今や「反・グローバリズム」の流れ
ちょっと見かけた記事。
◎反・グローバリズムの結集を(前編) | 三橋貴明
◎反・グローバリズムの結集を(後編) | 三橋貴明
◎日本の奇妙な死 | 三橋貴明
三橋TV第30回【グローバリズムのトリニティ】
とてもよい分析であり指摘ですね。さすが三橋貴明氏。グローバリズムの問題点が浮き彫りにしています。
グローバリズムとは、富裕層。グローバル企業を富ませる。しかし人数からいえば、少数派。
大多数なのは、一般人であり、大衆。だから、反グローバリズムなナショナリズムや経世済民派に多数派を形成されると、グローバリストは絶対に勝てなくなる。反グローバル派に多数派を作らせないためには、些細なことで大衆を対立させて、分断させる。
グローバリズムへの疑問
しかしながら、
- 大企業・・・グローバリズム・バブルから抜け出せない
- 中小企業・・・共同体企業のネットワークを志向
ということにもなっていくのではないかと思います。実際、確かにこうした流れにでもあると思います。で、大衆も気づいています。
20世紀以降、爆発的な勢いで伸びてきた「グローバリズム」に対して、疑問を持ち始めている人も多くなっています。
これはいいことですね。といいますか「健全」です。
大量生産して安く良いモノを提供することで伸びたグローバル企業
「大量生産して、安く、良いモノを提供」という触れ込みは、登場した当初は、その利便性が強調されて、大歓迎したものでした。
コストを削減し、効率よく大量にモノを生産し安く販売する。この実現のために経営組織にも工夫が施されて、やがて大企業から多国籍企業(グローバル企業)へと躍進もしていったものです。
こうした「コスト削減、効率化」を実現するために、近代の「大量生産方式」が、アメリカの自動車メーカー・フォード社によって開発されたことは有名な話しですね。
その後、トヨタの「看板方式」といったシステムも誕生しています。より精密な大量生産方式です。
必要なときに必要なものを提供するといった「コスト削減と効率化」を顕現させた究極の大量生産方式です。
80年代の日本を代表する世界に冠たる「かんばん方式」と言われて絶賛された時代もあります。
効率化の追及は巨大資本のある企業が有利
しかしこうした徹底した「効率化の追及」は、巨大な資本を持った大企業だからこそできるわけです。中小企業には出来ません。
ですので、中小企業は、大企業の前に破れ、陶太され、吸収されたりして消えていったものです。
大企業は、その大資本を背景に、巨大な生産設備を構築し、徹底的にコストを削減し、効率化することで、安くて良いモノを提供するシステムを追求。この方針は、20世紀以降、金科玉条のように信奉されてもきています。
販売にしてもそうです。80年代から導入されたPOSシステム。
お客が何を購入し、何を求めているか、どこのお店で何が売れて、何を、いくつくらいの数を仕入れればよいのかといったことが可能になっています。セブンイレブンなどのコンビニでは、より進化したシステムを導入しています。
今や「ロジスティック」と言われる「搬送」の分野も巻き込んで、コスト削減と効率化のシステムは完成形にも至っています。
コスト削減と効率化の行き着く先
20世紀から、コスト削減と効率化が宗教のように信仰され、生産方式、販売方式のほかに、ヒト、モノの分野にもコスト削減と効率化が適用されていったものです。安い人件費と安い原材料を確保するということですね。
この結果、安い人件費や原料が得られる国に工場や会社を移動させます。で、効率化を実現できない高い賃金の労働者は追いやられます。
もっとも法律では、一方的に解雇はできませんので、合法的に退社をうながすことも少なくありません。
こうして日本の産業構造も変化していったものです。東京の下町の工場は激減。
世界に名だたる優秀な職人のメッカでもあった東京の下町の工場は、今や風前の灯火。
その技術は、30年くらい前から中国へ移管。吸収。
結局、コスト削減と効率化を追及すると、こうなってしまいます。しかしながら、こうした現象は「勝者必勝の法則」の下で正当化されます。
で、コスト削減と効率化を追及し、国内の産業構造が変化し、仕事が無くなっていくことも「仕方ないね」「時代の流れだから」といって諦めます。
コスト削減と効率化信仰を見直す時期
しかし、こうした「コスト削減と効率化」は、
それ自体、本当に正しいのか?
人々に幸せをもたらすシステムなのか?
本当に効率化は必要なのか?
効率化を追及し、人々は幸せになれるのか?
またこの効率化・コスト削減の末に、国内の産業構造が激変するのは仕方がなかったのか?
答えは「No!」
必ずしも正しくありません。そもそも「コスト削減と効率化」を信奉すること自体、ある種の洗脳になっています。
20世紀から始まった大量生産方式による「コスト削減と効率化」は、企業の論理が優先された概念です。
何故コスト削減と効率化を進めるのか
そもそも何故コスト削減と効率化を進めるのか。答えは明瞭。
ライバル企業に秀でて勝つためです。最終的に自分の企業が勝って生き残りたい。生存競争です。
もっといえば、マネーという支配ツールを背景に、「コスト削減と効率化」という宗教を信じ込ませて、マネー獲得のために企業同士を競争させ戦わせるためです。
根底に「お金の問題」があります。
中央銀行があって、通貨を発行し、そのお金に世界中が巻き込まれ振り回されている。極論を言いますと、お金のために、社会システムがおかしくなっているわけですね。
一朝一夕に解決できる問題ではありませんが、根源的な原因を挙げるとするならば、やはり「お金の問題」に行き着きます。
企業がマネー獲得に戦い競い合っている中、資本家や投資家は、その上がり(利益)を「配当金」という形でガッツリ手にします。
濡れ手に粟です。
実のところ「コスト削減と効率化」は、これを実現するための戦術の一つという見方もできるくらいです。
コスト削減と効率化は人々を不幸にする
大衆に「安くて良いモノを提供」なんていうのは、よくよく考えればおかしな点があります。どこか歪められています。
世界中が「コスト削減と効率化」という経済宗教に洗脳させられ戦いのゲームをさせられてきたというのが本当のところでしょう。
本当に良いモノを提供したいなら、もっと丁寧に作ります。愛情を込めて、それこそ「良いもの」を作ります。
しかし大量生産では、そういう細やかな愛情や思いやりは、そぎ落とされていきます。「コスト削減と効率化」を第一優先するからですね。
「コスト削減と効率化」のためなら、時に労働者をも斬り捨てる。泣こうがわめこうが、非情にも国内の下請け企業をも潰す。
コスト削減と効率化は人々を奴隷にする
今やアメリカでは、刑務所に入っている受刑者を、格安の労働者として派遣ビジネスもしているくらいです。
受刑者は、発展途上国の労働者よりも、もっと安い労働者といいます。しかしこれは「奴隷」ですね。
韓国では新自由経済政策の末、事実上の植民地化しています。韓国の国民は、失業と貧困にあえぎ、モラルはますます悪化。その恨みの矛先を、反日政策として、日本にぶつけても来ています。悪循環ですね。
「コスト削減と効率化」を追及していくと、最終的には人々を不幸にします。非人道的にもなります。
こうした事実は冷酷です。しかし「これが経済活動ってものだよ」と言われたりもします。あるいは「経済は弱肉強食だ」と。こうしたことが当たり前のように言われたりもします。
しかしやっぱりおかしい。
けれどもこの思想が浸透しているため、疑問すら出てこない人もいます。「コスト削減と効率化」は宗教のようで、その教えと洗脳は深く染みこんでいます。見方を変えれば、「大変上手な布教活動をしている」と受け止めることができます。
コスト削減と効率化を喜ぶのは資本家・株主・企業経営者
こうした「コスト削減と効率化」を追及し続けることは誤りということです。必ずしも正しくはない。
結局、「コスト削減と効率化」を追及しても、大衆には、本当に良い意味でのモノは提供されません。
労働者も、下請けの個人商店や企業も、幸せになれません。「コスト削減と効率化」という信仰の下で、斬り捨てられることも出てきます。実際、斬り捨てられてきました。
「コスト削減と効率化」を信仰すると、一番喜ぶのは、その大企業やグローバル企業の経営者、資本家や株主です。
もっといえば「株主」でしょう。株主が喜び、株主が儲かるために、「コスト削減と効率化」を追及する企業経営のゲームです。
株主の中でも最大なのが国際金融資本です。銀行関係者ですね。
「コスト削減と効率化」を追及して、一番喜び、儲かるのはごく一部の人達です。「コスト削減と効率化」は、ある意味、まやかしでしょう。
反グローバリズムが人類にしあわせをもたらす
ほら、こう考えてくると、答えは見つかります。
「反グローバリズム」
です。
新自由主義的な経済からの脱却ですね。病的な「コスト削減と効率化」からの脱却といってもいいでしょう。
で、今やこうした「反グローバリズム」に気付き、目覚めた人達が多くなっています。企業もそうです。「反グローバリズム」は実現しつつあります。
ヨーロッパでは既に政党となって登場しています。
- イタリア「五つ星運動」
- ドイル「ドイツのための選択肢(AfD)」
- フランス「国民戦線(FN)」
- オランダ「自由党(PVV)」
- ウェーデン「スウェーデン民主党(SD)」
- アメリカ「トランプ政権」
もう確実に動き始めています。
また、近未来においてはエネルギーインフラの改革も出てくるでしょう。フリーエネルギーです。
もしフリーエネルギーが一般化されれば、地域や個人レベルでのエネルギー供給も可能になり、自己完結できるようになります。
極端なことをいえば、誰にも依存しないで自給自足の生活もできるようになるでしょう。
ただ、そうした自給自足の生活に至る前に、地域レベルでの共同体で、互いに支えながら自己完結できる経済システムを構築していくと思います。
フリーエネルギーは、決して眉唾なものではなく、実は技術的には既に確立されているといいます。おそらくそうであると思いますね。
「反グローバリズム」が実現されて欲しいと願います。これが実現できると、人類はとても楽になれますね。