ウパニシャッド哲学
ウパニシャッド哲学。この言葉を知っている人は多いんじゃないかと思います。が、ウパニシャッド哲学はヴェーダ宗教の中から誕生した天啓思想だったといいます。
ウパニシャッドはヴェーダ宗教の中に登場したんですが、おもしろいことにヴェーダが行っていた祭祀には否定的だったといいます。カウンターカルチャーのようですね。
新進気鋭のヴェーダの思想がウパニシャッドだったりします。
ウパニシャッドは哲学ではなく天啓思想
ちなみにウパニシャッドは、哲学とされていますが天啓思想です。
天啓思想とは、ピピピーンと霊感やらインスピレーションで、宇宙やら人間に関してつまびらかにした叡智ですね。
で、そんなウパニシャッドは、15人くらいによる思想が寄せ集まっています。が、お互いがバラバラ。整合性がありません。
なのでインドでは、長い間「ウパニシャッドはよくわからん」として、放置されていたようです。
天才シャンカラによってウパニシャッドが理解できるようになる
ところが8世紀にシャンカラという天才が現れて、若干20才代でウパニシャッドの矛盾を解消して、整合性の取れる思想にまとめあげます。8世紀といえば日本では奈良時代から平安時代にかけてですね。
天才シャンカラの功績によって、インド宗教界は新たなステージを迎えます。ヒンドゥ教が躍進し、仏教が衰退路線にもなります。で、シャンカラは「アドヴァイタ」の祖にもなります。
アドヴァイタは、現代の悟り業界で席巻していますよね。ナチュラルスピリット社からも覚醒本が続々出版されていますが、これらはほぼ全てがアドヴァイタ系です。この元祖がシャンカラ。実は現代では馴染みがあったりします。
ウパニシャッドとアドヴァイタ
で、アドヴァイタの系列に、20世紀にはラマナ・マハルシが登場。で、そのラマナ・マハルシが説いていた真我に啓(ひら)けるアプローチが「真我探求」。
真我探求も自己観察です。自らの内面・心を丁寧かつ精妙に観察していくことになりますからね。
ウパニシャッドの時代からアドヴァイタ、そうして現代のアドヴァイタ。一貫しているのが「自己観察」だったりします。で、成果を上げています。
ちなみに現代のアドヴァイタは、トニーパーソンズに代表されるノンデュアリティがあります。が、伝統的アドヴァイタからひんしゅくを買い、「アドヴァイタ」の名を語ることが禁止されたとか。
で、ネオ・アドヴァイタという言い方もしていますが、この界隈にはそんなゴタゴタもあるようです。
シャンカラは元仏教徒
ちなみにシャンカラは元仏教徒。途中からヒンドゥ教に転じます。シャンカラはヒンドゥ教を、仏教的な教えでリニューアルしたとも言えます。
で、そんなシャンカラの偉大なる業績のおかげもあって、ヒンドゥ教は巻き返しをします。それまでインド宗教の主軸だった仏教を抑えて、ヒンドゥ教がインド宗教の表舞台に。シャンカラはヒンドゥ教の救世主でもあったりします。
なおヴェーダ宗教(ウパニシャッド哲学)⇒バラモン教⇒ヒンドゥ教といのはインド宗教史における基礎知識ですね。
この3つは基本的に同じです。で、アドヴァイタも、この流れから出ています。
それとインドでは、ブッダ、シャンカラー、ラーマクリシュナを三大聖人としているとか。シャンカラもバッチリ殿堂入りしていますね。インド宗教史を変えましたからね。殿堂入りは当然でしょう。
ちなみにシャンカラは30才の初頭に川で溺れて亡くなっています。
アドヴァイタの根底には仏教がある
アドヴァイタの根底には仏教があります。が、仏教の修行の途中で生じることのある「真我的な意識」を取り上げたのがアドヴァイタという見方もできると思っています。
で、真我は悟りではありませんからね。昨年までは仏教の悟りもアドヴァイタもキリスト教神秘主義もすべて同じと思っていましたが、どうやらそれは全然違うようです。
真我≠悟り。
だからこそ仏教は、他の教えと一線を画して超然としているだと思います。