ユダヤ教のメシアとは強くて勇敢な王
今でこそ「メシア」といえば武力を使うことなく人々を救済する偉大な人物というイメージがあります。
しかし元々「メシア」とはユダヤ教にルーツのある概念です。
しかも「メシアとは力が強く威厳に満ち、強大な軍隊を率いる戦う王(軍人)」が本来のメシアです。
武力によって世界に幸せをもたらす人物、それが「メシア」。「メシア」とは力が強く威厳に満ち、強大な軍隊を率いる戦う王だったりします。
いわばハリウッド映画に登場するような強いヒーローが「メシア」。ユダヤ教に伝わるメシア像だったりします。
「武力によって平和統治する」ほうが、「え?」「はて?」となりそうなんですが、2000年前のイスラエルでは、強い王・軍人がメシアと思われていたということですね。
で、イエスにみられる「非暴力なメシア」「愛の力で救うメシア」はパウロ達の発明です。皮肉なことに、こちらのほうは現代では常識化しています。
キリスト教によってメシアの意味が変わった
結局、メシアとは
- ユダヤ教のメシア像・・・オリジナルのメシア像。腕力に長け武力で世界を統治する王。
- キリスト教のメシア像・・・パウロ達が新作したメシア像。イエスによる救済。
こういうことになります。
で、現代、広く知られているメシア像は、キリスト教徒のパウロ達によるプロパガンダによる結果です。
で、「声の大きい人が勝つ、主流になる」というのは、キリスト教の歴史をみていもよくわかります。学びは多い。
イエスの弟子達は「イエスを神の国の王」とみなす
ところで新約聖書を読んでいますと、弟子のペトロ達は「イエスは神の軍を率いて神の王国を作る人物」とみなしていたことがわかります。
福音書にはペトロとヤコブがイエスに対して「イエス様が栄光の座につくときは、どうか私たちを右と左の席に座らせてください(左大臣、右大臣にしてください)」と懇願する記述もあるほどです(マルコ10章35)。
しかし、イエスは「なにを言っているのかね?」と即座に却下します。が、イエスを神の王国を作る王とみなしていた(軍隊の王にしたいと願っていた)弟子達の姿が垣間見えます。
新約聖書の作者は「イエスを強いメシア」に描く?
当時は「メシアであるなら強い男」なのが暗黙の前提だったのでしょう。なので新約聖書の作者の皆さんも、イエスを「力強い男性(軍人)」に近づける努力したのではないかと。
というのも新約聖書には、男っぷしが強く、短気でやんちゃ(暴力的)なイエスの姿が随所にあるからです。たとえばマルコ福音書だけから引用しても、それがわかります。
- 病気治しのときに怒った(すべてマルコ。3章5、9章19、10章14)
- ファリサイ派へ挑発的な態度を取り続けた(2章9、2章17、12章12、12章24)
- 上から目線の言い方(7章18、8章17、8章33)
- 過激な言い方(9章42)
- 差別的な言い方(7章27)
- 風を叱りつけて風を止める(4章39)
- エルサレム神殿で暴れた(11章15)
ご覧の通りです。結構あります。
で、最初に福音書を読んだ時は「なんだかなあ」と思って興ざめしたものです。
しかしこれらは福音書の作者が意図的に書いたのかも?あるいはギリシア語が下手だったため表現が稚拙になったのか?と思ったものです。
ユダヤ型メシアは公的任侠
イエスが何故、腕っ節の強いというか短気で怒りっぽい姿を伝承しているのか、その理由はわかりません。
が、聖書には、すぐ怒ったり暴力的になるイエスの姿が随所にあります。
そのためか「仁義なきキリスト教史(著者:架神恭介)」という本もあるくらい。キリスト教って任侠モードが合うんですよね^^
ちなみに参政党の神谷宗幣さんは「政治は公的任侠」と言っています。ユダヤ型メシアは政治家(王や軍人)でもありますので、公的任侠が合っているのかもしれませんね。
で、公的任侠なメシア像に近づけるために、福音書の作者は創作して、イエスをヤクザっぽく書いたのかなあ。なんて想像もしてしまいます。
トマスによるイエスの幼児物語
いえいえもしかすると、イエスは任侠的な性格だったのかもしれません。
外典の「トマスによるイエスの幼児物語」には、短気でやんちゃなイエスの子ども時代の話しがあります。
やっぱりイエスは短気で暴れん坊な性格?
ハリウッド映画は「ユダヤ教型のメシア」
それにしてもユダヤ教に伝承されている元々の「メシア」は、腕力がすぐれ、神(正義)という名の下に敵を蹴散らし神の王国(正義の王国)を打ち立てる人物。
パウロ達が創作した愛の力で人類を救済するメシア像にすっかり慣れていたため、知った当初は拍子抜けをしたといいますか、え?と戸惑ってしまったものです。
けれどもよくよく考えてみれば、ユダヤ教で伝える「メシア像」って、ハリウッド映画に出てくるアベンジャーズとか、トップガン、トランスフォーマーといったヒーローと同じなんですね^^;
単純明快なハリウッド映画を見て、「イヤーおもしろかった」となりつつも、ちゃっかりアメリカ=正義という刷り込みがなされるわけなんですが、しかし強大な軍事パワーを持つアメリカは、ユダヤ教からすれば「メシア」なんですよね^^;
えーーーっ!と思うわけなんですが、結局、ユダヤ教って浅薄なところが非常に多いんですね。首をかしげるところも非常に多い。
メシア像にしてもそうですが、どこか子どもっぽいヒーロー像でもあって、わかりやすいといえばわかりやすいんですが、ちょっと薄っぺらいですね^^;
国際金融資本家はメシア?
が、この「強いヒーロー像」「軍事力に長けたメシア像」って、まるで国際金融資本家達が、その強大なマネーを背景にして世界をワンワールド化する姿にも通じるんですよね。
もしかして、ユダヤ人らによる国際金融資本家は、メシアを自認しているのかもしれませんね。なんか、そう思えてきます。
ヒーラーはやさしい人が多い傾向
で、話しを戻して、で、病気治しや願いをかなえるといった奇跡を行う者は、同じユダヤ人能力者だったホニ・ハメアゲルやハニナ・ベン・ドーサのように、人から好かれる性格なことが多いんですね。
ハニナ・ベン・ドーサ~イエス・キリストと同時代にいた奇跡を起こす人 ホニ・ハメアゲルほか~イエスと同時代にいた奇跡を起こした者
なので新約聖書に所々に見られるイエスの戦闘的な態度はヒーラーとしては考えにくいんですね。
イエスがヒーラーであることを前提にすれば、聖書に散見するイエスの怒り系の言動は考えにくい。
イエスの怒りの真相は?
イエスの怒り系の言動は「戦う王」のメシア・イメージに少しでも近づけようとした創作では?
それともイエスには怒り系の言動があったため、弟子達は「いずれ軍隊を率いて神の国を作るのでは?」と期待するようになったのか?
しかしやはり弟子達による「イエスをメシアにしたい説」が有力ではないかと。弟子達には「イエスを戦う王・メシアにしたい(あってほしい)」という願いがあり、それが聖書などに表れているのかもしれません。
真相は藪の中といいますか、どちらも考えられることです。わかりませんね。
けれども私としては、「やさしいヒーラータイプの性格」、それがイエス・キリストだったのではないかと思います。
新約聖書に散見されるイエスの暴力的な姿は、上記の理由で創作された後世の作者達による創作だと思います。