身体意識とは微細な身体の感覚
身体意識。
微細な身体の感覚のことですね。
教育、技能習得、自己改善など、精神的な修養などなど、何か深い領域を扱う場合は身体意識が欠かせなくなります。微細な身体の感覚ですね。
「身体意識」があるかないかはとても大切です。このことは前にも書いたことがあります。
⇒「自分を変えたい」が「できない」「無理」なのは何故?
現代人は義務教育等を通して、大脳で分析・判断・回答を得るといったパターン思考を徹底的に染みこまされているため、これが様々なところで問題を引き起こしています。
もっともこうした頭の使い方も大切です。ですが偏り過ぎているんですね。
身体意識を使った有り様も必要ということなんです。実のところ「身体意識」のほうがずっと重要だったりします。
身体意識とは「微細な身体の感覚」でもあります。寒いとか暑いといったのは粗雑な感覚になります。
微細な身体の感覚とは?
微細な感覚とは、ジワー、ツツー、モヤー、じんわりといった感覚ですね。あと気が流れているような感覚とかです。
また腹部は「第二の脳」ともいわれていますね。大脳のような働きはしませんが「意識」はあります。この意識こそ身体意識ですね。
「オノマトペ」なんて最近は言われていますが、この「オノマトペ」的な感覚の世界は、身体意識の世界になってくると思います。とても微妙な感覚ですね。
で、日頃、手を使っている職人は、こうした微細な感覚に鋭いところがあったりします。
東京の下町の旋盤工の中には、精密機器でも測定できないマイクロレベルの誤差を、手で触って分かる人もいるくらいです。人間の微細な感覚とは素晴らしいですね。
日本人は身体意識が優れている
で、日本人は、この微細な感覚が大変優れたところがあります。ですので「日本人は優秀」と言われるのでしょが、この秘密は微細なものを感じ取る優れた身体感覚が遺伝的に優れているからなのかもしれません。
反対に、アメリカナイズされた大雑把なものは、非常に粗雑です。人間を劣化させていきます。戦後、日本には、この手の劣化したものが浸透し、随分とおかしくなってしまったのではないかと思いますね。
大衆が愚かになると、コントロールもしやすくなります。「スポーツ、スクリーン、セックス」といった3Sを普及させて日本人を堕落させるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が導入されたのも「なるほど」と思ったりもします。
身体意識を思考に使用する
話しを元に戻しますが、この微細な感覚を思考に使用すると、大変聡明になり、物事の本質をスパっと見抜くシャープな頭脳になります。
「身体意識」がいかに大切なのか。大体、おわかりかと思います。
物事の是非も「身体意識」を通して判断するとよくなります。これはいろんな局面で利用できます。
精神修養でも身体意識が大切
精神修養でもそうです。
たとえば「執着はいけない」「こだわりを無くしましょう」という場合でも、自分の「身体意識」の声・感覚に基づことが大切です。「ちょっと無理があるな」という場合は、「身体意識」が微笑むレベルに調整します。
「身体意識」が常に安定し微笑んでいるような状態になりますと、心身は健康になり、第三者が見ても「なんかいい感じ」といった印象になります。
無理がないんですね。いわゆる「自然体」です。自然体とは「身体意識」が調和している状態だったりします。
これが頭で「うーん、執着を無くすとは、どういうものだろうか、ふーむ・・・」なーんてやりますと、苦行僧の世界へまっしぐらです。苦痛や苦しみ、ストレスだらけになります。
あるいは「自然体になる、自然体になる」と願望成就のノウハウよろしく、潜在意識に語りかけて・・・みたいなことをやると、これまた歪んできます^^;とはいってもほとんどこういうやり方が多かったりします。
身体意識を無視した頭脳偏重が問題
結局、現代人は「頭」で解釈しますので、これが悲劇の原因なんですね。
また仏教も、「身体意識」に則れば、決してストレスの多い世界でないことが分かってきます。無理な世界ではなくなってきます。しかし頭で考えると、「なんて恐ろしい苦行をする教えなんだろう」と錯誤してしまいます。
身体意識は、真理の世界に足を踏み込むパスポートのようなものだと思っています。これが有ると無いとでは、理解や判断が違ってきます。宝石が石ころに見え、石ころがダイヤに見えることも出てきますし。
現代教育は罪が多いと思います。教育は大事なんですけどね。けれども偏っているんですね。
道徳教育こそ身体意識の世界
最近では「道徳教育」も始まっています。教科書を見ましたが、危険な書ですね。あれは道徳ではなく、イデオロギー洗脳ですよ。
道徳とは、霊性がありませんとわからないんですね。で、霊性とは、身体意識の世界なんです。
頭デッカチな教育など、やらなくていいんですね。てか、頭脳の使い方を誤っています。間違った教育を受けますと、仮に知識がたくさんあっても、よろしくない状態になります。
「身体意識」を軸にした上で、知識を蓄える、分析思考を培うなどにしたほうがいいんです。順番が逆といいますか、教育の仕方が誤っていますね。
「道徳の時間を増やす」といっていますが、道徳こそ、身体意識の世界です。本当に道徳を教えられるんですかね?
と、話しが長くなりましたので、身体意識の開発の仕方はまた次回ということで。
2013/11/13