守破離の意味
守破離。
時々聞きますね。
守・破・離(しゅ・は・り)。
伝統芸能や武道の世界でよく言われることです。文字通り「守って、破って、離れる」ことですね。
まずは伝統にのっとって、外れることなく、みっちりと行う。これが「守」。
で、伝統の型なり、教えなり、作法なりが、しっかりと身についてくると、次第に我流ではない、自分にあった要素が入ってくる。伝統に立脚しながらも、オリジナリティが加わる段階。これが「破」の段階。
そうして自分らしい個性がさらに深化していき、表面的には伝統とは微妙に異なりながらも本質は据えているという深みを帯び、そうして独自の道を歩む。これが「離」。
「守破離」とは、いろいろな説明もありますが、おおよそこういうところではなります。
このことは、様々な方面でも当てはまると思います。「守破離」はいろいろな所で当てはまりますね。
守破離では「守」が大切
どれも大事な段階ですが、「守」は最も大切です。まずは先人達が残した教えなり、約束に従って、徹底的に真似をしていく。
この段階で、いきなり自分の判断や見解などは入れない。ただ愚直になって、ひたすら教えや伝統に則って行っていく。
実践をしていく。
ただひたすら。
言われた通り。
自分の見解は入れない。
入れたいと思っても、教えや伝統を優先する。
重んじる。
工夫を凝らすが、伝統を優先する。
とにかく伝統を重視し、ここから外れない。
これを自分が納得するまで、身につくまで、
腑に落ちて、自然になるまで、とにかく続ける。
続ける。
続けまくる。
徹底的にこれにしがみつき、ひたすら教えや伝統に則る。
端から見れば、頑固で、融通が効かず、愚か者に見えるかもしれない。
それでも愚直に従う。
守に徹すると真髄がわかるようになる~本当の守破離
守をずっと続けていきますと、次第に伝統的な教えや型、実践方法が、「何をいわんとしているか」が、自ずと判ってくるようになります。
ここに来て、ようやくオリジナルを入れることができるようになります。
創意工夫の始まりです。
創意工夫といっても、伝統に則ったかたちになっています。試行錯誤の連続になっていきます。
これが「破」。
この試行錯誤を続けていくと、ようやく自分なりの答え、やり方が見えてくる場合があります。
そうして、その答えなりを、さらに深化させていきます。身に付けていきます。修習を繰り返していきます。
ここに到って独自の道を歩むようになる。
「離」。
おそらく、こういうものではないかと思います。
守ができていないと間違えやすい
しかし「守破離」の「守」ができていないと、とにかく誤解もしやすい。
たとえば「守」が充分にに出来ていない人は、「破」や「離」の段階に入った人を見ると「な、何、勝手なことをやっているよ!」と激怒することもでてきます。
または、その逆で、「守」をやっている最中なので、「破」「離」の人が理解できない。
で、ここで批判や中傷も起きやすくなります。こうしたことは、伝統を重んじる世界では、時々見られます。
もちろん、本当に勝手にやっている場合もあるでしょう。ですが多くは、よく分からない「守」の人の浅はかな見解だったりします。
守の段階では伝統に従う
ですから、中途半端な知識や経験が無い「守」の段階では、あんまり、あれこれと言ってはならんわけでもあります。
封建的に聞こえるかもしれませんが、「守」の段階にあり、よく分かっていないときは、余計なことは言ってはならない。
まずは、黙って、伝統に則って、実践すること。そうして、深めていくことです。
独学でも守から始める
これは、独学で、書籍やテキストを相手にして学ぶ時も同じです。
まずは、書いてある通りのことを覚える。やってみる。
一回やっただけで「ああ、こんなものか」ではダメ。
これでは、お話しになりません。
「小賢しい」だけです。
何度も、何度も。
繰り返し、繰り返し。
ただひたすらに。
そうやって繰り返し憶え、練行することによって初めて工夫の仕方や、オリジナリティなどが見えて来ます。
守破離は遠回りに見えて近道
「守破離」のやり方は、時代遅れの感があるかもしれません。封建的で、高圧的、上から目線に感じることも多いかもしれません。
今なら、もっとまとまって、ノウハウ、ハウツーになっていたり。講師の先生も丁寧に教えてくれたり。
しかし、守破離に従っていくことが、実は、己の知見や技能などを深め、広げる、効率の良いやり方でもあったりします。
遠回りに見えて、実は近道。
まずは、型なり、教えなり、伝統なりを学び、知り、身に付けていくやり方が物事を憶えたり、身に付ける道を歩む上においては、真っ当なことが多かったりします。