江戸時代は戦争がない平和な時代った?
江戸時代は戦争が無く、平和な時代だったといって礼賛する方がいますね。
某ナショナリズム政党の代表の方も、江戸時代を礼賛しています。
しかし本当にそうなのでしょうか?
また江戸時代は本当にナショナリズムな時代だったのでしょうか?
答えを先にいえば「No」です。
江戸時代が平和だったのは「見かけ上」です。
実態は、庶民は怖れ、怯えていました。
しかも日本初のグローバリズムです。
江戸時代は切り捨てご免な封建時代
江戸時代は見た目は平和な時代。が、封建的な体制です。
なので平和に見えたとしても、「お上(かみ)に逆らえばぬっ殺す^^;」ということも行われていたわけですね。
実際、参勤交代のときは、大衆はひざまづいて敬服する風習があったほどです。
で、参勤交代を妨害することをすれば、コロされます。
事実、幕末には、薩摩藩主の島津久光の行列にイギリス人4人が乱入したところ斬殺。生麦事件です。
ちなみに生麦事件がきっかけでイギリスと戦争。薩英戦争にまで至っています。
お上(かみ)に失礼を働いただけで「切り捨てご免」。それが江戸時代。
江戸時代は恐怖と怯えで支配していた時代
そんな江戸時代は、本当に平和なんでしょうかね?
諸手をあげて礼賛できるんでしょうかねー?
ちょっと考えてみればわかるんじゃないかと。
結局、暴力と恐怖でコントロールしていた平和の時代ってことですよね。
当時の人々には恐怖心が根底にあったことは容易にわかります。恐怖に怯えて、見た目はいい子ちゃんにしていたのが実態です。
こうした体制は潜在的な独裁体制にもなりやすく、故に、権威にあぐらをかいて横暴を働いたり賄賂(わいろ)が横行していたことは、今以上に多かったことも推察できるわけです。
こんな時代を礼賛して「平和だった」とかいうのは、ちょっとおかしいのではないかと。
「上辺の平和な時代」というのが本当のところですね。
で、江戸時代の実態は、やや過緊張、雑な思考も多く、むしろ今よりも問題がある時代だったと思います。
江戸時代はグローバリズム時代だった
江戸時代は「グローバリズム(全体主義)」という見方もできます。
というのも、徳川家康が全国統一するまでは、各国が完全独立して自治国を運営していたからですね。
安定した全国統一を果たすのは、徳川家康が初めてでしょう。
それまでは、室町時代あたりから土地を多く所有する者が守護大名が登場し、その地域の統治者となっていますね。
その後、戦国時代になると「天下統一」という動きが出てきて、織田信長、豊臣秀吉らが手がけるも永続はせず、最終的に徳川家康が実現します。
で、天下統一とは「国内のグローバル化」のことですね。また寺請制度は、現代でいえばマイナンバーカードによる管理と本質的には同じとも言えます。
で、こうした動きが、今ではワールドワイドで行われつつあるという見方が出来るかと。
で、「江戸時代がいい」というのは、実のところ「グローバリズムはいいよね」と言っていることと同じなんですね^^;
江戸時代を礼賛するとは、実はグローバリズム礼賛であり、ナショナリストに見えてグローバリストだったということなんですね^^ゞ
グローバリズムは平和をもたらす?
ま、揚げ足を取るつもりはないんですが、ただし、同じグローバリズムでも、江戸時代は、わりとまともなグローバリズムだったとも言えます。
といいますか、そもそも歴史をみると、世界はより大きなグローバリズムに向かっているといえます。
昔は、日本の国内は各国に分かれていたものの、徳川家康が完全に統合。そうして支配。
で、今は世界規模で統一に向かっている。
ですので今起きている「ワン・ワールド」のグローバリズムも、最終的には人々をしあわせにする全体主義になることもあり得るってことなんですね。
それは、日本の戦国時代から江戸時代への移行と、その後の江戸時代をみれば、可能性として推察できるんじゃないかと思います。
「グローバリズム憎し」「グローバリズムこわひ~」と硬直していると、この考えは到底、受け入れることができない話しに聞こえるかもしれませんけどね^^;
グローバリズムが悪いわけではない
江戸時代は封建時代で、恐怖で支配していたのが本当の姿。表面的に平和に見えても、本当の意味で平和ではなかったということ。実態は、暴力と恐怖でコントロールするグローバル時代だったということ。
けれども同じグローバル時代であっても、江戸時代はまだ「マシ」だったということですね。
結局、グローバリズムそのものが悪いわけではなく、「善意なのか悪意なのか」が大事ってことになるわけですね。
で、「悪意の強いやり方が問題」なんだということが浮き上がってきます。
同じグローバリズムでも、愛ややさしさ、徳、善意が豊かであれば、グローバリズムといえども、むしろ人類全体の幸福につながります。
この視点は非常に大事になると思います。
仏教の出家グループはグローバリズム&共産体制
ちなみに仏教の出家グループ(サンガ)は、徹底したグローバリズムであり、共産集団です。
日々の行いに関しても統一したきまりがあります。しかも持ち物の私有はほぼ禁止。まさに共産体制。
で、仏教の出家集団は、グローバリズム(全体主義、共産化)がもっとも善用されたスタイルです。ブッダが生きていた時代の仏教が、まさにこれ。
で、ブッダが在世の頃は、ウルトラ級の精神的発達、超人的能力的の獲得もできた非凡な仏弟子も非常に多く、これが可能だったのは、仏教教団の特徴によるところもあったと思います。
つまりグローバリズム(全体主義、共産化)という生活。
意外なんですが、善意あふれるグローバリズム(全体主義、共産化)は、人間を飛躍的に進化させます。
ブッダの時代の仏教は、グローバリズム(全体主義、共産化)が善用されていた代表的な事例になるといっていいでしょう。「グローバリズム=悪」ではないんですね。
悪意のあるグローバリズムが問題
結局、グローバリズムそのものが問題なのではなく、善意の運用なのか、悪意の運用なのかってことですね。
現在、世界を席巻しているグローバリズムは、ユダヤ・グローバリズムともいいます。聖書、旧約聖書に基づいて、意図的に世界統一を実現しようとしているという説もあります。ただ、この言説は本当なのかはわかりません。
が、ユダヤ・グローバリズムは100年以上前から進められています。
で、これは戦国時代の織田信長のようなやり方ですね。合理的なんでしょうが、無慈悲。徹底した効率を追求し、ひたすら成果を求め、天下統一を果たす。
織田信長は、天下統一したかに見えましたが、部下の裏切りにあって頓挫。その後、ふたたび騒乱の時代へ。
で、徳川家康が天下を統一し、武力と恐怖によって人々を支配。この装置によって、見かけ上の平和な200年を実現。
ひるがえって現在。
同じことが起きようとしているんじゃないかと。
しかし現在は、織田信長や徳川家康のような「日本統一」ではなく、「世界統一」の動きです。
現在進行形のグローバリズムならディストピア?
現在進められているグローバリズムが、このまま進めば、最終的にはAI(人工知能)がジャッジするグローバル世界になるんじゃないかと思っています。
で、これはこれで、まあまあ機能するんじゃないかとも思っています。
ただ、これを実現するプロセスにおいて、
- 多すぎる人口を減らす
- ワクチン接収の推進
- 微毒を含むコオロギなどを食糧にする
- 個人ETF投資を奨めて、資本をブラックロックやバンガードに集中させて企業買収をしやすくし寡占企業を生み出す
- ある時点でETF投資会社のいくつかが潰れて、個人資産を減らすか没収する
- ベーシックインカム体制に移行する
- 世界人類の多くをデジタル監視下に置く
といった「人口削減」と「個人資産の没収」などが行われて、AI管理による「新社会」に適合できる人の「ふるい分け」を行っているんじゃないかと。いえ、すでに行われているような。
で、ワクチンは一種の踏み絵。「君たちは、新しい社会へ生き残るための認知戦に勝てますか?」と問いかける、クイズマスターのようななぞなぞ。
新時代に適合できる人をふりわけるテストという見方もできます。
ちょっと過激な言い方に聞こえるかもしれませんけどね。
もし現在こうしたグローバリズムが進んでいるなら、それは悪意が強いとしか言いようがありません。未来はディストピアになるかもしれません。
「悪い意味」でのグローバリズムですね。で、これが問題。
善意のグローバリズムにユートピアがある?
しかしグローバリズムといっても、愛や希望のあるグローバリズムになる可能性もあるわけですね。
2500年前のブッダの時代にみられた出家集団とまでいかなくても、善意のグローバリズムは、ユートピアになります。
ここはきちんと理解しておいたほうがいいかなと思います。
いたずらにグローバリズムを否定するのはナンセンスかなあと。
ナショナリズムでも暴力的なのはディストピア
ちなみに、グローバリズムの対極として、ナショナリズムが言われています。
しかしナショナリズムといっても、戦前の日本はナショナリズムだったわけですが、一面、暴力が横行し、横暴さもあったわけですね。
ナショナリズムがいいとは限らないんですね。行き過ぎた愛国心は、思考停止のカルトにもします。
ナショナリズムもそうですが、結局は、運用する人々の「善意」が大事なわけですね。で、知性も大切です。
そういう意味で、保守系の政党が舌鋒激しく言っている「ナショナリズム」には疑問の部分もあるんですね。
果たして彼らは善意に運用できるのか。知的にも大丈夫なのか。懸念材料はあります。
戦前もそうでしたが、ナショナリズムでも暴力的になると、ディストピアを迎えます。
「グローバリズム=悪」、「ナショナリズム=善」は、あまりにも短絡的な発想です。
日本発の平和型グローバリズムに期待
で、強欲で無慈悲で悪意の強い「グローバリズム」はよくないんですが、これとは別に、日本発の「慈悲・平和型・グローバリズム」があります。
これは神武天皇以来から続く、天皇陛下の日々の祈りによる日本の統治ですね。
祈りによる平和的な統治。
このことは林千勝さんも提案しています。
で、実のところ、この発想は、キリスト教が提唱する理想的な国家の有り様でもあります。
キリスト教では、「国よりも神の意志が上位に来ることが望ましい」と、古来から言っています。
ただ実際は、教会に権力が集中して腐敗してしまっています。つまり「悪意」に走ってしまったわけですね。
結局、体制云々ではなく、「善意なのか悪意なのか」が大事なわけですね。
で、日本の歴代の天皇がしてきたように、国民のしあわせを本気で祈る天皇。天皇とは神々と人間との取り持ちであるという自覚。人々をしあわせにする仲介者という心得。
こうした心があれば、仮にグローバリズムであっても、ナショナリズムであっても、いえいえどんな社会体制やシステムであっても、社会は平和になります。
つまり善意による運用。
これがもっとも大事なことがわかってきます。
悪意と善意のグローバリズムは違う
結局、グローバリズム(全体主義)は、精神性の低い人達が行うと必ずズッコけるということなんですね。
ナショナリズムも、グローバリズムもそうですが、リーダーや構成員が「善意なのか悪意なのか」が大事であって、実のところシステム自体は、それほど問題にはならないということ。
なんだかんだといっても今の時代は、モノが豊かで、精神的にも非常に優れているところがあります。
トータル的にみれば、昔よりも、物心両面にわたって現代のほうが素晴らしくなっています。
昔が良かったというのは、想像による産物でしょう。今のほうがはるかに豊かです。物心両面にわたって。
問題なのは、権力やお金の力にあぐらをかいている人達ですね。で、こういうのは江戸時代にもありました。いえいえ、昔からあります。
が、今はワールドワードで行われているのと、その規模が大きくなっているため、被害を受ける人達も多くなっています。
で、グローバリズムの「悪い面」が目立っているので、それを改めようとしているってことですね。
こうした大局観は欠かせません。で、このように受け止める必要があると思います。
グローバリズムも善用されれば、これはこれでいいんですね。結局、「悪意が多いのか善意が多いのか」ということになります^^;
まとめ
結局、同じグローバリズムでも、
◆ユダヤ・グローバリズム
織田信長的。無慈悲、合理的、効率、成果主義、強欲。悪徳もはびこる。悪意が強い。
◆日本型・グローバリズム
天皇陛下的。慈悲、平和、つながり、幸福感、協調。善の感覚、徳を重視する。善意が強い。
というように分けることができますね。で、「日本型・グローバリズム」は、林千勝さんも似た提示をしています。
で、リーダーをはじめ構成員が、自発的に精神性を高めていき、善意、愛、平和の心が大きくなってくると、世界は自然にワンワールドにもなっていきます。つまり自然にグローバリズム(全体主義、共産化)するようになります。
強引かつ悪意をもって進めると、かならずスッコけます。これは歴史からもっとよく学ぶ必要がありますね。
で、歴史はより大きな統合に進んでいますので、同じグローバリズムでも、愛と平和に基づく日本型・グローバリズムに移行していくといいなあと思いますね。