細野晴臣さん密教の僧侶になろうとしていた
通の間ではわりと有名な話しですが、元YMOの細野晴臣さんは、高野山で修行し得度して、密教の僧侶になりたかったといいます。
YMO結成する際「これ(音楽・YMO)でダメなら密教の僧侶になろう」としたといいます。
中沢新一「惑星の風景」これからはじまる音楽のために
このことは、中沢新一さんの「惑星の風景」の「これからはじまる音楽のために」という章の細野さんとの対談にあります。
ここには、細野さんの本気度が語れています。
ちょっと紹介してみましょう。
細野 実はインドに行った当時もYMOをやるか、高野山へ行くか、真剣に考えていたんです。
中沢 お坊さんになろうと? 僕もチベットでお坊さんになろうと本気で思ったことがありましたが、それは長い付き合いの中で初めて聞きました。
細野 でしょう。あまり言ったことないですから。こういうところだから言える。それくらい仏教とか密教に純粋な思いがあったんです。弘法大師(空海)が好きですね。かっこいいです。
細野さんの、高野山で得度をして僧侶になりたかった意気込みが語られています。
細野さんが、宗教やオカルト(今でいうスピリチュアル)に興味があり、造詣のあることは有名な話しです。
このことはこちらでも書きました。
⇒細野晴臣さんはYMOで「無我」の音楽を表現~YMOは宗教バンド
細野さんは根っから「お坊さん」タイプなのでしょう。顔の相も僧侶顔ですしね。
うなずけます。
細野さんはYMOで宗教的境地を表現
しかし細野さんは密教の僧侶にならずに、YMOを結成したわけですね。が、このYMOの初期のコンセプトがまた面白い。
「下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラ」というもの。
リズムやメロなどの音楽で身体的快楽を得ることを目指していたことが分かります。
当時は「はあ、そんなもんですかね」と思った程度でしたが、今にしてみると、とても意味深だったことがわかります。細野さんの宗教性・オカルト性が潜在的にあったんだなあ、と。
下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラは宗教的な恍惚感
「下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラ」とは、いわゆるハイな状態。
宗教的な恍惚感です。
細野さんは、音楽(YMO)で、宗教的な境地を表現しようとしていたことが浮かび上がってきます。
細野さんは音楽センスがありますし天才ですので、密教の僧侶になるよりも、音楽(YMO)を通して、宗教的陶酔感を実現して正解だったと思いますね。
テクノは原始的音楽や宗教音楽
で、テクノは原始的音楽や宗教音楽に通じるものがあります。
そもそも音楽によって身体的快楽が得られるのは原始的な音楽そのものです。
細野さんは、テクノの手法で身体感覚に直結する「宗教音楽」「密教音楽」を「本能的に」作り上げたのだと思います。
原始的な音楽は、単調なリズムを繰り返し、踊りを伴いながら変性意識に入り、神とのコンタクトを試みていたものです。
宗教儀式なのですね。
この手の音楽は「宗教」に利用されていました。
もっとも神に遭わなくても身体は快楽を得ます。リズム主体の音楽は、中毒性が出てきたりします。
ですので、根強いファンも生み出します。
ダンス、テクノといった音楽は、こういう特徴があります。
テクノは身体感覚に根ざした現代の宗教音楽
で、細野さんが作ったYMO。
日本のテクノの元祖です。
私もかなりハマりました。
とにかく当時は斬新で革命的でした。
YMOは、身体感覚に根ざした音楽として作られていましたので、コアなファンも多く出てきました。
そうです、身体感覚に根ざし、快楽を出すあらゆるものは、根強いファンを生み出します。
細野晴臣さんは本能的に「下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラ」として、YMOサウンドを作ったのでしょう。
ですが、このセンスは、細野さんの密教的資質が生み出したものと、今では解釈しています。宗教的な音楽を、現代の音楽の手法で表現したものと考えています。
しかも本能的にです。
だから「テクノ」になるのでしょう。
身体感覚に根ざした現代の音楽、それがテクノであり、細野さんの視点や力量は天才的です。