの「宗教バンドだった」という話しですね。

密教僧になれなかった代わりに、YMOをしようと決心し、その直後、インドでUFOを目撃するといったスピリチュルな体験をした細野晴臣さん。音楽で宗教(仏教)を表現しようとしたことは明らかです。

しかし、無我の解釈が観念的であったため、到着点が「死」になってしまい、ネガティブな意識を表現する作風にもなってしまっています。

ちなみに細野さんは、YMO解散後、神道家の金井南龍とも活動します。⇒金井南龍とは

この先、細野さんができなかったことを成し遂げる人が、バンドを組んで登場するんじゃないかと思いますね。「無我」を体験した人による音楽表現です。

YMOができなかった宗教性は、次にバトンされないまま、今もアストラル空間の宙をさまよっています。

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