首楞厳経~禅定に関するお経だが2種類ある
首楞厳経(しゅりょうごん‐ぎょう)。ネットで検索しても、ほとんど情報らしい情報が出てこないお経なので、ちょっと書いてみたくなりました。
そもそも、このお経は、禅定(サマーディ)について説かれたお経です。大乗仏典にカテゴライズされます。
が、大乗仏典だからといって「偽経」とか言うのは、さすがにナンセンスでしょう。勉強不足ですね。中身をよく吟味してからにしたほうがいいでしょう。
で、首楞厳経(しゅりょうごん‐ぎょう)。このお経は2種類あります。
- 首楞厳三昧経(上下二巻)
- 大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経(全十巻)
という2種類です。で、どちらも略して「首楞厳経(しゅりょうごん‐ぎょう)」。紛らわしいですね^^;
で、どちらも「禅定」に関するお経です。
- 前者は、上下二巻。4〜5世紀。首楞厳三昧の効能と功徳について説いた経。
- 後者は、全十巻。大著。8世紀。禅定の効能や功徳、佛頂神呪、魔境を説いた経。
同じ禅定に関するお経ですが中身は異なります。
こういったこともありますが、「首楞厳経」には2種類ありますので、それぞれを、ちょっと説明してみましょう。
首楞厳三昧経(śūraſgamasamādhi-sūtra)
- 上下二巻。
- 鳩摩羅什(くまらじゅう)が、4〜5世紀(300年〜400年頃)に漢訳。
- サンスクリット語の原典は断片的に残っているだけ。
- 「śūraſgama」とは「英雄的行進」という意味。おそらく「金剛」とほぼ同じ意味であろう。
- この経の注釈書は少ない。
- このお経は首楞厳三昧(Śūra?gamasamādhi)の効能や功徳を説く。
- この三昧に至れば、次のような功徳が得られる。
- 涅槃に至りやすくなる。
- 神通力を得て、すべてが如意(自在)になり、智慧が得られる。
- 六波羅蜜の功徳が得られる。
- 財、威儀などの徳が得られる。
- 四禅、四梵処よりも優れる。
- 白傘蓋陀羅尼(はくさんがい-だらに)の功徳を説く。この陀羅尼は、あらゆる魔障を撃退し、禅定に専注でき、真実知見を得て解脱できるとされる陀羅尼(真言)。
神通力で救済をしていた中国禅の時代に登場したのが首楞厳三昧経
ちなみに、この首楞厳三昧経は、中国に禅が入り広まり始めた4世紀、神通力が卓越していた「仏図澄(ぶっとちょう)」らが活躍していた頃に登場したお経です。
そもそも中国禅は、初期の頃は神通力を発揮して、国王や人々を救済し、指導し、悪行を離れ善行に仕向ける手段として頻繁に使っていたものです。それが初期の「禅」。
事実、慧皎 (えこう)がまとめた「高僧伝」には、神異(じんい)として、神通力を発揮した晋・宋の時代の僧侶、20名の名を挙げています。
当時は、禅定による神通力で人々を導いていた時代だったことが、こうした記録を読むとよくわかります。
「高僧伝」を読んでいると、この時代の人達は、知的に弱く、道理にもくらかったことがわかります。それだけ人品も劣っていたとみますこともできます。
今とはかなり違う、「本能全開」に近い時代だったでしょう。だからこそ神通力という「力」を示して納得させるのが、当時はもっとも効果的だったのだと思います。
初期の中国禅では戒・定・慧を修行していた
ちなみに、中国における初期の禅は、「戒・定・慧」の三学による修行スタイル。事実、当時の僧侶のほとんどは、戒を守る品行方正な僧侶だったものです。うーん、今の僧侶とは違いますね^^;
で、当時は、戒を修め、禅定を究め、智慧を得ていたと。修行による副産物として授かる「神通力」を使って、人々を教化していたということですね。これはお釈迦さま在世の頃の時代とほとんど同じスタイルです。
当時の中国初期禅における修行のアプロ−チが、「戒・定・慧」の三学スタイルだったことは白眉です。
大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経
- だいぶっちょうにょらい-みついんしゅしょうりょうぎ-しょぼさつまんぎょうしゅりょうごんきょう
- 十巻。
- 般刺密帝(ばんらみたい)が、8世紀(700年)初期(唐の時代)に漢訳。
- このお経は、中国で撰述した疑経の可能性が高い。
- 宋の時代以降、中国の禅の世界で流行する。
- 注釈書は多い。
- 禅定を力説。
- 第七巻には、「佛頂光明摩訶薩怛多般怛羅無上神呪」(ぶっちょう-こうみょう-まかさったんだ-はんたら-むじょうじんじゅ)の陀羅尼を説く。略して「佛頂神呪」。阿羅漢になれる真言という。
- 第九巻・第十巻では、禅では有名な「魔境」について詳しく解説。
- 五陰(ごうん)を通じて表れる50種類の魔境を説く
- ・色陰の魔10種・・・視覚、聴覚、触覚などリアルな感覚をともなって表れる魔
- ・受陰の魔10種・・・心象作用の魔、感情や情緒に表れる魔境
- ・相陰の魔10種・・・思考・欲が引き起こす魔、妄想の魔、天魔(自在天)の誘惑
- ・行陰の魔10種・・・邪見を生じる魔、誤った見解を抱く魔
- ・識陰の魔10種・・・最高度の迷い・魔境。空や寂滅を体感するもここで誤る魔
|
一切の物事は無いとする宋の時代の禅が盛んだった頃に流行したお経
ちなみに、この「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」は、中国の宋の時代に盛んになります。当時、このお経は流行したようですね。
で、宋の時代では、禅では、無事の禅、無の禅が盛んになります。一切の物事は無いとする禅ですね。「無じゃ」といえばわかりやすいかもしれません。
無事の禅、無の禅は、碧巌録、臨済録にみられる禅ですね。禅が変容して、最終形態を迎える時代です。
で、この頃の禅では、あらゆるものを否定し、無いとします。「無、無、ム、ム、ム・・・」
で、この頃に「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」が流行したということですね。
ちなみに、中国禅は、
- 初期の禅・・・「戒・定・慧」による四禅八定型
- 菩提達磨系の禅・・・「戒・定・慧」に沿う智慧の禅(乾観者、頓悟&漸悟)
- 南宗系の禅・・・碧巌録、臨済録にみられる無事、無の禅(頓悟のみを認める)
といった3種に大きく分けることができます。日本の禅は「3」の禅です。だから頓悟しか認められていません。本当は頓悟も漸悟も両方あったわけです。
魔境のお経として有名な大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経
で、このお経は「魔境」について語っているお経として有名なんですね。その内容の一部は、上記にも書いた通りになります。50種類の魔境を解説しています。
ただ、このお経が流行した当時は、無の禅が盛んだった頃というのは、踏まえておく必要はあるかと思います。
しかも「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」は、中国で撰述した疑経です(その可能性が高いといわれています)。
当時は「無の禅」が主流だった時代ですので、瞑想中にあらわれる現象を、ことさら否定して、悪者扱いにする傾向が出るのもうなずけましょうか。
が、瞑想中に生じる「光」の中には、似相(ニミッタ)といって、瞑想を深める手がかりになるものもあります。
実際、ミャンマーのパオ森林僧院では、瞑想中にあらわれる光(ニミッタ:似相)を手がかりにして、禅定を深めていくことを教えているところもあるくらいです。
瞑想中にあわられる光を、十把一絡げに妄想、変性意識として、魔境扱いにするのは、さすがに行き過ぎではないかと思います。
で、このように十把一絡げに「魔境」扱いにする傾向は、この「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」が編纂された(創作された)当時の中国では、一切の物事を否定する「無の禅」が盛んだったことと、何らかの関係があるんじゃないかとも思います。
首楞厳経は最勝最高最善の禅定のことを説いたお経
以上の通りとなります。
「首楞厳三昧」とは、最勝最高最善の禅定ということでしょうね。
で、「首楞厳経」には2種類あるってことですね。それぞれ異なる中身。どちらかといえば「魔境」のお経として、後者の「首楞厳経」が有名かもしれませんね。
首楞厳経を読んでいますと、禅定が必要であることがわかってきます。禅定の効能には、
- 心身の浄化
- 善根の強化
- 修行をしやすくする能力の獲得
- 現世(一般社会)に応用すれば、人間関係、財、能力等の面で優れ生きやすくなる
- 希望や願いがかないやすくなる(その希望や願いそのものが世間に益する願い)
- 菩薩的な生き方ができるようになる
といったメリットがあります。
ただし禅定の進め方を失敗すると、性格に偏りが出てきたり、気難しくなったり、欲が強くなるなどの魔境的な作用が出てくると、デメリットになるリスクもあります。これは、いわゆる「邪定(ミッチャーサマディ)といわれるものです。
そもそも禅定には、2種類あります。
- 正定・・・正しい禅定(リラックス、安泰、ゆったりを通して達する禅定)
- 邪定・・・間違った禅定(緊張、痛み、力みを通して強引に至る禅定もどき)
よくいわれている禅定の問題は「邪定」です。「邪定」は間違った禅定ですね。
「邪定」と「正定」が混同されてしまって、禅定そのものが悪いように言われてる場合もありますが、それは誤りですね。
正しいアプローチで禅定を得ることができれば様々なメリットが出てきます。智慧をサポートすることもできます。それに「念(サティ)」の本来も、念であって、動中禅と同じという指摘もあります。
適切な禅定や定によって、あるがままに受け入れる力が出てきたり、意志が強くなったり、周囲に流されにくくなる性質も出てきますので、厳しい現代社会でも生きやすくなる効能も出てくるんじゃないかと思います。もちろん修行もしやすくなるでしょう。
「首楞厳経」は禅定に関する古典になります。で、適切な禅定(正定)は有益だと思いますね。