クラウドアトラスは生まれ変わり・カルマ・予定説を扱うスピ映画
クラウドアトラス。
ちょっとサブカル的なカルト映画。
2012年に公開されています。
輪廻転生とカルマをテーマにした映画です。
6つの生涯が描かれていますね。
つまり、6つの物語になっているってことです。
6つの生涯が描かれるも登場人物の相関関係がわかりにくい
しかし・・・。
うーむ。
ふーむ。
ちょっと描写が甘いというか。
作り方が悪いというか。
わかりにくいというか。
登場人物が多いというか。
登場人物の相関関係がわかりにくいというか。
そもそも映画の作りが今ひとつのような。
輪廻転生(生まれ変わり)をした後の物語(人生)を、同時並行的に表しているのですが、誰が誰に相当するのかがわかりにくいんですね。
それと、結局、何を言いたいのかが、これまたわかりにくい。
「輪廻転生」という良いテーマを扱いながら、消化不良な感は否めません。また、見せ方もイマイチで、生まれ変わった登場人物の相関性がわかりにくく、どこかB級カルト映画のようになっているのが残念です。
輪廻転生の仕組みは仏教の開祖ブッダが発見した
そもそも輪廻転生。
輪廻転生は、古代インドから説かれている生まれ変わりの生命サイクルをいいますね。元々インドでは、「五火ニ道説」といったシンプルな「生まれ変わり」を説いていたものです。
ところが、ブッダより少し前の時代(紀元前550年頃)に、ウパニシャッド哲学の「ヤージニャヴァルキヤ」が初めて「業報」としての輪廻転生を説きます。「人は善業によって善い者となり、悪業によって悪い者となる」。
しかして、ヤージニャヴァルキヤは、この業報原理はショッキングな真理であるとして、「このこと(業報輪廻)は公に語るべきではない」と言って、公言することをはばかっています。
けれども、ヤージニャヴァルキヤの直後に登場したブッダは、輪廻転生の真実を公にします。それは現在、世界中に知られている輪廻転生だったりします。具体的にいいますと、
1.因果応報(善業善果、悪因悪果)の真理
⇒行いの善し悪しが、未来、来世の境涯を決定する
2.六道輪廻の真理
⇒生命は、地獄、ガキ、畜生、修羅、人間、天人といった6つの境涯での生命形態を取る
ということになります。この2つがそうです。ヤージニャヴァルキヤが説いた輪廻転生よりも、もっと精緻で詳細です。
実のところ、行いの善し悪しによって、六道(地獄、ガキ、畜生、修羅、人間、天人)に転生する思想は、仏教の開祖ブッダが発見した真理だったりします。
このことは意外と知られていませんが、現在、知られている輪廻転生の原型は、ブッダの発見によるものなんですね。
リアルな輪廻転生を描いていないクラウドアトラス
輪廻転生とは、今書いたことが、本当の輪廻転生になります。
しかしながら、クラウドアトラスでは、その生涯では実現できなかった願いや、果たせなかった役目を実現達成するために、同じ一群(関係する人達やグループ)と一緒に生まれ変わっていくといった設定になっています。
ここが、ものすごくひっかかるわけですね^^;
ファンタジー過ぎるといいますか、エンタメ過ぎるといいますか、物足りないといいますか。誤解している様子です。
もっとも、視聴者に輪廻転生の恐ろしさを、あえて伝えないようとして配慮したのかもしれませんね。
クラウドアトラスには、そうした「やさしい」配慮がなされている可能性もあります。
本当の輪廻転生はおそろしい面がある
しかしながら「本当の輪廻転生」は、「業報輪廻」になります。これは、行為(カルマ)によって未来や来世の結果を形成することを解き明かした真理だったりします。
善い行いをすれば、将来や来世で実を結び、天人や恵まれた人間といった快適さの多い幸福な生命体になる。けれども、悪い行いをしたならば、将来や来世で結晶し、不遇な生命形態となる。
本当の輪廻転生では、このように説きます。
つまり、善いことであっても悪いことであっても、その行為の影響は、この生涯にみならず、来世にも受け継がれ、生命形態すら決定してしまうというものです。これが延々と連鎖していくことも説きます。だから「輪廻(りんね)」。
現代人には耐えられな輪廻転生の真実~トラウマになる恐れ
ですので、仏教的な輪廻転生や業報(カルマの作用)は、正直なところ身の毛もよだつ話しが多かったりするんですね。もちろんハッピーな話しもたくさんあります。
けれども怖い話しは、徹底して怖い話しです。なので、現代人は聞けばショックを受けて、トラウマになりかねません。全体像を詳細に語るのは控えたいくらいです。
輪廻転生の実相を知れば、大なり小なり、誰でもトラウマを受けます。
それくらい輪廻転生の実相は、峻厳かつ恐ろしいものだったりします。スピリチュアルで説かれる夢物語やファンタジーだけではないんですね。
本当の輪廻転生とは異なるクラウドアトラスの世界
輪廻転生はトラウマ級のショックを及ぼすことがあるためか、クラウドアトラスでは、因果応報の原理を無視した作りになっています。
むしろ、ポップ・スピリチュアルで説かれる「夢物語」ファンタジー色」で染め上げています。
ある種の希望、期待、達成といった側面にフォーカスして、あえてネガティブな側面に言及しないかのような作りになっています。
また、「輪廻(りんね)」を文字通り、「繰り返す(リインカネーション)」として受け止めていますね。
なので、同じ人物が、同じこと(行為)を繰り返していきます。別の生涯でも本質が同じことをしでかしてしまったり。
これは輪廻転生、業報輪廻においては、少々あり得ないことです。
一度、エネルギー(カルマエネルギー)がリリースされたり、消費されたら、それでカルマの影響は終わることが多いものです。ですので、何生にもわたって同じ過ちなりを繰り返すというのはちょっとあり得ない。
そういうことになることもありますが、それは、よほど大きすぎる業(カルマ、罪障)ですね。特殊なケースになると思います。
しかも、生まれ変わりを通して、立場が逆転していくことも多かったりします。ある生涯では支配者と被支配者の関係であっても、ある生涯では、搾取される立場と支配する立場となったり。男性と女性が入れ替わったり。複雑に変わっていくこともあります。
キリスト教プロテスタントでは問題視されるクラウドアトラス?
しかしこの映画クラウドアトラスは、キリスト教的世界観を揺るがすストーリーになっているかもしれません。で、これが侃々諤々される問題点になりそうです。
それは、キリスト教(プロテスタント)の教えの根幹に当たる「予定説」の否定につながる描写です。
キリスト教世界観、殊に、現代アメリカでは、プロテスタントが多かったりします。
で、プロテスタントでは「予定説」が幅を利かせています。
「予定性」とは、いわば「宿命論」です。
生まれながらに「神に助けてもらえる人は決まっている」という教理です。
これが予定説。
で、根幹教理。
キリスト教のプロテスタントという一派には、「予定説」の思想があります。
そしてアメリカには、プロテスタントが多い。
実のところ、輪廻転生は、予定説を否定してしまう思想です。
なぜなら、子羊としての人間は神の手の中にあって、救われる者と救われない者とは、神への信仰の深さと、神からの寵愛次第だからです。
輪廻転生は、神の手とは無関係に、個々人の行為によって生まれ変わっていき、ドラマを作っていくという真理です。この輪廻転生の真理を掲げますと、予定説をひっくり返しますので、プロテスタントの間では大論争を引き起こすようになると思います。
プロテスタントの多いアメリカで、クラウドアトラスがどう評価されているのかは気になるところです。詳しいことはわかりませんが、アメリカでは評価は高くないようですね。
⇒クラウド アトラスのレビュー・感想・評価
宿命論としての予定説は危険な側面もある
このように、プロテスタントには「宿命論」としての「予定説」があります。
実はこの予定説はリスキーな側面もあったりします。
そもそも宿命論に陥ると、道徳を破壊し、無視するようになることが多くなるからです。
なぜなら、「全ては神が決めている」、「神のご意志だから」、「自分のやることも全て神の御心にかなっている」となりやすく、自らの行為の責任と意志決定を放棄させることも出てくるからです。
占いの世界の話しになりますが、「生まれながらに何もかも決まっている」とする「宿命論」に陥りますと、虚無になったり、道徳を無視した許しがたい行為に走ることが出てきます。
しかも、そういった悪しき行為を正当化し、悪行為を犯しても恥じ入ることがなくなり、自己弁護を繰り返すことも出てきます。宿命論は罪深かったりするんですね。
もっとも、キリスト教における予定説は、また違うのかもしれません。が、「聖戦」といった戦争を是認する思想につながっていくこともあるのではないかと思います。
インドでは、2500年前のブッダが在世していた時代から宿命論の弊害は言われています。なぜならば、宿命論は、モラルを無視してしまいがちだからです。2500年前にも、同じように問題点が指摘されています。
そこで仏教やジャイナ教では、輪廻転生やカルマを説くことで、倫理道徳を守らせる効能も期待したのかもしれません。輪廻転生・業報が、悪しき行為のストッパーとなり、善く行為の促進剤となるということですね。
「生まれ変わり」によって道徳的な生き方を奨めるわけですね。
一神教の世界で作られたクラウドアトラス
一神教では「神がこの世界を支配している」としています。こうした一神教的な世界観の中では、「行為が将来や来世を決定する」という思想は「異質になることでしょう。
輪廻転生は、キリスト教圏では異質な思想になります。
受け入れがたい思想になります。
クラウドアトラスは、キリスト教といった一神教の観念を持った世界の人が創った作品です。
ですから、輪廻転生の取り扱いも、本来の輪廻転生とは異なる扱いをせざるを得ないのかもしれません。
その結果、「やさしい輪廻転生」「良い面だけにフォーカスした輪廻転生」「エンターテイメントとなった輪廻転生」となり、結果的に、ファンタジー色が強く、希望、期待、明るさを打ち出せる作品になったのではないかと思います。
近年の欧米では輪廻転生の思想も広まっている
しかし近年では、欧米でも輪廻転生の思想が広まっています。
こうした背景もあって、クラウドアトラスが作られたのかもしれませんね。
受け入れる素地があるからこそ、輪廻転生を扱った映画も作られるのだと思います。
クラウドアトラス。
しかし惜しい作品です^^;
輪廻転生の実相を描くとか云々は別にして、もっとわかりやすい物語構成にして、子どもでもわかる内容にすればよかったかなとと思います。
しかしながら、予定説(宿命論)を説くプロテスタントの世界観の中で、業報思想としての輪廻転生・カルマを扱うのは、社会的にも難しいハードルがあったのではないかと思います。
こうしたことは映画からではうかがえませんが、社会的な制約の中、ギリギリのレベルで表現し得たのが、この「クラウドアトラス」だったのかもしれませんね。
しかしクラウドアトラスのような輪廻転生を扱った映画をアニメで作りたいなと、10年以上前から構想していたものです。今だったらできるかもしれませんね。アニメ作りへの敷居も低くなっていますので、
「輪廻転生物語を描きたい」。
そんなことを考えています。
でも、恐怖にひきつるリアルホラー映画になるかもしれません^^;
でも、それじゃあマズいかな。