アンコール遺跡の知られざる歴史~平和の精神にあふれた巨大な都市国家だった

アンコール遺跡(クメール王朝)の知られざる真実

以前、NHKスペシャルで、アンコール遺跡(クメール王朝)のことをやっていましてね。

アジア巨大遺跡第1集 密林に消えた謎の大都市 〜カンボジア アンコール遺跡群〜
https://www.nhk-ep.com/products/detail/h21465AA

これですね。

家族が見ているところ、たまたま目に入って、で、何気に見ていると、これが面白そう。普段、テレビを見ない私ですが、この番組だけは最後まで見てしまいました。

いやー、アンコール遺跡には驚きましたね。
今まで抱いていたイメージとは真逆。

そもそも昔、「ゲゲゲの鬼太郎」で「アンコールワットの亡霊」なんていうのをやっていて、「未開の土地のさびれた遺跡」というイメージしかなかったものです。

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ところが、実際のアンコール遺跡は、そんな未開な土地の廃墟ではなかった。トンデモない。

アンコール遺跡のアンコールはクメール王朝の首都。融和の精神に貫かれ、平和に満ちた理想の国だったといいます。

アンコールは人口100万人の巨大都市だった

9世紀の頃、現在のカンボジアに誕生したクメール王朝。クメール王朝は、タイの一部を含んでいました。


赤色がクメール王朝(写真引用元:wiki)

アンコール遺跡とは、クメール王朝の首都の痕跡ですね。世界遺産にも登録されています。

ちなみにアンコール・ワット
「アンコール遺跡」の中心にある寺院を言うようですね。たとえていえば、首都東京の中心にある、靖国神社とか、明治神宮といった感じでしょうか。

で、アンコール遺跡となっている広大な場所には、かつて70万~100万人の人々が暮らしていたといいます。ちなみに、江戸時代の東京(江戸)も、人口が約100万人です。

100万人がいれば大都市ですね。
巨大な生活圏です。

平和な社会を実現していたクメール王朝

クメール王朝では、豊かな資源とともに平和な社会を実現していたといいます。争いの無い、まさに理想的な偉大なる社会、文明だったと。

9世紀に勃興して、13世紀くらいまでの約400年間、争いの無い平和な時代を築いていたと。

【カンボジア】🇰🇭アンコールワット

仰天しますね。
平和な時代を400年近く維持。

日本の江戸時代が、約200年間。
争いの無い平和な時代を築いていましたね。

江戸の人口も100万人だったといいます。
雰囲気や空気は、江戸時代の感じと似ているかもしれませんね。

宗教の融和も実現したジャヤ・ブッダ・マハーナータ観音像の設置

で、クメール王朝に関する驚くべき初耳情報もあります。なんと、アンコール(クメール)の王、ジャヤヴァルマン7世は、争いが起きない、さまざまな工夫を凝らしたといいます。中でも宗教対立が起きないように、各宗教を融和したといいます。

それが「ジャヤ・ブッダ・マハーナータ」という観音像の安置。「ジャヤブッダマハーナータ」とは、ヒンズー教や仏教や、その他当時の宗教で拝まれていた仏や神を全部合わせた観音像といいます。

宗教を「統合」ではなく、「融和」させることによって、争いの火種を無くしたといいます。すごいですね。

平和の王ジャヤヴァルマン7世

ちなみにジャヤヴァルマン7世が登場した当時は殺伐とした時代でした。

ヨーロッパでは十字軍を遠征。
まさに「宗教戦争」の時代です。

中国では動乱が続き、
やがて蒙古帝国が登場します。

争いの絶えない時代。

この時代に、クメール(アンコール)の王、ジャヤヴァルマン7世は、争いが起きないように楔(くさび)を打ち平和を実現。

賢明ですね。
転輪王(てんりんおう)のようです。


写真引用元:Wikipedia

ジャヤヴァルマン7世は宗教を融和させて、宗教的対立が起きないように工夫しましたが、そもそも歴代のクメールの王が、寛容性を超える「融和の精神」を有していたとか。

もちろん、細かいことをいえば、そりゃ争いや戦争はあったことでしょう。んなもん、人間の営みですので、あるのは当たり前です。

で、中には、こういう細かいところを突っついて揚げ足を取って、「クメールの王の時代にも戦争はあった」と言い出して、木を見て森を見ずなことを言い出す人も出てきます。

物事は全体から俯瞰して見ることが大切ですね。クメールの歴代の王をはじめ、平和・融和的に努めてきたことは事実でしょう。

クメール王朝は寛容を超えた融和の精神で平和な社会を長く保った

クメールでは、この寛容を超える融和の精神によって、平和な社会と文明を長年にわたって実現していたといいます。

愕然としますね。
まさに驚くべき真実です。

争わないからこそ平和が実現。
平和だからこそ安定して繁栄し続ける。

素晴らしい。
東南アジアの美徳、「融和」。

かつて地上に、これだけの美徳に貫かれた国家があったことに信じがたくなると同時に、現代まで残って欲しかったとも思います。

実は東南アジアは「平和の精神」が強い地域

東南アジアは「平和の精神」が色濃いですね。

クメール王朝とほぼ同じ頃の9世紀~11世紀にかけてミャンマーに登場したバガン王朝もそうです。平和な国でした。

日本も同じように「平和、融和」の精神があります。

これが北方の国になりますと、ガラリと変わります。とにかく争う。支配する。

韓国では、ヤンパン(両班)といって特権階級があります。貴族ですね。搾取する側です。国際金融資本みたいなものです。

多くの国では、差別・被差別といったヒエラルキー構造を作りたがる性質があります。本質は、他人よりも優れていたいとする「優位性」と「戦い」のマインドです。

しかし、東南アジアでは、こうした「戦いのマインド」は薄いですね。のんびりもしています。亜熱帯な気候も影響もあるかもしれませんね。

それでも寛大で融和な精神は、東南アジアの特徴の一つであろうと思います。こうした美徳が、クメール文明にも色濃くあらわれていたのでしょう。

クメール王朝が衰退し滅亡した理由は謎とされている

ところで、これだけ豊かな自然と資源に恵まれ、400年にわたって平和と融和に貫かれた文明社会を維持してきたクメール王朝と、その首都アンコールは、やがて衰亡し滅亡したと。

けれども、その理由は「謎」だといいます。

14世紀に、現在のタイに勃興したアユタヤ王朝が、吸収してしまったとの説もあります。

が、どうもはっきりしません。

クメール文明が、どうして滅亡したのかは「謎」であると。はっきりしないと。

クメール文明は、不思議な点もあります。⇒クメール王朝が滅亡した理由~ジョージ・ハント・ウィリアムソンのUFO空中携挙説

しかしながら、平和と融和に貫かれた、地上の楽園であり、理想郷であり、地上の奇跡であったことは間違いありません。

世界史において、クメール文明はあまり大きく取り上げられませんが、実は世界最高の理想の国だったのではないかと思います。

本当に優れたものや素晴らしいものは、案外、世間から注目されないことと、どこか似通っている気がします。

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