天界の神・天使の苦しみ~天人五衰

天界の神・天使の苦しみ~天人五衰

三島由紀夫「豊穣の海(四)天人五衰」。この小説には、天人(神さま・天使)の死期が近づくと、5つの死の瑞兆が出てくること(天人五衰)が書いてあると。

数日前に、そんなことを知人から聞きましてね。で、興味津々となって、図書館から、その三島本を借りまして。

で、くだんのページを発見。72ページからあります。で、天人五衰は、

・増一阿含経 第二十四
・仏本行集経 第五
・摩訶摩耶経 巻下
・大毘婆沙論第 七十

にあるといいます。いやあ興味深いですね。

天人は、しあわせの絶頂の中で生き続けるものの、その死が近づくと、

1.頭部の花の冠(頭頂の光)が弱くなる
2.衣類がくすみ汚れる
3.腋から汗が流れ落ちる
4.体臭がくさくなる
5.楽しむことができなくなる

といいます。ただし経論によっては伝承が異なります。たとえば、

・女性達が逃げ出す(男性の神の場合)
・体から出る光が弱くなる
・一箇所にじっとすることが多くなる
・まばたきが多くなる

というのもあるといいます。ふむふむ。

天人五衰は地獄以上の苦しみ

ちなみに天人五衰は、神々の中でも「三十三天」という神々に顕著に見られる死の瑞兆のようです。他の神々への言及がないんですね。

三十三天の神々に顕著なのが天人五衰。この苦しみは地獄の苦痛よりもはるかに大きな苦痛であるとか。うーむ。

たとえば部派仏教の正量部の経である「正法念処経 巻二十三」には、天人五衰の苦しみは「地獄の苦しみの16倍以上」であると。わお^^;

天人五衰が出てくると、天人(三十三天の神)は大変苦しむというのがうなずけます。かなりの苦しみなんでしょうね。

天人五衰は三十三天の神々に該当

天人五衰はすべての神々に該当するのではなさそうです。どうやら「三十三天」の神々に顕著に起きる現象のようです。いくつか調べたましたが、天人五衰は三十三天の神々に関する記述しかなさそうですね。

そもそも原始仏典(ブッダ)が伝える天界は、上から
1.他化自在天
2.楽自在天
3.兜率天
4.夜摩天
5.三十三天←天人五衰が現れる
6.四大王天←もしかするとここも天人五衰が現れるかも

となっています。この天界を「六欲界」ともいっています。

で、天人五衰の苦しみが生じる神々は上から4番目の天界。三十三天。あるいは四大王天。

三十三天は、とても広くバラエティに富んでいます。四大王天とともに「地の神」になります。つまり人間界との接点の多い神々の天界。

スピリチュアルや霊能者が語る神さま、天使、精霊が、この領域にいらっしゃいます。

三十三天までの神々は、五欲を望むままに満足させる傾向があります。パーリ仏典では、踊り、歌、芸能、パーティといった饗宴を楽しむ世界を、たとえとして伝えています。

その点、夜摩天になると節操が出てきます。いたずらに五欲を満足させ溺れることが減ります。同じ神々でも境涯によって違います。

天人五衰を伝える経論

ちなみに天人五衰について伝承があるお経や論書は、

  • 増一阿含経 第二十四・・・原始仏典(パーリに該当の経なし)
  • 法句譬喩経 一・・・原始仏典 法句経の因縁譬喩譚を説明した経
  • 大毘婆沙論 第七十・・・アビダルマ発智論の注釈書
  • 正法念処経 巻二十二・・・原始仏典・部派仏教の正量部の説
  • 仏本行集経 第五・・・阿含経関連の本縁部
  • 大乗理趣六波羅蜜多経 巻三・・・大乗経典
  • 瑜伽師地論 巻四・・・唯識派経典
  • 大般涅槃経 十九・・・大乗経典としての大般涅槃経
  • 摩訶摩耶経 巻下・・・中国撰述の偽経
  • 往生要集・・・源信作、大乗理趣六波羅蜜多経より引用

というのがあるようです。

ほとんどが原始仏典や部派仏教の情報です。天人五衰は、阿含経などの原始仏典に伝承されていますので、信憑性のある情報かもしれませんね。

原始仏典 増一阿含経第二十四 善聚品第三十二-六

そんな天人五衰に興味津々となり、三島由紀夫本にもあった原始仏典「増一阿含経第二十四 善聚品第三十二-六」をチェックしましてね。

このお経には、天人五衰にまみえ苦悩する天子の様子が描かれています。

天子はまもなく寿命が尽き、次は人間に生まれることを察知。で、豊潤で贅沢な天宮の生活が終わることを愁憂し、苦悩。

いくら絶頂の栄華を誇っても、いつかはそれが終わってしまう。しかも苦しみとともに。その天子は、何事も変化していること(無常)に虚しさをおぼえ、仏法に帰依することを欲します。

で、この天子は、その後間もなく人間に転生。出家してブッダの弟子になり、解脱の道を歩む。

そういうお話しです。

神々の幸福よりも解脱・悟りが望ましい

スピリチュアルでは天使や神さまは大人気です。が、その天使にしろ、神さまにしろ、いずれ寿命が尽きます。で、苦悩します。

すべての命あるものは死を迎えますが、三十三天の天人が死を迎えるときは、かなり懊悩するようです。

解脱・悟りを求めるのは、こうした栄枯盛衰を味わい尽くし、その虚しさを知り尽くしているからなのかもしれませんね。

天人五衰。神々が死期にまみえる死の苦しみ。いやあ興味津々です。で、意味深です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です