自然体とはどういう意味か?
自然体。
時々聞きますよね?
では自然とはどういう状態をいうのでしょうか?
また自然とは、どういう意味なのでしょうか?
ネットで検索しますと、
1 剣道などで、両足をわずかに前後または左右に開き、無理のない形で立った姿勢。
2 気負いのない、自然な態度。
という説明もあります。※引用先:コトバンク
自然体とは、武道における姿勢と生き方の姿勢を示す、2つの意味があります。
しかしながら、実生活で大切になるのは「生き方の姿勢」としての自然体ですね。
「気負いのない自然な態度」と説明もありますが、もっと本質に迫って掘り下げてまいりましょう。
自然体とは生命本来の様
自然体とは「生命本来の状態に立ち戻っている様」をいいます。これが答えです。
もう少し言葉で説明しますと、自然体とは、
- あるがまま
- いまここ
- 力みがない
- 無理がない
- 無理を強いることもない
- それでいて自由
- 融和的
- 調和的
- マインドが強くない
- イデオロギーに染まっていない
- 理想主義でない
といった様をいいます。
これらを言葉や観念でとらえるのではなく、体感に落とし込んでいくことで、「生命本来の様」に立ち戻るようになりますね。
自然体を阻む3つの障害
しかしながら、自然体・生命本来の様に立ち戻ることを阻む要素が、実際的には問題になります。
その障害には3つあります。
それは、
- マインド(思考)
- イデオロギー(観念)
- 理想主義
この3つです。
これらが自然体になるこを妨げる大きな要因です。
マインドが強いと自然体になれない
人間は頭脳が働きます。
特に現代人は「思考」が強くなっていますね。
で、この思考からイデオロギー(観念)や理想が生まれ、そして、イデオロギーや理想という「ものさし」を使って、何事にも当てはめようとしてしまう人も出てきます。
で、こうした知性の働きが過ぎることを「マインドが強い」と言っています。
知性が過ぎるとマインドが強くなる
知性が強くなりますと、思考が強くなります。
思考が強くなりますと、理屈は通っているのですが、なーんかオカシイと感じるようになります。
こういうのは体験したことが結構ありますよね。
で、こうした思考が強い様を「マインドが強い」といいます。
マインドが強くなると冷たく感じる
「マインドが強い」状態になると、とかく問題が出てきます。
冷たい感じを受けます。
人工的で無理がある。
で、これこそ反自然体なんですね。
理屈は通っているのですが、愚かな感じを受けます。人間的に愚かな感じになる。
宗教をマインドで理解すると愚かになる
宗教をマインドで理解すれば誤りになります。
たとえば「私の宗教の教えや戒律では、◎◎は食べてはいけないとなっている!」とい教えや戒律がありますよね。
しかしマインド(思考)だけで理解すると必ず現実を衝突します。こうした話しを時々聞きますよね。
これはまさに、宗教をマインド(思考)で理解した結果なんです。自然体から離れた状態そのものなんです。
で、宗教は、自然体に立ち返ることを教えているのですが、皮肉なことにマインドでバリバリに理解し受け止めると、自然体から遠ざかっていきます。
科学はマインドの強い世界
科学は「マインドが強い」ことが多々あります。
といいますか、科学は「マインドが強い」世界です。
遺伝子組み換え食品も横行していますが、これなどは「マインドが強い」現れの最たるものですね。
「マインドが強く」なってはなりませんね。
マインド(思考)が強くなると「自然体」から遠ざかります。
イデオロギーが強いと自然体になれない
イデオロギー(観念)もまた自然体から遠ざけるエッセンスです。
人によっては、自由とか愛といったイデオロギーを完全に守ろうとします。
といいますか、イデオロギーに合致していないと「それは違う!」とか言い出します。
ですがこうしたイデオロギーによる受け止め方は誤りです。少なくとも自然体にはなれません。
イデオロギーや理念にかぶれると、「出来て当たり前」「できないのはオカシイ」とか言い出します。あるいは「誰でも受け入れるのが愛だろう」とか。
こういうのは志としては正しいんですね。
しかし現実を無視した空想とそう変わりがないんです。
イデオロギーが強くなると悪良識になる
ですのでイデオロギーが強くなった善の観念を「悪良識」ともいいます。
「悪良識」は現実的ではありません。
無理を強いるやり方なのですね。
本質は。
イデオロギーに染まると無理が正しいと思い込む
しかしイデオロギーに染まり過ぎると、無理を通すことそ「正しい」と勘違いしだします。
またイデオロギーに支配されていますので、物事を白黒の二元論でしか判断できなくなります。
これはいろいろと問題や迷惑を引き起こします。
で、イデオロギーは「マインド(思考)の強さ」が根底にあります。
マインド(思考)が強くなると、必ずイデオロギー(観念的)になるということなんですね。
理想主義に過ぎると自然体になれない
理想主義もまた自然体になれないエッセンスです。
理想主義は、イデオロギーがより強くなり「体系化」されるのが特徴です。
宗教、思想などが、まさに理想主義の最たるものです。
マインド(思考)によって生じたイデオロギー(観念)が複数集まり、一つの体系を構築すると、そこに思想が生まれ、これが理想主義となります。
理想主義も悪良識になりやすい
理想主義は、これまた「悪良識」になりやすく、正義を掲げながらも、現実を度外視したヘンテコなことを行い、無理があって、自然体から遠く離れた状態になります。
理想主義がもたらす平和主義も問題がある
理想主義は、とかく厄介な問題を引き起こします。
たとえば、「人間はどんな人とも仲良くしようね」「誰をも受け入れよう」とう理想がありますよね。
平和友好な姿勢です。
平和主義といっていいでしょう。
が、これを無理に実現しようとしたり、あてはめようとする場合が往々にしてあります。
志としては立派ですが、しかし現実を無視していることが多いんですね。
無理に行えば必ず行き詰まり破綻します。
なぜなら現実を無視しているからです。
現実を度外視した考えは「マインドが強い」です。
結局、観念的に行ってしまうのが大問題なわけですね。思考で行ってしまうといいますか。
理想主義は叡智が生じることを阻む
そうではなく、自然体に立ち戻って、そこから生じる叡智にしたがって、それぞれの状況、各人が叡智で判断できるようにするのが適切なんですね。
ところが理想主義を掲げると、マインドやイデオロギーが発動し、理想主義に走らせ、叡智が起動しなくなるんです。
理想主義は現実を無視する
人には「相性」や「キャパシティ(受容力)」があります。
こうした現実を踏まえて、「出来る範囲」で行動する人が知恵ある人の対応です。
相性等を無視して、無理に理想を実現しようとすれば、必ずストレスを受けて、次第にイライラして、不和を招きます。
犬は犬同士、猿は猿同士共生すれば問題はあまりありません。しかし犬と猿を一緒にすれば喧嘩になります。
これと同じです。
で、この感覚こそが叡智がもたらすものなんですね。
自然界の有り様に自然体のヒントがある
自然体とは、最初にエッセンスを挙げましたが、
・マインドが強くない
・イデオロギーに染まり過ぎない
・理想主義に陥らない
・無理がない
・穏やかなな調和に満ちた状態
ともいえます。
この様は、自然界そのものかもしれません。
人間関係も自然体の有り様が望ましい
こと人間同士に有り様においては、自然界では、同じ種族、属性のものは、互いに遭い依って共生します。
それぞれが、それぞれのコロニーを形成して、共生します。
人間に当てはめれば「相性」とか、そういう言い方ができます。
全ての生き物が共生、なんていうのは絵空事です。
イデオロギーにかぶれると、こういう自然な状態が分からなくなります。
もちろん生態系は、全体としては共生しています。
ですが、それぞれ属性の合うものが、コロニーを形成して共生しています。
こうしたコロニーが複数寄り合い、拮抗もし、作用しあって、共生圏を作り出しています。
自然界の有り様にこそ無理のなり穏やかさと調和のヒントがありますね。
で、自然体は人間同士のつながりにおいて、特異な状態を表すようになります。