橘逸勢神社~三筆の一人を祀る神社
浜松市三ヶ日の探訪は続きます。
三ヶ日って意外なものがあります。
この前、紹介した元伊勢の「濱名惣社神明宮」もそうです。まさか、元伊勢が地元にあっただなんて、すわ驚き。
それに続いて、驚いたのが、平安時代に「三筆」で著名だった「橘逸勢(たちばなの – はやなり)」を祀る神社があったと。
それが「橘逸勢神社」。
道沿いに目立つ看板。
これなら、道路を走っていれば誰でもわかります。
簡素な社です。
三筆の一人の橘逸勢
橘逸勢神社は、道を走っていてたまたま見つけたのですが、まさか地元、三ヶ日に、三筆の一人を祀る神社があったとは、まったく知りませんでした。
ちなみに「三筆」とは、「弘法大師空海」「嵯峨天皇」「橘逸勢」ですね。蒼々たる顔ぶれです。
橘逸勢は、空海と一緒に唐へわたっています。ま、国家の要人ですね。
で、濱名惣社神明宮もそうですが、橘逸勢神社があることは、郷土史で教えたほうがいいでしょう。
こういうのは入試には関係の無い「教養」になりますが、地元の地理・歴史を知っておくことは、必要じゃないですかね。結構、役立ちますし。
非業の死を遂げた橘逸勢
で、「橘逸勢神社」ですが、なんでこんな僻地に神社があるかといえば、橘逸勢は、この近辺の「遠江国板築駅(とおとうみのくに – ほうづきえき)」で亡くなっているからです。
なんでも橘逸勢は、承和9年(842年)に、嵯峨上皇亡くなった直後に、皇太子を東国に移してしまおうと画策し、それがバレてしまって逮捕。
で、謀反を企てたということで拷問を受けます。
厳しい拷問を受けたとか。
しかしそれでも罪を吐かなかったということで、流罪の刑と非人の刑という重罰。
橘逸勢は死後、神社に祀られる
かつては空海とともに唐へ渡った国家の要人だった橘逸勢が、島流しの刑と非人という重罪に。
で、伊豆へ島流しされます。
ところが伊豆へ移動する途中、この板築駅(ほうづきえき)で亡くなったと。
病気で亡くなったみたいですね。
享年60数才。
で、そのまんま、ここで弔ったと。
で、神社を建てたと。
そんな歴史があるようです。
伊豆に島流しされていたら、こんな感じで神社を建てて、神として祀られることもなかったかもしれませんね。橘逸勢としては、不幸中の幸いだったのかもしれません。
で、「板築駅(ほうづきえき)」は、現在の浜松市北区三ヶ日町日比沢辺りであるとか。立て札も出ているみたいですね。
【参考サイト】
◎橘逸勢を祀る浜松「橘逸勢神社」
http://guide.travel.co.jp/article/12176/
◎橘逸勢
https://ja.wikipedia.org/wiki/
◎橘逸勢死した板築駅は
http://yoyoryuu.dosugoi.net/e949635.html
橘逸勢神社の境内
境内は、とても狭いのですが、その中に珍しいものもあったりします。
これは、逸勢の一人娘「妙仲尼(みょうちゅに)」の孝行をたたえた旌孝碑(せいこうひ)。
妙仲は、お父さんが流罪になったと聞いて、後を追ったそうです。が、亡くなったことを知って、悲しみに暮れたそうです。
で、娘は父を埋葬し、尼となって、名を「妙仲」と改めたと。そうしてお父さんの墓の近くの庵で生活し、お父さんの菩提を弔い続けたといいます。
そのことが旌孝碑(せいこうひ)となって祀られています。
三筆の橘逸勢の徳にあやかりたいためか、「日本書道芸術学院」でも碑を建てています。
それにしても、三ヶ日に、三筆の一人だった橘逸勢(たちばなの はやなり)を祀った神社があったとは知りませんでしたなあ^^;
もう、この日、カルチャーショックといいますか、地元にいながら初めて知る郷土史に、なんとも初々し新鮮な気持ちになったものです。
三ヶ日はいいですなあ、
こんなに良いところだったりは知りませんでした。
また行ってみるべ、って気持ちになります。