占いは仏教では禁止されいる?
原始仏教では占いを禁止しています。たとえば一番よく知られている経典スッタニパータにも「占いは禁止」とあります。
スッタニパータ「第四 八つの詩句の章 十四、迅速 927」には、こうあります。※岩波文庫「ブッダのことば」p201
927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならぬ。
ご覧の通りです。ここでは
・夢占い
・相の占い(人相、手相、風水、家相などでしょう)
・星占い(占星術)
・鳥獣の声での占い
といった占いを禁止しています。
しかし占いだけでなく
・アタルヴァ・ヴェーダの呪法
・懐妊術(助産)
・医術(医療行為)
といったように呪術と医療も禁止しています。なんかひっかかりますね。
仏教の戒律では医療も禁止されている
で、上記のスッタニパータの文言では、占いや呪術のほかに
・懐妊術(助産)
・医術(医療行為)
も禁止しているんですね。
なんと占いだけでなく医術も禁止しています。
スッタニパータには「占い禁止」とありますので、仏教者の中には占いを否定する人もいます。
が、それは少々早計ではないでしょうか。そもそも医療行為も禁止になっているわけです。
占いは否定して医療を認めるというのは、ご都合主義過ぎます^^;
で、原始仏教で占いや医療行為を禁止したことには、何やら事情やら理由がありそうなんですね。
占い禁止は仏教の出家者向けの戒め
ちなみにこのスッタニパータにある占い・医療・呪文を禁止する戒律は出家者に対する戒律なんですね。出家者は占いや医術が禁止。
けれども在家はは当てはまりません。
禁止されていません。
あくまで出家者のみ禁止です。
ここは大事な点です。
なぜならスッタニパータの文言を引っ張り出して、占いを諫める人もいるからですね。
しかし、このスッタニパータの文言は、仏教の出家者に対する戒めなんですね。現代人で、しかも仏教者でも出家者でもない人には、まったく関係がありません。
このスッタニパータの文言を引き合いにして、占いを批判するのは、そもそもお門違いといいますか、ピントがズレています。
出家者は占いだけでなく社会活動の全てが禁止
ちなみに仏教の出家者は、占い・呪術・医療行為のほかに禁止がまだまだあります。こんなもんじゃありません。
なんと、計算、伝言なども禁止です。
数を数える計算も禁止。
メッセンジャー(伝言)も禁止。
また政治の話題、社会の話題や経済動向の予測も禁止です。
マッサージをすることも禁止です。
相手の体に触ることそのものが禁止です。
驚きませんか?
もう社会生活に関する行為の多くが禁止事項になっているんです。
で、戒律に照らせば、現代社会での営みのほとんどは禁止事項になります。初めてお聞きになる方はビックリするかもしれません。
で、こうした中での「占い禁止」なんですね。何をいわんとしているかを押さえる必要があると思います。
占いは迷信だから禁止されたわけではない
当時は「占いが迷信だから」という理由で禁止されたのではないんですね。計算、伝言、医療行為、政治の話題、経済の予測と同じ扱いです。
つまり解脱・悟りにあまり関係のないことなので禁止にしたんじゃないかと思うわけです。
で、逆に、解脱・悟りに役に立つ、助けになることは禁止にしない。そんな事情といいますか、姿が浮かび上がってきます。
というのも、驚くことに「歯痛を止める呪文」認められていたからです!何、この二枚舌?と思うくらいの、一方では迷信を採用しているんですね^^;
歯痛を止める呪文は認められていた
当時は、占いや呪文、医術などが禁止されていた一方、出家比丘には「歯痛を止めるための呪文」の使用が認められていたんですね。これを「パリッタ」といいます。
なんと歯の痛み止めの呪文が認められていたんですね。これって呪文ですよ。呪文。
が、占いは禁止。
また「アタルヴァ・ヴェーダの呪法」は禁止。
でも歯痛止めの呪文は認める。
ちょっとご都合主義に思われませんかね^^;
もっとも「歯痛止めの呪文」が認められていたことは理由があるようです。
というのも当時は歯が痛くなったら大変です。今のように歯科医ありません。歯痛にひたすら耐えます。耐えるしかありません。苦しみます。
そこで痛みを和らげるために「歯痛止めの呪文」が認められるようになったといいます。
でもなあ、なんかご都合主義に聞こえますね^^;
解脱・悟りの修行に役立たない行為は禁止だった
結局、修行(解脱・悟り)にあまり関係のない行為は禁止だったということですね。だから、占いのほか、医術、計算、伝言、政治の話し、社会の動向予想などは全て禁止だったわけです。
もっとも実際は控える・推奨しないといった「ガイドライン」だったのではないかと思います。なぜなら人間は、あまりにも禁止や制約が多いと、精神が参ってしまうからですね。
修行(解脱・悟り)にあまり関係のない行為を禁止にしていたというのが本当のところでしょう。
だからこそ、
・歯痛の呪文は認める
・占いは禁止
・医療行為も禁止
・アタルヴァ・ヴェーダの呪法も禁止
としたのではないかと思います。おもいっきりご都合主義に映りますが^^;
が、歯痛は放っておくと修行ができなくなり、修行に差し障りが出てきます。なので痛み止めの呪文は認められていたということなんだと思います。
2500年前は生きるか死ぬかの時代
ちなみに仏教が登場した2500年前はサバイバルな時代です。日本では弥生時代の後期です。神武天皇が即位した神代の時代です。
2500年前のインドは、明日、死ぬかもしれないご時世です。
実際、当時は、象に踏まれて亡くなったり、
牛に体当たりされて亡くなったり、
コブラに噛まれたりして亡くなってしまう、
あるいは寄生虫に感染して死亡、
伝染病に感染して死亡、
飢えで死亡、
そんなことが結構ありました。
事実、不還果(悟りの一歩手前の聖者)に悟ったものの、そのすぐ直後に牛に体当たりされて亡くなった比丘もいます。今なら交通事故です。
当時はそれくらい超サバイバルな時代。明日どうなっているのかわからない。いや次の瞬間、どうなっているのかわからない時代。サバイバル。
ムダを排して修行に専念することが必要だった
こうした時代では、ムダなことはしないで、出家して、一刻も早く解脱を目指すという考えになるのは当然です。といいますか合理的です。
なので社会活動に関する行為を禁止したとも考えられるわけですね。「ひたすら解脱を目指しましょう。そのためには余計なことはしない。止めましょう。」と。
で、それを戒律に盛り込んだ。そんなところじゃないかと思います。
また出家が推奨されたんだとも思います。当時は在家よりも出家がいいじゃん。これも当たり前ですね。合理的です。
元よりインドには出家文化があります。だったら出家して専門職となって、ひたすら解脱を目指すのが合理的です。
迷信的・人を不安にさせる占いがマズいのは当たり前
で、話しを戻して占い。
確かに眉唾で迷信的で人を不安に陥らせる類が多いのも事実です。
けれどもそうでない占いがあるのも事実。実用性が高く、大変参考になる占いもあります。で、経験的にいえば、優れた占術は実用性があります。役に立ちます。
ま、占いも向き合い方次第ですね。接し方次第。所詮、ツールに過ぎません。
で、迷信的で、人を不安にさせる占いはよろしくありません。こうした占いは、仏教の戒律で云々する以前に、よろしくないことは言うまでもありません。
人を惑わせ、不安に陥らせ、脅し、悪徳に使うならば、占いに限らず、すべての行為がいけないことは言うまでもありません。
仏教で禁止されている医療は現代では欠かせない
ちなみに役に立つといえば出家者に禁止されている医療行為は役に立ちますからね。といいますか、このコロナ禍では、医療関係者は兵隊さんのように最前線で戦っています。令和の戦場は医療現場です。
緊急事態宣言が解除されたものの、第二波が訪れることもあり得ます。医療関係者の皆さんは、いつ自分が感染するかもしれないといった不安の中で活動されています。頭が下がります。
原理主義者のほうが危険?
2500年前の戒律を持ち出して、医療関係者を咎めることはできるでしょうか?
できませんよね。
時代錯誤もはなはだしい。
占いも同じです。
有益な占いは問題はない。
むしろ役に立つ。
迷信的な占いや人を不安に陥らせる占いは、何も仏教の戒律を持ち出さなくても、よろしくないことは言うまでもありません。
仏教もそうですが、文言通りに受け止める原理主義者、教条主義者のほうが危険だったりします。占い云々よりも危険。
これはオウム真理教の事件をみてもそうです。原理主義者のほうがむしろ危険と言っていいでしょう。
聖典を片手にして、文言通りに押しつける原理主義者のほうがはるかに危険です。カルトです。このことはいつの時代でも同じです。普遍的な真理ですね。
まとめ
以上の通りとなります。整理しますと、
- 仏教の戒律では占いは禁止とある。
- 呪術も禁止とある
- しかし医療も禁止とある。
- けれどもこれは出家者向けの戒律(在家は該当しない、仏教徒は関係ない)
- しかし出家者は歯痛を止める呪文を唱えることは許されていた。
- 結局、出家の修行に役に立つかどうかのご都合主義で決められていた。
- なお戒律は2500年前の時代に適したものだった。
- 2500年前の、しかも出家者の戒律を、現代に当てはめるのは無理がある場合も。
- 無理を通してでも当てはめるのを原理主義者という。
- 原理主義者は強い怒りにとらわれるている。
- 頑なに古典の教えに従うのは精神の硬直であってむしろ危険。
このようになるかと思います。