綱島梁川は一瞥体験をした
綱島梁川(つなしま-りょうせん)。
明治6年(1873年)に岡山県生まれ。若干34才で夭折したもののキリスト教を筆頭とした宗教思想家です。
17才で洗礼を受けてクリスチャンになり、その後は東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業し、文藝・美術評論家となったようです。
綱島梁川は、いわゆる「一瞥体験」をしています。
その一瞥体験は、亡くなる3年前の31才の年に体験しています。
しかも31才の年には二回の神秘体験をして、その直後に一瞥体験をしています。小出しに神秘体験をして、最後に大きな神秘体験(一瞥体験)をしているんですね。
ちなみに明治の時代には、綱島梁川と似た体験をした人に、伊藤証信がいます。こちらでくわしく解説しています。
伊藤証信「無我の愛」と無我苑
綱島梁川著「予が見神の実験」
綱島梁川は、自らが体験した神秘体験を、亡くなる2年前の明治38年5月に刊行した「予が見神の実験」という書にしたためています。
「予が見神の実験」とは、「私は見神(神に見[まみ]える)ことを実際に体験した」という意味ですね。ここで使われている「実験」とは「実際の体験」という意味です。
綱島梁川は、2回の神秘体験を経て、3回目にハッキリとした見神の体験(一瞥体験)をしています。
2度の神秘体験と3回目に神となる一瞥体験をした綱島梁川
で、綱島梁川は、明治37年の31才の年に、一年で3回、神秘体験をします。
神秘体験を2回体験し、3回目のときに自身が神となる体験、つまり宇宙意識体験、一瞥体験をします。それは、
- 明治37年7月(31才)・・・大歓喜体験(神の愛体験)
- 明治37年9月(31才)・・・世界と一体となる体験(ワンネス体験)
- 明治37年11月(31才)・・・神と一体となる体験(見神の体験、宇宙意識体験、一瞥体験)
という体験ですね。
このことが「予が見神の実験」に詳しく述べられています。「予が見神の実験」は著作権が切れていますので、原文から引用しながら説明したいと思います。
大歓喜体験~1回目の神秘体験
綱島梁川が最初に神秘体験をしたのが、明治37年の7月(31才の年)だったようです。
「大歓喜体験」と言っています。
綱島梁川は、病気療養のために、毎夜1時間ほど、ただ坐っていたといいます。その日は、心が澄み切ったかなあと思いきや、突如、大歓喜がわきおこったといいます。これが15分続いたと。
これはいわゆる「神の愛」の体験でしょう。神の愛を体験すると、大歓喜がわき起こります。
ちなみに綱島梁川は、それまでも時々、歓喜がわきおこることがあったといいます。
これは心がわーっと高揚し、人類愛に似た気持ちにあふれる体験じゃないかと思います。
おそらくキリスト教を信仰していたことと関係があるんじゃないかと思います。綱島梁川はキリスト教の信仰を通して、神の愛・人類愛のプチ体験が、頻繁に起きていた形跡もあります。
しかし明治37年7月(31才)のときの大歓喜の体験は、それまでの歓喜体験とは異なり強烈だった様子です。
【著書「綱島梁川 予が見神の実験」より】
最初の経験は昨年七月某日の夜半(日附を忘れたり)に於いて起こりぬ。予は病に余儀なくせられて、毎夜半凡そ一時間がほど、床上に枯坐する慣ひなりき。
その夜もいつもの頃、目覚めて床上に兀坐しぬ。四壁沈々、澄み徹りたる星夜の空の如く、わが心一念の翳を著けず、冴えに冴えたり。爾時、優に朧ろなる、謂はば、帰依の酔ひ心地ともいふべき歓喜ひそかに心の奥に溢れ出でて、やがて徐ろに全意識を領したり。
この玲瓏として充実せる一種の意識、この現世の歓喜と倫を絶したる静かに淋しく而かも孤独ならざる無類の歓喜は凡そ十五分時がほども打続きたりと思ぼしきころ、ほのかに消えたり。
(本書〔『病間録』〕一七九頁「宗教上の光耀」と題する一篇のうちに、感情的光耀につきて記したる一節は、この折の経験に基づきて物したるなり。予は従来とても多少これに類したる経験を有せざりしにはあらざりしが、此の夜のに於けるが如く純粋にして充実せるは無かりき。)
予は未だありしこの夜の経験の深きこゝろを測りつくし辿り尽くすこと能はず。今なほ折〻当夜の心状を朧ろに想起しては、天上生活の面影をしばし地上に偲ぶの感あるなり。
アンダーラインを引いた箇所は重要なので、今風の言い方に表現すると次の通りです。
私は病の中、毎晩、約1時間の坐禅をしていた。明治37年7月の夜も坐禅をしていたところ、澄み渡った星空のように、私の心には雑念も浮かばなくなり、冴えに冴えわたった。
そのとき朦朧としながらも、神に帰依をして酔いしれたときの心地、歓喜が心の奥からあふれてきて、やがて意識全体が歓喜となった。
この透き通っていながら充実している意識(歓喜)は、通常の歓喜とはまったく異なり、静かでありながらも孤独を感じさせない比類無き歓喜だった。15分ほど続いたが、やがて消えていった。
世界と一体となるワンネス体験~2回目の神秘体験
今度は、同じく明治37年の9月(31才の年)に、再び神秘体験をしています。
それは夕方に銭湯へ行く途中、見ている景色(世界)と一体となる「ワンネス体験」が起きたようです。
「吾れ神と与に観たり」「天地の奥なる実在と化りたるの意識」とありますので、一体感(ワンネス)体験でしょう。
【著書「綱島梁川 予が見神の実験」より】
今一つは昨年九月末の出来事に繫れり。予は久しぶりにて、わが家より程遠からぬ湯屋に物せんとて、家人に扶けられて門を出でたり。折りしも霽れ渡りたる秋空の下、町はづれなる林巒遠く夕陽を帯びたり。
予はこの景色を打眺めて何となく心躍りけるが、この刹那忽然として、吾れは天地の神と偕に、同時に、この森然たる眼前の景を観たりてふ一種の意識に打たれたり。
唯だこの一刹那の意識、而かも自ら顧みるに、其は決して空華幻影の類ひにあらず。鏗然として理智を絶したる新啓示として直覚せられたるなり。予は今尚ほ其の折を回想して、吾れ神と与に観たりてふその刹那の意識を批評し去る能はず。
若干、意訳を交えると、
明治37年9月の末、久しぶりに銭湯へ行こうとして家の門を出た。折しも晴れ渡った秋空の下、町はずれの林や山が遠くで夕陽に映えわたっていた。
この光景を見ていると、心が躍ったが、突然、私は天地の神と合一し、同時に目の前の光景を見ているという意識になった。
一瞬の出来事であったが、思い返しても、決して幻覚や妄想の類ではない。理知を超えた啓示として感じられた。思い返しても「私は神とともに光景を見ていた」というのは否定できない。
これは「神とともに見ていた」とありますので、神を感じながら世界と一体化するワンネス体験でしょう。
最初が通常の歓喜を超える歓喜「大歓喜体験」。その次が神とともにいながら世界をながめる「ワンネス体験」。綱島梁川は、このように連続して神秘体験をします。
神と一体となる一瞥体験(見神の体験)~3回目の神秘体験
綱島梁川の神秘体験のなかでも極めつけなのが、同じく明治37年11月(31才の年)に起きた「一瞥体験」です。それを「見神の体験」といっていますね。しかしこれこそが「一瞥体験」です。
三回目の実験(見神の体験)は、最もインパクトがあり強烈だったと言っています。
それは、その夜、燈明の下で筆を取っていたところ、自我が消えて神が現前し、神が筆を取るといった体験だったようです。無我・空の体験と言っていいのではないかと思います。
この体験は、わずかの刹那(短時間)であったものの、無限の深みを感じたとあります。
で、これぞ一瞥体験ですね。神そのものになる体験。宇宙意識体験でもあります。
「我は没して神みづからが現に筆を執りつゝありと感じたる意識」とありますので、まさに無我ですね。小さな自分ではなく、宇宙・神となった宇宙意識体験でしょう。
また「予は今、これ以上、又以外にこの刹那に於ける見証の意識を描くの法を知らざる也」とありますので、先の2回の神秘体験をはるかに上回る強烈な体験だったことがわかります。
また一瞥体験には、深い浅いがあることもわかります。
さらに、一瞥体験後、身体に変容が起きたことや、創造主に対する深い思いがリアルかつ強くなったことを述べていますね。また神の愛を体現体得したことも述べています。大変、興味深いですね。
なお身体の変容は、いわゆるチャクラの覚醒体験でしょう。これも一瞥体験者には時々みられる現象です。
【著書「綱島梁川 予が見神の実験」より】
終はりに語らんとするもの、是れ曩に驚絶駭絶の経験と言ひたるものにして、これまで予が神の現前につきて経験せるもののうち、かくばかり新鮮、赫奕、鋭利、沈痛なるはあらじと思はるゝ程なり。
予は今なほ之れを心上に反覆再現し得ると共に、倍〻其の超越的偉大に驚き、倍〻其の不動の真理なるを確めつゝあり。左に掲ぐるは、当時の光景を略叙してさる友に書き送れる書翰の大旨なり。
藪から棒に候へども、いつぞや御話しいたし候ひし小生あの夜の実験以来、驚きと喜びとの余勢、一種のインスピレーションやうのもの存続いたし候て、躰にも多少の影響なきを得ず候ひき。
彼の事ありてこのかた、神に対する愛慕一しほ強く相成申候。如何にすればこの自覚を他に伝へ得べき乎とは、この頃の唯一問題にて候也。一面にはこの自覚、人に知られたしとの要求有之候へど、他の一面には、更に真面目に、厳粛に、世の未だこの自覚に達せず又は達せんとて悩みつゝある多くの友に対する同情を催起いたし居候。この事によりて、小生幾分か、釈迦の大悲や、基督の大愛を味ひ得たる感有之候也。
本年のうち小生はこれと併せて三たびほど触発の機会を得申候。
他の二つの場合(前に陳べたるものを斥す)も今憶ひ出だし候てだに心跳りせらるゝ一種の光明、慰籍に候へども、先日御話いたしし実験は、最も神秘的にして亦最も明瞭に、インテンスのものに候ひき。君よ、この特絶無類とも申すべき一種の自覚の意をば誰れと与にか語り候ふべき。
げに彼の夜は物静かなる夜にて候ひき。一燈の下、小生は筆を取りて何事をか物し候ひし折のことなり、如何なる心の機にか候ひけむ、唯だ忽然はつと思ふやがて今までの我が我ならぬ我と相成、筆の動くそのまゝ、墨の紙上に声するそのまゝ、すべて一々超絶的不思議となつて眼前に耀き申候。
この間僅かに何分時といふ程に過ぎずと覚ゆれど、而かもこの短時間に於ける、謂はば無限の深き寂しさの底ひより、堂々と現前せる大いなる霊的活物とはたと行き会ひたるやうの一種の Shocking 錯愕、驚喜の意識は、到底筆舌の尽くし得る所にあらず候。
唯だ兄の直覚に訴へて御推察を乞ふの外之れなく、今はその万一をだに彷彿する能はず候。
これ実に昨十一月の某夜、十一時頃に起こりたる出来事なりとす。
予はこの実験につきては、最早言ふ所なかるべし、そは如何なる妙文辞を傭ひ来たるとも、最早こゝに書き記したるより以上の事を説き明かし得べくも思はれざれば也。真理は簡明也。真理をして真理自らを語らしめよ。言詮の繁重は真理の累也。
さあれ予は件の見神の意識につきて、今一つの言説すべき者あるを感じたり。そは他にもあらず、予が曩に「我が我ならぬ我となりたり」といひ、「霊的活物とはたと行き会ひたり」と言へるが如き言葉の、尚ほやゝ疎雑の用法ならざる乎との疑ひ、読者にあらんかとも思ひたれば也。
されば、予をして今一度最も厳密に件の意識を言ひ表はさしむれば、今まで現実の我れとして筆執りつゝありし我れが、はつと思ふ刹那に忽ち天地の奥なる実在と化りたるの意識、我は没して神みづからが現に筆を執りつゝありと感じたる意識とも言ふべき歟。
これ予が超絶、驚絶、駭絶の事実として意識したる刹那の最も厳密なる表現也。予は今、これ以上、又以外にこの刹那に於ける見証の意識を描くの法を知らざる也。
予は如是に神を見たり、如是に神に会へり。否、見たりといひ会へりといふの言葉は、なほ皮相的、外面的にして迚もこの刹那の意識を描尽するに足らず、其は神我の融会也、合一也、其の刹那に於いて予みづからは幾んど神の実在に融け合ひたるなり。
我即神となりたる也。感謝す、予はこの驚絶、駭絶の意識をば、直接に、端的に、神より得たり、一毫一糸だに前人の証権を媒とし、若しくは其の意識に依傍したる所あらざる也。(彼等が間接なる感化は言はず。)
予は今、これ以上、又以外にこの刹那に於ける見証の意識を描くの法を知らざる也。
それ吾が見たる神は、常に吾れと偕に在まして、其の見えざるの手を常に打添へたまふにあらずや。 (明治三十八年五月)
アンダーラインを引いた箇所を、意訳しながらまとめて、現代風に改めてみます。
明治37年11月の夜11時頃、燈明の下で何かを書いていたとき、突然、今までの自分が自分でなくなった。この間、わずか数分程度であったが、自分が消え去って、神そのもの(広大なるとしか言いようが無い「宇宙意識」)となった意識だった。こうとしか言いようのない体験だった。
私は確かに神を見た。本当に神に会った。いや「見た」「会った」という言葉は表面的であって適切ではない(表現できない)。しかし、それは神との融合、合一であって、その瞬間、私は神に溶け込んでいた。「私すなわち神」という感覚。
私は感謝している。この驚くべき、言葉で説明のできない意識は、直接、神さまから得たものだ。誰かが書いた宗教書からわずかでも参考にしたものではない。またその意識に似たようなものはない。
3度目の体験(明治37年11月の夜)は、今も反復して再現できる。ますますその超越的な偉大さに驚き、ますます不動の真理であることを確信する。
あの夜の実体験以来、驚きと喜びが残っており、一種のインスピレーションのようなものが続いている。しかも身体にも多少の影響が出ている(チャクラ覚醒も起きた)。この体験があってから、神に対する愛慕はいっそう強くなった。
しかしいかにして、この感覚を他人に伝えるかは、この頃の大きな問題であった。一面には、この自覚を他人に教えたいという欲求もある。
しかし反面、世の中にはまだこの感覚がわかっていない友、あるいは達したいと悩んでいる多くの友人に対するかのような、真面目で厳粛な同情心もあった。これは釈迦の慈悲やキリストの愛であるかのような感覚でもある。
科学的態度で臨んだ綱島梁川
こうした一瞥体験をした綱島梁川ですが、彼は自らの体験が迷妄、錯覚でないかと、幾度も検証しています。また第三者にも検証を求めています。
こうしたことも「予が見神の実験」の中で述べています。実に科学的といいますか、誠実なんですね。
昨今多い、なんちゃってスピリチュアリストとは一線を画します。神秘体験を容易に信じ込む浅薄な輩とは違うこともわかります。
体験したことに対して、徹底的に検証しようとする姿勢は、この道においては欠かせません。安易に信じ込むようでは、まったくお話しになりません。綱島梁川は、正真正銘のスピリチュアリストです。
【著書「綱島梁川 予が見神の実験」より】
予は予が見神の実験の、或は無根拠なる迷信ならざるかを疑ひて、この事ありし後、屢〻之れを理性の法庭に訴へて、其の厳正不仮借なる批評を求めたり。
而して予は理性が之れに対して究竟の是認以外に何等の言をも揷む能はざるを見たり。
予は又この実験の、予がその折の脳細胞の偶然なる空華ならざりしかをも危ぶみて、虚心屢〻之れを心上に再現して、前より、後ろより、上下左右、洩らす所なく其の本躰を正視透視したり、而して其の事実の、竟に巋然として宇宙の根柢より来たれるを確めたり。
されど、予は尚ほこの実験の事実が、万が一にも誇大自ら欺きしものにあらざるかを虞れて、其の後も幾度となく之れを憶起再現し、務めて第三者の平心を持して、仔細に点検したりしが、而かも之れを憶ひいづる毎に、予は倍〻其の驚くべき事実なるを見るのみ。
そは到底如実には言ひ表はしがたき稀有無類の意識也。今やいよいよ一点の疑をも容れがたき真事実とはなりぬ。
綱島梁川の神秘体験は悟り体験ではない
これが綱島梁川の神秘体験と一瞥体験です。「予が見神の実験」にあることですね。
しかし綱島梁川の体験は、悟り体験ではないんですね。ええ。悟りではありません。
悟り体験は認識が変わります。
てか体験がありません。
認識がありません。
だから「悟り」なんですね。
これが一瞥体験などの神秘体験と、悟り体験との決定的な違いです。
綱島梁川のような一瞥体験は、まれに体験する人もいます。実は、私もしています。だから、綱島梁川の体験がわかるんですね。
しかし綱島梁川も「認識」しています。認識が残っています。認識のある体験です。だから「体験」になるんですね。
認識・体験があるうちは悟りではないんですね。
私も同じような体験があるので、綱島梁川の体験が悟り体験でないことがわかるんですね。
で、悟りではない体験(一瞥体験や覚醒体験)を悟りとして公表すると、大概は苦境に陥ります。なぜなら、悟りではないからです。
一瞥体験は貴重な体験
一瞥体験は悟りではありません。
しかし貴重な体験なんですね。
心身が変容することも起き得る体験です。
けれども「悟り」ではないんですね。
ここは大事な点です。
綱島梁川は、自分が悟ったと思ったかもしれませんね。しかし、そう思ったとしても、それは間違いです。
一瞥体験が起きる条件
なお綱島梁川の手記から「一瞥体験」が起きやすい下地や条件があることもわかってきます。それは、
- 慈しみ、慈悲、隣人愛の実践
- 慈しみ、慈悲、隣人愛を感じる体験
です。こうした下地や条件がありますと、一瞥体験をしやすくなると思います。
実際、綱島梁川は、キリスト教の信仰を通して「それまでも時々、歓喜がわきおこることがあった」あります。
キリスト教的にいえば「隣人愛」。
仏教的にいえば「慈悲」。
隣人愛や慈悲を続けたり、体感があると、一瞥体験・宇宙意識体験をしやすくなります。
ちなみに明治の文筆家でもあり、フェミニストの先駆者「平塚らいてう」も一瞥体験をしています。
レアなんですが、著名人にも一瞥体験をした人はたまに出てきますね。
そんな綱島梁川の「予が見神の実験」より、彼の神秘体験を紹介してみました。