天界とは六欲界・色界・無色界
天界。
あるいは天上界。
どちらも同じ意味ですね。
神界は天界にある神さまの世界です。
神さまは、天界の住人(天人)のお一人です。
で、「天界」の仕組みや構造は、原始仏教が最も整っています。また最も正確かもしれません。「パーリ仏典」という原始仏典に伝承されています。
パーリ仏典は、大霊能者でもあり阿羅漢となったブッダのお弟子さん達によって検証されている情報です。かなり信用できる情報です。
で、天界の仕組みや構造は、後述しますが、
・六欲界
・色界
・無色界
という三層から成り立っています。
天界の仕組みを説く古典
ちなみにスピリチュアル関係でも、天界・天上界のことは頻繁に話題にあがります。
といいますか、天界の住民達のメッセージが、著書にもなっているくらいです。
これら天界に関して、原始仏典以外でも信頼できる情報もいくつかあります。
たとえば古典では、仏教(原始仏典)のほか、ダスカロス、シルバーバーチ、スウェーデンボルグといった辺り。
このあたりは、おおむね大丈夫であるかと思います。先述の通りで、中でも仏教で説く天界はかなり詳しく正確だったりします。
なお天上界とは天界よりも上にある天界ですね。仏教でいうところの色界・無色界です。
天界はいつもハッピーで楽しい
しかしながら、天界、天上界に関しては、パーリ仏典の伝承のほかに、先ほどの、ダスカロス、シルバーバーチ、スェデンボルグらの情報も交えますと一つの共通した見解が得られます。
天界、天上界とは、一言でいえば「いつもハッピーで楽しい気分」な世界のことになります。
精神的に生きると、気、オーラの点において、大変美しくなります。またものすごく精神的にハッピーになります。
精神的に美しく、きよらかであろうと努めた生命は、天界へ転生します。
で、亡くなったら、その徳の大きさ、精神的なピュア度に比例して、それぞれにふさわしい天界に生まれ変わります。
しかもハッピーといっても、下品であったり、意地悪であったり、背徳な行為に基づくハッピーさではありません。徳性に根ざしたハッピーな状態、それが天界の世界です。
原始仏典が説く天界の情報は信用できる
ちなみに仏教が説いている世界観が一番信頼できるかなと思っています。
なぜなら、完全に悟り、大神通力を持った阿羅漢という聖者らが数百人も集まってその内容を確かめあっているからなんですね。
その確認しあった内容が「パーリ仏典」という経典に残されています。こうしたソースを元にした文言集ですので、かなり信頼できる情報だと思っています。
パーリ仏典は、精度が高く、信頼の置ける超一級資料にもなります。
一人の霊能者、しかも悟っていないちょっと毛の生えた霊能者が語る天界と、仏教の天界情報はまったく次元を異にしていると思っています。
原始仏典の問題
ただし、パーリ仏典や阿含経での言語化や表現には、やや問題もあるような気がしています。
さすがに2500年前の頃と現代とでは、言語化の適切さ、表現力の豊かさにおいて違いがありすぎる印象があります。
やはり、現代のほうが言語化、表現は、適切であり精妙である感がいたします。
ですので、パーリ仏典といえども、表現などの細かい点においては、諸手を挙げて全面賛成というわけにはまいりませんが、それでも骨子は充分に信頼に足る情報ですね。
パーリ仏典に伝承されている天界~六欲界
ところでパーリ仏典によりますと、天界は大きくわけると6層から成り立っています。
原始仏教では、大きく分けて6層とみなしています。この階層によってハッピーな気分も違ってきています。に天界の6層とは上から順にいうと、
- 他化自在天(たけじざいてん)・・・神々を自在に扱う神。
- 化楽天(けらくてん)・・・好きなものを自在に生み出せる神。
- 兜率天(とそつてん)・・・4番目の快楽の天。仏教徒が多い神。
- 夜摩天(やまてん)・・・3番目の快楽の天。
- 三十三天(さんじゅうさんてん)・・・二番目の快楽の天。一番広く多彩な神の世界。
- 四天王天(してんのうてん)・・・一番下の天。時々人間にアクセスする。
http://www.bukkyouoshie.com/rokuyokukai/
という6つの世界です。
6層から成り立っていますので「六欲天」といっています。これが仏教が説く神々の世界です。
六欲天の天界はハッピーで楽しい世界
六欲天の天界は、ハッピーで楽しい世界でして、その楽しさとは、人間の楽しみが露一滴とすれば、神々の楽しみは大海に匹敵するというくらい、想像を絶する楽しみと快楽であるといいます。
いってみれば苦しみだらけの地獄や餓鬼の世界とは正反対の世界ですね。
こうした常に快楽を受けている世界が天界だったりします。とにかく楽しいわけです。
色界や無色界という天界
また、天界も上に進むにしたがって煩悩が少なくなり、ハッピーな気分や楽しさもいっそう深まり、精妙になっていきます。
色界や無色界がそうです。上品さや気品さといった性情も一段と洗練され清まり、人間でいえば理想的過ぎる気質や容姿にもなっていきます。
ですが、共通しているのは、ハッピーな気分と楽しさになります。これを「喜(ピティ)」「楽(スカ)」ともいいます。洗練されたり上品な喜びの世界が「天界」です。
神々の世界です。
天界の構造~六欲界・色界・無色界
ちなみに、天界は、このような階層になっています。
()内は、寿命。
- 無色界(精神だけで存在する最高位の天界)
・非想非非想処天(362兆8800億年)
・無所有処天(259兆2000億年)
・空無辺処天(86兆4000億年)
・識無辺処天(172兆8000億年) - 色界(精神と極微細身で存在する最高の天界)
【第四禅天】
・浄居天(69兆1200億年)
・無想有情天(21,600億万年)
・広果天(12,960億万年)
【第三禅天】
・遍照光天(2764億8千万年)
・無量浄光天(1382億4千万年)
・少浄光天(691億2千万年)
【第二禅天】
・発光天(光音天)(345億6千万年)
・無量光天(172億8千万年)
・少光天(86億4千万年)
【初禅天】
・大梵天(64億8千万年)
・梵輔天(43億2千万年)
・梵衆天(21億6千万年) - 六欲界(ほどこしの気持ちが強く、精神的に美しく、きよらかな生命)
・他化自在天(92億1600万年)
・楽変化天(23億400万年)
・兜率天(5億7600万年)
・夜摩天(1億4400万年)
・三十三天(3600万年)
・四大王天(900万年)
馴染みの深い龍神・天使・山の神は四大王天の神(天人)
ちなみに、龍神とか、お稲荷さんとか、天使、山の神といった精霊は、一番下の「四大王天」という天界の、もっとも人間界に近い下層になります。
ええ、馴染みの龍神とかの精霊は「四大王天」の最下層になります。
って、どんだけ天界って広いよ?
って思うでしょうね。
また、人間が接している天界(天界の神々)は、天界の中でも低い領域です。神社の神様も、せいぜい「三十三天」クラスです。
もっとも、人間が心を浄める修行をしていると、夜摩天クラスの「ヤッカ」といわれる高品位な神霊が守護神となることがあるといいます。
ブッダクラスになると、「色界」クラスの梵天が付き従うことが経典にあります。
天界では慈悲・ほどこしなどの美徳や芸術性が幸福の元
そういうのがありますが、人間界では、精神性は、その定量化が困難なため、大切と思えても、評価そのものが低くなったりしがちです。
そのため、定量化のできる「物質」が重視され、ウェイトが置かれます。
ところが、逆に天界では、精神性こそが最上の扱いになります。
精神性、芸術、利他などの美徳。
精神的な美しさ、きよらかさ。
これらはすべて、天界では繁栄する要素です。天界では花開くものばかりです。
天界では物質のウェイトはほとんどありません。そもそも思ったことが、そのまま物質となる世界です。思考や感情が、そのまま物質化する世界です。
精神的な波動が重要。精神的な豊かさが、そのまんま豊かさや幸福となって表れる世界。
それが天界。
人間界とは真逆なんですね。
人間界ではお金・モノ・人脈の物質性が幸福の元
人間界では、お金な財といった物質的なものを追求し、多く手にすれば豊かになる世界。
精神的な美しさ、きよらかさは、人間界では「あればいいよね」と思われている美徳です。
が、人間界では、実際の豊かさや繁栄には、直接、結びつきません。結びつくときもありますが、ほとんど関係ありません。
人間界では、物資的な多寡が、幸福の多寡になります。具体的にいえば、お金、モノ、人間といった物質的で定量化できるモノが、多ければ多いほど、豊かで、幸福に過ごすことができる世界です。
精神性、芸術性、思いやりなどの美徳は、大切であるとされても、それは「おまけ」みたいな扱い。
実際、どんなに精神的にきよらかでも、お金や豊かさにはつながるとは限りません。
いや、場合によっては、清貧となって、貧困に陥ります。それが人間界。
天界とは、逆。
天界と人間界とでは、原理原則と仕組みがまったく異なります。
人間界で成功し豊かになるためには「ほどこし」が秘訣
ちなみに、人間界で豊かになりたいと思えば、それは簡単。
「金品を施すこと」です。
ええ、お金やモノをほどこすことが大事です。現物を施すことを続けていると、金品に恵まれるようになります。これを続けること。
とにかく、「ほどこし」「与える」を続けていく。そうすると、豊かになり、成功しやすくなります。
で、だから人間界には、汚い心であっても、金品に恵まれる人がいるわけなんですね。
こういう人は、過去世において、心は醜くても金品を施し続けた人です。
あるいは、善人で、施しも多くした人であっても、復讐心に燃えていたり恨みを持ち続けていた人ですね。
虐げられた善人だった場合です。
精神的に汚いと餓鬼・地獄・畜生の境涯になる
けれども、精神的に醜く汚い生き方をしていると、餓鬼、地獄といった低層アストラル界や、恐怖とおびえにとらわれた畜生(動物)になります。
動物は、純粋だよね、
なんてゆー言い方も聞くことがありますが、それは見た目だけ。動物は、悩み惑い常におぼえている上に知性がない存在です。その精神の波動は、常に不安、おびえ、恐怖に染まった状態です。
常に、何ものかに狙われている、死んでしまうのでは、とにかく生き抜こうといった刹那感。
こうした低次の波動に染まった物質界の生命が、畜生(動物)です。
人間よりも、はるかに低い存在。
不幸な存在。
それが畜生(動物)。
生命をまとめると、
無色界・色界(最高) ⇔ 地獄界(最悪)
六欲天界(上等) ⇔ 修羅界・餓鬼界(下等)
人間界 ⇔ 畜生界
こうした相関関係があります。
天界へ転生することよりも優れているのが「悟り」
ただ、すべては物語です。
ストーリー。
どういう世界に生きていても、すべては、物語。
ストーリー。
天界であろうが、人間界であろうが、どういう世界にいても、すべても「物語」。
「ストーリー」。
で、物語は物語と喝破して、どこにも「自分」がいないことを知り、広大な宇宙こそが本当の自分であることを体感して、スルりと離れることができるのが、いですね。
悟りです。
これができれば、どういう生き方をしても、まあ、いいんじゃないかとも思います。
そう、すべては幻想。
こうして、今、いること自体が、本当は幻想。
が、幻想といっても、森羅万象が幻想だなんて、いきなりそんなハイレベルなことは体感できません。
森羅万象を幻想だなんてするのは、それこそ幻想・妄想になりかねません。観念の遊戯は止めましょう。
そうじゃあなく、この「自分」という感覚、意識する心。これこそが幻想。
まず、打ち破る必要がある幻想。
「自分」という感覚。
夢。
小さな世界に感じる「自己の感覚」。
これがあるから、輪廻転生を無限なくらいに続けて、いまここにいる。
そして、未来も生まれ変わり続ける。
覚者は、これを如実に喝破し体感していますが、やはり、この認識に開けるのが肝要ですね。
悟りが究極。
長い長い、気が遠くなるほどに続けている記憶喪失なプレイヤーの輪廻ゲームに、終わりをもたらすことが最善です。
ゲームにハマりこんで、リセットばかり繰り返しているのなら、おかーちゃんが後ろから「アンタ、何やってんの!」と、その愚かな姿にあきれかえって、叱られますよ。
が、この姿こそ、生まれ変わりをし続けている私たちの姿そのもの。
本当の自分、意識から「アンタ、はよ気づきなさんな」と叱責され続けているのはこれまた自明の理ってモンです。