新約聖書の学びにおすすめな本・著者と聖書の勉強の仕方

新約聖書を学ぶのにおすすめな本・著者

新約聖書を学ぶ際に役だっている著者、本があります。それが、
・田川建三訳「新約聖書 本文の訳」
・バート・D・アーマンの著書
・田川建三の著書

こちらですね。
で、聖書の学習においては、アーマンと田川氏、この両氏の著書は目から鱗となる情報が満載です。欠かせません。

なお、ここで紹介する聖書の学びに関しては、自由主義神学の立場になります。熱烈な信仰をされたい方には、おそらく刺激が強すぎると思います。

ひたすら信じ続けたいクリスチャンの場合ですと、以下ご紹介する内容はふさわしくないと思いますのでご注意していただければと思います。

新約聖書のおすすめはどれ?

で、聖書を学ぶにあたって「新約聖書」は必須です。欠かせません。

で、聖書は現在この3冊が出ています。

  • 新共同訳・・・最も多く読まれている。多くの教会で使用。しかし日本語文章が破綻しているのが多い。
  • 新改訳・・・新共同訳よりも読みやすい。しかしマイナー的。原文と違う意味になっている懸念がある。
  • 田川建三訳「新約聖書 本文の訳」・・・聖書の原語・古代ギリシア語(コイネー)を最も正確に翻訳できる日本人。最もオススメの聖書。

新共同訳の聖書はどうなの?

聖書の歴史からみると「新共同訳」が一般的になります。日本では最初に登場した聖書であり、カトリックもプロテスタントも、どちらにも対応できる翻訳になっています。

しかし翻訳が甘いといいますか、どこかおかしな点があることは否めません。というのも日本語がおかしいからです。日本語文章そのものが破綻していることろがあります。

ですので初めて聖書を読むときに、新共同訳の聖書から読むと、挫折する確率が非常に高くなります。そもそも「読めない」からです。

実際、私がそうでした。挫折しまくり。

結局、最近になってモチベーションがメチャ上がって、ようやく読む気になりましたが、それでも新共同訳の聖書は読みにくいですね。

新共同訳の聖書は日本語はが破綻していますので、挫折度が高くなります。

ただし、新共同訳は教会などを含めて最も読まれている聖書になりますね。ですので新共同訳の聖書を読んでおいたほうが無難だとは思います。

が、なかなか微妙だなあと思います。

新改訳の聖書はどうなの?

新改訳は、新共同訳を改める狙いで登場した聖書のようですね。

おそらく新共同訳の聖書が「読みにくい」「日本語文章がおかしい」と感じたので、それで「新改訳」に乗り出すことになったんじゃないかと思います。

おそらくこれが本心であり本音じゃないかと思います。

しかし新改訳は、読みやすい一方、原文の古代ギリシア語をどこまできちんと翻訳しているのかちょっと微妙でしょうか。率直にいえば怪しい。

読みやすさを優先するあまり、原文の意味を変えてしまっているのではないか?そんな懸念もあります。

そういうこともあってか、新改訳を使用している教会は少ないといいます。こちらもちょっと微妙な聖書のようにも思います。

田川建三訳「新約聖書 本文の訳」

聖書といえば、新共同訳、新改訳の2冊だったわけですね。

が、21世紀になってから、聖書学者でもあり古代ギリシア語の専門家でもある田川建三氏が「新約聖書 訳と註」(全8巻)という偉業を成し遂げ、「新約聖書 本文の訳」という一冊の聖書にまとめて発刊しています。

結論をいえばズバリ、田川氏の聖書がおすすめです。

なぜならさすがコイネー(古代ギリシア語)に精通しているだけあって、聖書原書の意味をほぼ正確に踏まえて翻訳してあるからです。しかも超読みやすい。意味もスラスラと入ってきます。ダントツにおすすめです。

さらに田川氏の素晴らしいのは、自らの翻訳作業を注記の中で全て公開している点です。注記には翻訳で悩んだこと、考察、当時のことなど多方面にわたって記載されています。

この注記を読むのがまた深い学びになります。非常に学びになります。

なお訳がセットになった「新約聖書 本文の訳」には詳細な注記はありません。「新約聖書 訳と註」(全8巻)に詳しく書いてあります。

田川氏の「新約聖書」は、大変な学びになります。超絶おすすめ。

ただし、キリスト教への批判が随所にあります。信仰一筋に歩みたい方には受け入れがたい内容にもなると思います。

けれども、キリスト教のドグマに染まらず、純然たる求道精神を持っている方には、田川建三氏の「新約聖書」はピッタリ合います。

もっとも深読みが過ぎるかなあというところはあります。しかし、これを差し引いても学びが多いと思います。

超絶オススメの新約聖書ですね。

バート・D・アーマンの聖書分析本

バート・D・アーマンはアメリカの聖書学者。元々はキリスト教プロテスタントの原理主義者(福音派)。

高校二年生のときに再生して、生粋の福音派(原理主義者)になったという筋金入りの元クリスチャン。

聖書は絶対に正しい(逐語霊感説、無謬説)を本気で信じていた元キリスト教原理主義者といいます。

またアメリカの大学で使う「神学部の教科書」を執筆したほどの優秀な学者。本人いわく「キリスト教を知り尽くすまで学んだ」と。

確かに、アーマン本を読んでいますと、その非常に深い学識には圧倒され、また非常に学びになります。

聖書を研究し尽くして信仰を捨てた学者

しかし大学で聖書を研究すればするほど聖書の絶対性に疑問を抱いたとか。で、現在は不可知論者であるといいます。キリスト教の信仰も捨てたとか。

そんなバート・D・アーマンなんですが、現在でもキリスト教の学者として、アメリカの大学で教えています。

むしろ信仰がないお陰で、中立的な立場から聖書を資料として分析しています。もうね、非常に学びになっています。目から鱗となる情報を多く提供しています。

聖書絶対主義のアメリカで真実を述べるアーマン

アーマンは中立的な姿勢で、バランスのよい論考をしています。とても参考になるんですね。

が、いかんせんアメリカはプロテスタントの国(聖書を重視する国)。なので、あまり突っ込んだところまでは言及していません(できないんだと思います)。

分析データを示すものの、どう判断するかは読者にゆだねている傾向ですね。

あるいは論点を著書の中に散りばめて、本をトータルで読むと、キリスト教に対する手厳しい論調がわかるといった構成を取っています。

中立的・バランスはよいが寸止めをしているアーマン本

あと、キリスト教の存続に影響を及ぼしそうな見解になると、寸止めや婉曲さに拍車がかかります。

たとえば「イエスの復活は無かったかも?」では、まわりくどい説明を長々として、共感関係者からの批判をかわそうと苦慮している様子もうかがえます。

イエス・キリストの復活は後世の創作・追加・改竄?

聖書を絶対視するプロテスタントの国アメリカですので大変だなあと。ある意味命がけです。

でも私のように中立的な立場で学びたい人にとっては、大変勉強になります。

アーマン本は日本語訳として4冊出ています。中でも「書き換えられた聖書」「キリスト教成立の謎を解く」、この2冊は必読です。

エレーヌ・ペイゲルスのグノーシス研究書

エレーヌ・ペイゲルスは、アメリカのプリンストン大学の教授です。「ナグ・ハマディ文書」や「ユダ福音書」などグノーシス文献や外典の研究では定評があります。

グノーシス主義はなぜ異端なのか?正統派教会とは違いすぎる驚きの内容

聖書の知られざる問題を解き明かす

エレーヌ・ペイゲルスは新約聖書とグノーシス文献と対比しながら論述するのが特徴です。

グノーシス文献と比較することで、新約聖書の知られざる問題点や歴史の陰に隠されてきたことがあらわになり、聖書やキリスト教のさまざまな問題がわかります。

新進気鋭の聖書学者ともいえます。大変有益で刺激のある情報が得られます。

聖書の知られざる問題を解き明かす

エレーヌ・ペイゲルスは、グノーシス文献や外典を、新約聖書と詳細に比較することで、新しい見方を提示もしています。

おすすめの著書は「禁じられた福音書」と「ユダ福音の謎を解く」ですね。

禁じられた福音書

「禁じられた福音書」は、「ヨハネ福音書」は、なんと「トマス福音書」をトレースしながらも正反対の内容に作り上げた福音書であることを解き明かしています。

当時、「万人が神の子である」と教えるトマス福音書は、地中海沿岸の各地でも広まっていたといいます。

しかしパウロ派としては教勢拡大に危機を憶え、「トマス福音書」を潰すために、「ヨハネ福音書」を創作したということが、本書で詳細に解き明かされています。

「ヨハネ福音書」は、キリスト教の教義や信仰に多大な影響を及ぼしてきた、いわば聖書の中で最も重要な福音書でもあります。

しかしその「ヨハネ福音書」が、実はトマス福音書を陶太するために創作された福音書だったことは大変な驚きです。

にわかに信じがたい話しに聞こえますが、エレーヌ・ペイゲルスの「禁じられた福音書」を読めば、ぐうの音も出ないくらいに納得させられます。

歴史的事実をきちんと受け止めて、聖書なりキリスト教を理解することの大切さをも教えています。「禁じられた福音書」は必読の書ですね。

ユダ福音の謎を解く

「ユダ福音の謎を解く」もなた必読の書になります。ユダは裏切り者ではなかったという驚くべき内容ですね。

「ユダ福音の謎を解く」も新約聖書福音書を対比しながら、福音書の問題点を浮き彫りにしています。

田川建三氏の著書

田川建三氏は日本の聖書学者。アメリカと違って日本はキリスト教が浸透していないこともあってか(国民の約2.5%の200万人が信奉者)、歯に衣着せない勢いで鋭くズバズバと指摘しています。

カミソリのような方です。

バート・D・アーマンが踏み込めない領域にもズンズンと切り込み、快刀乱麻っぷりを発揮しています。

田川建三氏の著書もものすごく勉強になっています。

田川氏訳の新約聖書も素晴らしい。
詳細な解説が非常に勉強になります。

また新共同訳や新改訳の聖書の翻訳では意味不明なところがスーっとわかります。聖書の翻訳事情もわかります。

もしかすると田川氏は世界でもトップクラスの聖書学者かもしれませんね。

キリスト教神学の問題を指摘

ところで田川氏は、おそらく自由主義神学の立場なんだと思います。ご自身で「不可知論者」であると言われています。しかし迷信を排除し、合理的かつ聖書の原文を忠実に翻訳する姿勢は好感が持てます。

私としては、このような姿勢は好ましいと思います。というのも実のところ仏教学の世界では、原典批判は当たり前だからです。で、原典批判をしないで、原典を正確に解読することは実質不可能なんですね。

むしろ原典を批判しながら中立の姿勢で解読、分析することで、信仰というバイアス・偏向がかからない良質の解説もできるようになるくらいです。

言っては悪いのですが、キリスト教のほうがおかしい。信仰というバイアスがかかってしまっているため、学問としての神学ですら歪みを感じさせます。

信仰は信仰、学問は学問と切り分けて研究してきませんと発展性はないんですね。仏教を学問として扱う世界を参考にしていただきたいと思っています。

その点、田川氏は聖書を文献として取り扱い、当時の時代考察を交えながら合理的に聖書を解釈しています。こうした姿勢は望ましいと思いますね。

深読みが気になる?

そんな田川建三氏ですが、ただ若干、深読みが過ぎるところは気になります。

そもそもキリスト教自体が「解釈の宗教」ですので、解釈をしながら話しをふくらましていくところがあります。

ですので、下手をすると妄想的な解釈にもなってしまいます。が、その空想的な解釈であっても、広く支持されれば、それがスタンダードになるのがキリスト教でもあるわけですね。

したがって支持される仮説(空想、妄想、物語)をうまく作るのがキリスト教とも言えるわけでして、しかし話しを拡大化させると収集がつかなくなるかなあとも思います。

田川氏は、どんどん論考を深め広げていくところがありますので、ともすると「深読みかなあ」と感じるところもありますが、しかしそれを差し引いても大変な学びになります。

あとキリスト教をガツンとバッシングする姿勢もちらほらと見え隠れして、こういう点は気になりましょうか^^;ソフトに言ってもちゃんと伝わりますからね。

こうした点は玉に瑕なんでしょうが、それでもトータルで見ると大変な学びになります。

世界的な聖書学者になる可能性

これだけのことを語ることがでいる方は、ちょっと他にいらっしゃらないと思います。群を抜いた聖書学者であることは間違いないと思います。

教会関係者からは「田川本を読んではいけない」と言われているようです。が、どうして、どうして。これほど学びになるキリスト教本は他にはないと思います。

アーマンも立ち入ることができない部分にもおもいっきり切り込んでいます。おそらく実質、世界でもトップクラスの聖書学者であると思います。

分厚い全集なんですが、田川建三氏の「新約聖書 訳と註」(全8巻)はおすすめです。

⇒田川建三 著作一覧

聖書の勉強の仕方10のポイント

バート・D・アーマンと田川建三氏。このお二人の情報は大変役に立っています。キリスト教や聖書の学習の際には、このお二人は必須になりますね。欠かせません。

少なくとも中立的な視点から学ぼうとする方には必須になりますね。

で、そもそもなんですがキリスト教を学ぶには骨が折れるんですね。複雑怪奇だからです。一筋縄ではいきません。

で、私自身の聖書学習の体験を踏まえて、役に立ちそうなことをいくつか書いてみたいと思います。なおこちらの記事も参考になさってみてください。

「新約聖書」の内容とは?~6種類のイエス信仰がある

で、聖書の勉強の仕方は、10のポイントがあります。それは、

  • 聖書学習に欠かせない3つの基本
  • 文書が作られた順(年代順)に読む
  • 聖書は完読する
  • 疑問点、気になる箇所、重複する教えなどはチェックして一覧表に
  • 新約聖書には6種類のイエス信仰が混在
  • 新約聖書はアタナシウスが選定したが
  • 新約聖書には問題のある文書も混在
  • 新約聖書は文書間の整合性が乏しい
  • 新約聖書は各文書の思想の違いを知った上で学ぶ
  • 新約聖書の適切な理解は欠かせない

以下、くわしい説明をしてまいります。

聖書学習に欠かせない3つの基本

で、聖書やキリスト教もそうですが、学ぶ際には、

  • 優良な書籍(聖書、アーマン本、田川本ほか)・・・まずは良質な書籍をガッツィリ読む
  • インターネット・・・簡単な検索をする、良書がどれなのかを検索する
  • 図書館・・・高額な書籍、お金を節約したいときはフル活用

この3点を踏まえて学習するのがおすすめです。

もうね今は「優良な書籍、ネット、図書館」、この3つがあれば、ほぼほぼ独学でかなりのところまで学ぶことができます。

私は、キリスト教を勉強し始めてわずか1ケ月半です。が、1ケ月半でも、この学習の仕方で相当なところまで学ぶことができます。

聖書は完読しました。隅から隅まで読み、関連事項もほぼ全て拾い上げての読破。お陰でキリスト教のことがものすごくわかるようになりました。

わからないことがあっても、ネットで検索しながら勉強すれば、短期間でも相当なところまで理解できるようになると思います。

で、こういう学習ができるようになったのは「優良な書籍、ネット、図書館」をフル活用したからですね。

良質な情報をできるだけ早くゲットする。学習上、これは非常に大事なことになります。聖書学習、キリスト教学習でも同じです。

適切な学習の仕方を知って、適切に進めていく必要がありますね。

文書が作られた順(年代順)に読む

新約聖書には、後述しますが、27の文書が収録されています。で、全て同時期に書かれたものではありません。しかもそれぞれ別の人が、さまざまな場所で書いた文書群です。

おおよそ6グループ(6種類)に分けることができますが、聖書全体に統一性があると思うと、聖書学習の際、大混乱するようになります。

ですので聖書は「別々の文書が収録された寄せ集め文書」ということを理解する必要があります。

で、後述しますが、6つの信仰グループ毎に、年代順に文書を読んでいくようにします。こうすることで、混乱することなく、整理された感覚になってわりとスーっと理解できるようになります。

聖書は完読する

それと聖書は「完読」します。完読です。「聖書完読」は必須になります。

とはいっても聖書完読はハードルが高いといいますね。聖書を絶対視するプロテスタントの多いアメリカ。

アメリカ人ですら、聖書を読んだことのある人は非常に少ないといいます。まして完読する人は1~2%程度だといいます。

けれども聖書の中身をしっかりと知り、理解し、ひいてはキリスト教の教義理解、全体像の理解のためには、「聖書完読」は必要です。

聖書は漫然と読んでも、聖書全体の理解にはあまり役に立ちません。断片的な理解になってしまうからなんですね。

聖書の読み方では「自分の好きな一節を読む」といのが最も多い読み方だといいます。しかしこれでは、ありがちな「ぼんやり」とした理解で止まったままになってしまいます。

また聖書完読をしないと、聖書にある細かい問題点などもわからないままになってしまいます。

で、誰かがいっているキリスト教を擁護する偏った見解を鵜呑みにしてしまうおそれも出てきてしまいます。

聖書完読は大変なのですが、隅から隅まで読み、関連事項もほぼ全て拾い上げて完読することがおすすめです。

聖書を完読することで、キリスト教の全体像も明瞭になります。

で、完読を助けるのが「疑問点、気になる箇所、重複する教えなど」をチェックして一覧表にしていく作業です。

疑問点、気になる箇所、重複する教えなどはチェックして一覧表に

新約聖書は、それぞれ独立した27の文書が収録されたパッケージ文書群です。で、一つ一つの文書を読んでいく際に、

・疑問に思う箇所
・気になる箇所
・関連する事項(重複する教え)
・おかしいと思う箇所
・ドギツイ不適切な表現
・びっくする話し
・ヤバイ話し

などなど全てチェックしていきます。

大型の聖書を購入して、聖書に書き込みもしていきます。

また蛍光ペンなどでアンダーラインを引いていきます。疑問点、気になる点、ドギツイ表現など、内容によって蛍光ペンの色分けをしてアンダーラインを引いていきます。

たとえばこちらは私が実際に書き込みやマーカーをした聖書ですが、ガンガン書き込んでいくことが大事です。

聖書は複雑、パズルのような構成をしています。なので遠慮することなく、ガンガンに書き込んだり、アンダーラインを引いていくことで、整理しながら読み進めることができるようになります。

で、これら疑問点などを拾い上げて一覧表にもまとめると、さらに深い理解になります。

ここまでの作業をしながら読み進めていくと、聖書の理解がグーンと深まります。深いところまでチェックできるようになります。

で、このような学習をすると、聖書解説本やキリスト教の専門書を読む段階になったときに、聖書の一節もパっと頭に浮かぶようにすらなり、理解が一段と深まるようになります。

多少手間はかかりますが、このような学習をすると、キリスト教の理解が格段に違ってくるようになります。

新約聖書には6種類のイエス信仰が混在

で、そもそもなんですが、聖書そのもがカオスなんですね。カオス。が、このこと自体があまり知られていないんですね。

で、聖書には6種類のイエス信仰が混在しています。パウロ教で統一されているとは言い難い。で、6種類のイエス信仰をザックリを書きますと、

  1. パウロ型・・・ヘレニスト集団のパウロが考案したイエス信仰。キリスト教の原型。ユダヤ教に入信しなくてOK。イエスへの信仰のみ。律法を完全否定。グローバル宗教。パウロ真筆の書簡が相当。
  2. 疑似パウロ型・・・パウロの教えに沿っているものの、パウロを批判しているところもある。疑似パウロ書簡と公同書簡が相当。
  3. マルコ型・・・最初に登場した福音書。中立的。迫害に耐える殉教型イエスを描く。イエスは死後、神になる。
  4. マタイ型・・・原始エルサレム教団系のペトロ・ヤコブ派に近い。ユダヤ教を信奉。律法を重視する。イエス信仰を内包したユダヤ教。「たとえ話し」を多く掲載。イエスは洗礼を受けた後、神になる。
  5. ルカ型・・・パウロ教に沿っている。ヘレニスト集団系。文学風のタッチで話しを盛っている印象も受ける。パウロ教の宣伝書とも言える。
  6. ヨハネ型・・・ヨハネ・グループの作品。イエスへの神格化が進む。イエスは宇宙開闢前から神という設定。外典の「トマス福音書」をトレースしつつも正反対の内容にして創作したと言われている。しかし後のキリスト教信仰に多大な影響を与えた福音書。

この6種類です。で、この6種類のイエス信仰が新約聖書に混在しています。

「新約聖書」の内容とは?~6種類のイエス信仰がある

新約聖書はアタナシウスが選定したが

ちなみに新約聖書は、イエス信仰に関するさまざまな文書(27文書)をチョイスしてパッケージにした書物です。

367年にアタナシウスが選定したことが始まりと言われていますね。ま、「ふんふん、これでいいんじゃないの」といった感じで選定したと思います。

なぜなら不適切な文書もあるからです。熟考して選定したとは考えにくい。

新約聖書には問題のある文書も混在

たとえば、猟奇的な描写が多すぎる&後世に改竄された「ヨハネの黙示録」。正典にはふさわしくありません。事実、異教徒殺戮の肯定の理由にも使われてしまっています。

ヨハネの黙示録は戦争肯定の理由に使われてきた

あと「テモテへの手紙一」。女性を低く扱う記述があり、これはいただけない。

ちなみにパウロは、女性の活躍を認め推奨していたんですね。パウロは愛憎共に強く問題のある人でもありましたが、こうした点は素晴らしいですね。

あの時代に女性を重用するのは非常に進歩的な考えの持ち主だったことがわかります。

しかしパウロのこうした考えは、キリスト教徒は知っているはずです。てか、イエスにしてもパウロにしても男女平等に扱っています。

なのでよく読めば、「テモテへの手紙一」のような主張をする文書を正典としないはずです。

しかしアタナシウスは正典に採用。他にもありますが(たとえばマタイとパウロの考えが背反していているにも関わらず、マタイの福音書を採用したとか。そのため聖書が大混乱してしまった)。

結局、アタナシウスはよく考えていなかったからじゃないかと思いますね。

新約聖書は文書間の整合性が乏しい

それと聖書の文書間にはほとんど整合性がないんですね。その整合性の無さは、上記のように6種類のイエス信仰の文書が混在したままパッケージされているからです。

新約聖書は原始仏典のパーリ仏典などの聖典と違って整合性がありません。整合性のない聖典というのも珍しいかと思います。

しかし整合性の無い書物が新約聖書だったりします。

新約聖書は各文書の思想の違いを知った上で学ぶ

ですので最初に「新約聖書には6種類のイエス信仰があるんだ」「それぞれを混ぜることなく、別個に学んでいく」といった姿勢、所見を持つことが非常に大事になります。

でありませんと、大混乱します。

たとえば、先述のパウロとマタイの主張が違うことの他に、マタイ福音書にあることとヨハネ福音書にあることは内容も姿勢もまったく異なります。イエスの人間性ですら異なります。

こうした違いを一色単にしたまま聖書を学習すれば大混乱してしまいます。

モワーっと漠然とした感じになって、結局「なんかありがたいんだな」というありがちな信仰態度に着地してしまい、それ以上深く探索することを止めてしまうことにもなってしまいます。

これではよくないんですね。

新約聖書の適切な理解は欠かせない

仏教ではよく言いますが、知恵(理解)と修行(実践)は両輪です。理解あっての信仰。信仰あっての理解。この二輪は欠かせません。

ですので聖書を学ぶのでしょうが、その聖書の学び方を知りませんと、大混乱してしまうということですね。

「聖書を読めばキリスト教がわかる」と思っても、そうは問屋が卸しません^^;卸さないどころか、読み方、学び方を知りませんと、大混乱してしまう怖れがあります。

何も知らないまま聖書を読み始めても「なんじゃこりゃー!?」の泥沼にはまるんじゃないかと^^;

たぶんそうなります。いえ、私がそうなりました^^;

聖書を深く理解するのは困難

あとキリスト教本の著者は、神学の先生や協会関係者が多いんですね。で、残念なことにキリスト教擁護のバイアスがどうしてもかかってしまいます。

なので鋭い指摘をしたり、本当のことを書かない(婉曲に書いたり、キーワードで示す)傾向があります。

が、こうしたことがキリスト教学習の上の妨げになっているなあと思います。そのためキリスト教をぼんやりと理解したままで止まってしまうことが多くなっていそう。

ほとんどの人が「キリスト教ってよくわからないなあ」となっているのではないかと。

実際、自分がそうでした。なんかわかったようなわからないような、モヤモヤした感じになります。

しかし、聖書を完読し、バート・D・アーマンやエレーヌ・ペイゲルス、田川建三氏の著書に触れると「なるほどー!そうだったのかー!」と納得。理解が超絶進みます。

キリスト教の学びは敷居が高い上、迷路のようですね。複雑怪奇。手強い。学習上の適切なナビゲーターが必要です。いえ絶対に欠かせません。

キリスト教の学習にネットは欠かせない

キリスト教と聖書を学び始めて1ケ月半くらいですが、こうしたこともわかったきた次第です。

で、こういうことがわかるのもネットのおかげですね。優良情報も短時間で知り得ることができます。こういうのは非常に助かります。

私の学習はまだまだの感はあります。後になってからもっと精度が高くなると思いますし、訂正することも出てくるかもしれません。

しかし学びって、そういうもんですからね。学べば学ぶほどブラッシュアップしていきます。もしかするとキリスト教ってスゲーと絶賛するようになるかもしれませんしね^^;

それにしても国際金融資本、お金の真実、MMTを知ったときと同じかそれ以上のインパクトがあります。

久しぶりに寝ても覚めても状態で勉強しているって感じです。

「新約聖書」の内容とは?~6種類のイエス信仰がある キリスト教の勉強法7ステップ~1ケ月半の独学で深く学ぶ方法

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