瞑想・祈り・適切な認知は基本
それにしても、やはり「瞑想」「祈り」「適切な認知(認知をよくする実践)」といったのはいいですね。
「瞑想」をしますと、意識が明瞭になり、エネルギーに満ちあふれ、トータル的によさげになります。
「祈り」をしますと、心が洗われるようにもなります。そうしてハートにあふれます。
「適切な認知」に注意していますと、意識が明瞭になり、快活になってきます。
「瞑想」「祈り」「適切な認知」は、2000年、2500年前からある実践です。
昔からありますが、王道の実践であり、キモですね。
これらは、人を高次の意識(真我、創造主、宇宙意識)に向かわせ、本当の意味での幸福と叡智に誘います。
よさげなスピリチュアルを体験
昨年から、よさげなスピリチュアルにも触れるようにしています。
何事も「実際に体験してみる」ということをモットーにしていますので、よさげなスピリチュアルも実地体験しています。
ところが、よさげなスピリチュアル、良質なスピリチュアル、エネルギー的なテクニックがすぐれたスピリチュアルであっても、どこかモヤモヤしたのが残るんですね。
モヤモヤが残る謎
終わった後、どこかモヤモヤとしたのが残る。
なにかモワーっとしたのが残る。
これって一体何なんなのだろうか?といった疑問があったんですね。
が、どうやら高次意識には向かわず、「欲望の領域」にとどまっているからなんだということが、わかってきたものです。
天人の欲望
「欲望」といっても、「天人の欲望」のようなものなんですね。
「天人の欲望」。
天人といえども、欲望があります。これは洗練された欲望なんですね。上層アストラル界における欲望。ほとんど害はないんですね。
天人の欲望と高次意識は異なる
が、しかし「天人の欲望」と「高次意識」は性質が異なるんですね。
なので、天人の欲望に触れていると、だんだんと疲れてくるようになります。どこかシャキーンとした高揚感がない。
天人の欲望は、どこかスピリチュアルや新興宗教団体のノリに似たところがあります。奇妙に酔うような心地よさがあります。
これが天人の欲望の特徴。
上層アストラル界における欲望の感覚。
天人の欲望のワナ
天人の欲望は、パっと見た目には心地よい。
しかし、しばらく味わっていると、おや?と。
良質なスピリチュアルといえども、高次意識に向かう要素が無いと、軸に置いていないと、どうしても天人クラスのとどまりがち。
で、天人の欲望に馴染んでしまう。
こうしたことがわかってきたものです。
天人の欲望の心地よさ
人によっては、天人の欲望に心地よさを感じる方もいるかもしれません。
で、これがスピリチュアルの落とし穴の一つなんだろうなあと思うところがあります。
また、これがスピリチュアルへの違和感の一つなのかもしれません。
天人の欲望こそいわゆるスピリチュアル
天人が放つ雰囲気の良さはいいもんです。
しかし、天人の欲望には注意。
天人の欲望が、いわゆるスピリチュアル的なものを醸し出しているのではないかと。
体験に勝るものはない
いろいろと実地に体験しますと、「瞑想」「祈り」「適切な言動」といった基本的な有り様が望ましいということがわかってきます。
やはり何事も体験ですね。
実際に試してみてわかることが多いですね。
黒歴史であろうと、ホワイトな歴史であろうと、体験から学ぶことは多いですね。
学び、体験し、検証する。
これは何事においても大切だなあと、改めて思います。