函館市にあるトラピスチヌ修道院
函館へ行ったとき「トラピスチヌ修道院」を訪れました。
トラピスチヌ修道院は、日本ではじめて作られた、女子専用の観想修道院といいます。
観想修道院は厳しい禁戒もあるようでして、院からは出られないなどの制約も多いようです。
函館には、女子専用の「トラピスチヌ修道院」のほかに、近隣の北斗市に、男子専用の「トラピスト修道院」があります。
どちらもフランスの「厳律シトー教会」の系列のようです。
しかし、うっかりして両者を一緒(同じ)と勘違いしてしまいました。名前が似ていますので。そのため「トラピスチヌ修道院」だけに行ってしまいました。
帰ってから、「トラピスチヌ修道院」が女子専用で、「トラピスト修道院」が男子修道院であることに気づきます。
しまった。
トラピスチヌ修道院は美しい観光地
ですが、「絵」的には「トラピスチヌ修道院」のほうがよさそうです。確かに、院内は整然としていて、絵になる光景かなとも。
とはいっても、前庭と資料室のみ立入可能です。前庭というのは、歩いて観光できるところです。
この動画がそうです。
トラピスチヌ修道院
実は、修道院に行ったのはこのときが初めてでした。
ですが、なんといいますか、懐かしいといいますか、妙に惹かれるそんな感慨に襲われたものでした。
ええ、どことなく懐かしい。どこかで共鳴するものを感じます。
修道院は、その洋風の建物、いでたちがいいですね。どこか美観があり、奥ゆかしさを感じさせます。
西洋建築物には、グロテスクなものもありますが、明治の頃に建てられた和洋折衷感のある洋風の建物は、凛とした趣があって、どことなく心惹かれます。
トラピスチヌ修道院へ訪れたとき、雨が降っていたものの、ちょうど太陽が出てきて、青空も顔をのぞかせてくれました。
トラピスチヌ修道院にあるルルドの泉
前庭には「ルルドの泉」を模したレプリカも安置してあります。ベルナデッタの前に突如現れた聖母マリア様との邂逅を模したものですね。
ルルドでの聖母出現の奇瑞は、キリスト教を信仰しない者であっても、どこか聖なる印象を受け、感銘を受けます。
ところでルルドといえば、物理学者であり、ノートルダム清心女子大学の教授でもあり、合気道の奥義を究めた「保江邦夫(やすえくにお)」氏。
保江氏は、52才のときに、末期ガンと宣告され、最後の賭けとして手術を断行。生死をさまよう中、夢の中にマリア様の化身の「白い鳩」が現れ、保江氏を助けてくれたといいます。
しかも保江氏は、この手術の後に、合気道の奥義を体得します。そして「全てはマリア様のお導き」として、マリア崇拝者になります。
その後、フランスのルルドへ行って、マリア様とベルナデッタにお礼を言いに行っています。
この頃から、保江氏の神秘的な人生が開いていきます。その保江氏が力説するのが「神の愛」。
事実、保江氏の「合気(あいき)」は、「愛魂(あいき)」と銘打っています。「愛の魂」、それが「合気」であると。
キリスト教の信徒でもないにも関わらず「神の愛」を重視。保江氏は、このことを著書で述べています。
ルルドといえば、保江氏を思い起こしますが、トラピスチヌ修道院は、フランス系の修道院ですので、ルルドをお祀りしているのも「むべなるかな」といった感じです。
トラピスチヌ修道院の資料室で胸を打つ
トラピスチヌ修道院には資料室もあります。ですが、ここは撮影禁止。
資料室には「トラピスチヌ修道院」設立時の資料や、大元の「シトー教会」の資料があります。
明治時代に使っていた聖書も展示してあります。赤鉛筆でルビがふってあったりして、勉学に研鑽していた形跡が見られ、こういう資料を見ているとジーンと来てしまいます。
天主様の教えを学ぼうと、一生懸命だったんだろうなと。今なら読みやすい聖書や良質な解説本もあります。門外漢であってもおおよそのこともわかります。ですが昔は違いますね。
そう思うと、当時の人達が神の教えを学び、それを自分のものにしようとしていた姿を思い起こさせ、
胸を打ちます。
※写真は、左から、大天使ミカエル、聖母マリア、聖テレジア
創造主・神を信じることで大いなる存在に啓(ひら)かれる
資料室には、今もなお「トラピスチヌ修道院」で奉仕に励む女性達の写真も飾ってあります。
皆さん、よい顔をされているなあと。神の教えに従い、清廉に生き、そうして奉仕に生きる。
こうした生き方は、仏教で説く「生天の教え」も同じです。
https://www.bukkyouoshie.com/rinne/sekai.html
人はかような生活を続けていきますと、自ずと自我が落ち、大我とでもいうべき大いなる存在に身を委ねることは日常的になり、そこから絶対的な安心感と多幸感が生じてまいります。
神を信仰する人を、依存している、すがっているんじゃないのと揶揄して言われる向きもありますが、実際は、さにあらず。
そのような段階にとどまっているケースもあろうと思いますが、しかし、突き詰めていくと、飛躍した世界が顕(あらわ)れてきます。
観念や思考、理屈を超えた普遍的な愛、宇宙的な愛が広がる世界がそこにはあります。
神を念じ、創造主を信じることで、「神の愛」としか言いようのない、広大無辺な愛を全身で感じるようになります。
これは対象が神でなくても、如来であっても菩薩であっても、また宇宙意識、大自然であってもそうです。
崇高な存在に身を委ね、明け渡すことで広がる世界。多幸感に包まれる世界があります。インドではこれを「バクティ(信愛・献身)」といっています。
禅では見性といっています。見性はキリスト教世界でも起きています。
もし、こうした世界に触れるならば、それまでの価値観、人生観は一変するでしょう。根底から、ひっくり返るであろうと思います。
思惟や想像を超え、体験を通してでしか分からない世界。それが、神にしろ、偉大なる存在を「信じる」世界の真実だったりします。
トラピスチヌ修道院での生活
修道院で生活をする修道女は、
朝、3時半に起床。
夜の7時45分に就寝。
この間に、7回、神に祈りを
捧げるといいます。
そうして、奉仕としての労働、
聖書を読む読書。
祈り、奉仕、読書。
この3つが修道女の日課。
修道女らの労働奉仕によって作られる「お菓子」もあるようです。これらはトラピスチヌ修道院の売店でも販売されていたようですね。マダレナケーキ、ガレットというお菓子です。
トラピスチヌ修道院。
フランスの「厳律シトー会」系の、日本初の女子修道院。1898年(明治31年)、フランスから派遣された8名の修道女によって創立とあります。
どことなく惹かれる修道院の世界。
過去生において、自分はこうした世界にもいたのではないかと感じる所があります。