映画「のぼうの城」を見た感想
以前、近くのTOHOシネマのレイトショーで、「のぼうの城」を見ました。
知人から「おもしろい」と言われていたので、満を持して?いってきました。
うむ、確かに面白い!
これはものすごくおもしろい!
いやあ、また行ってみたくなります。
「のぼうの城」の話しの元は、実際にあったといいますね。
まったく予備知識もなく見たのですが、戦国時代、豊臣秀吉が覇権を狙い、全国制覇をする中、関東地方に進出し、関東一円を配下に治めようとするところから物語は始まります。
まあ、当時の関東では、北条家が制覇していたのですが、豊臣秀吉は、これを討って制圧しようと目論んでいたわけですね。
その北条家が統括する関東勢の中に、埼玉県にあった「忍城(おしじょう)」での話しが元になっているといいます。
のぼうの城とは忍城のこと
「忍城(おしじょう)」。
まったく聞いたことが無かったですね。
また豊臣勢が率いる成田三成ら2万の兵力に対して、忍城(おしじょう)ではわずか500の兵力で闘い、実質的には勝利したという史実も初耳でした。
まあ映画となれば、脚色もされて、おもしろおかしくエピソードの作られますが、映画の通りの史実があったのかどうか、気になってしまいました。
そこでネットで軽くリサーチ。
便利な時代ですね。
歴史ものなどアウトラインは大体わかります。
調べてみると、どうやら映画のアウトラインは史実の通りのようです。
これは驚きました。
こういう歴史が、人知れずあったことは驚きと、こういう史実を世の中に公開してくださることはありがたいものです。
成田長親の人間性
「のぼうの城」の元とななった埼玉県行田市にあった「忍城」。「忍の浮き城」と言われていました。
この名称は、水攻めにあったものの陥落しなかったことに由来しているといいます。
しかし総勢500人の兵力で、20000人の成田勢に立ち向かう成田長親の剛胆さの秘密を知りたくもなります。
どういう理由で、こういう無茶なことを行い、負けることが無かったのか。
映画では、成田長親が民を思う気持ちと、強い者が弱い者を平伏せさせ、才知ある者が才無き者を屈服させることは曲がったことで、こういう曲がったことがまかり通るのは「ワシは嫌じゃ!」という理由で、成田三成を戦うことを決しています。
本当なのでしょうかね。
もしも本当であれば名君です。
人物ですね。
素晴らしい。
力ある者に対しても、筋が通っていなければ屈服せず、むしろ異議を唱えるこの気概が美しい。
時は戦国時代ですので、戦う所業をせざるを得ない時代だとしても、成田長親のこの気概だけを見れば美しい。
現代ではさじずめ、列強のアメリカのようです。
結局、イラクには大量破壊兵器はありませんでしたが、まるで所有していたかのように武力攻撃をしてしまっています。
日本も戦後、アメリカの事実上の隷属となり、経済的にも無理を強いられてきた歴史もあります。
しかし成田長親のように、屈すること無く、己の領国の民の幸せを願い、筋を通す生き方こそ「国士」であると。
時期的にみて「のぼうの城」は格好の時期に上映されたな、と思ったりもします。
映画と史実では異なる成田長親の人物像
ですが調べてみると、映画で演じられる成田長親と、史実の成田長親とはかなりの違いがある感じです。
映画では、頭のてっぺんから裏声を出すような気が頭にあがった人物設定です。
が、史実の成田長親はドンと腹のすわった「腹の人」のようです。
実際の成田長親は、のそーっとした人で、まさに「でくのぼう」です。そこから「のぼう」というあだ名が付いた程だといいます。
いわゆる「腹の人」ですね。
大人物に多いタイプです。
この腹の人は、滅多に怒ることがなく、部下思いで子供好きな人も多く、人望の厚い人になります。
映画の成田長親と、史実の成田長親とは違うということで、納得ですね。
成田長親は民から愛される人だった
本当の成田長親は、民から愛される名君タイプです。こういう方は現代にも多くいます。
ですが一見すると、愚鈍に見えたり、子供っぽく見えて、軽々しく扱われることも多いものです。
腹の人なので、怒ることがないため、ますます人から見下げられ、軽んじられるようになります。
しかしハートはともて温かい方なんですね。
「でくのぼう」タイプは、異様な幸運に巡り会うことも多い傾向もあります。
「項羽と劉邦」という中国の歴史小説もありますが、劉邦というのが無才で愚鈍のような男だったといいます。
三国志の劉備元徳もそうですね。
愚才やでくのぼうにみえるタイプです。
しかし、こういった人こそが、人々からも愛される、いわゆる「徳がある人」なのでしょう。
修行が進むと「でくのぼう」になる?
ちなみに仏教の修行が進んでいくと、こういう「でくのぼう」のような人間になっていくようです。
経典にもあります。
「壊れたドラのように動じない」と。
実は、史実としての(この映画ではない)成田長親のような「でくのぼう」タイプは、人間として理想な姿の一つだったりもします。
映画では、ニューハーフのような線の細い頭に気が上がったタイプに描写されていますが、これはアンバランスな人物で、真似てはならないタイプです。
テレビが見せる役者は精神的に悪影響を及ぼす?
最近はテレビにも、こういう頭に気が上がったタレントが多い感じです。
これは本当によくない風潮ですね。
テレビがよくないと思うのは、こういうお手本にしてなならない人物が出て、影響を及ぼしていることです。これでは「人物」が育たなくなります。
まして子供の頃から、こういうタレントを見て、影響を受けて育つと、気の巡りがおかしくなりますので、大人になってもキレやすくなったり、情緒不安定になる心配があります。
テレビを見ることに感心できないのは、身体のメカニズムにも悪影響を及ぼすからです。
史実の成田長親は、たぶん「腹の人」だったと思われ、こういうタイプは理想形の一つとなるでしょう。
ですが映画では、史実通りの「腹の人」としての成田長親であったら観客はたぶん退屈してしまって、昔ながらの間延びした歴史映画になったでしょう。
これを恐れて、あえてニューハーフのようなアンバランスな人としての人物設定にしたのでしょう。
野村萬斎の身体の柔軟性も見所
それにしても、映画を見て終わった後に知ったのですが、成田長親を演じていたのが野村萬斎だったと。
ああ、どうりで「田楽の舞」とかの体の動きが抜群に綺麗だったのかと納得しました。
成田長親を演じている俳優、どっかで見たことがあったが、誰だったけな?とずっと思っていたのですが、野村萬斎と知って、なるほど、と。
野村萬斎の体の動きは能そのもの。
素晴らしい身体の柔軟性と美しい動きに、関心しながらスクリーンに魅入ったものでした。
体幹の発達した素晴らしい役者ですね。
史実とは違う人物設定が少々気になりますが、それでも見応えたっぷり。
歴史を通して深く考察もさせてくれる「のぼうの城」、おすすめの映画ですね。