目次 非表示
- 聖書を勉強すればキリスト教がわかる
- キリスト教を信仰しない人こそ聖書を読むべき
- 聖書には人間の清濁が記録されている
- 聖書は歴史書
- 聖書の学習はおすすめ
- 巷のキリスト教本では上辺しかわからない
- 聖書を読む人は3%以下
- 聖書を読むことで世界がわかる
- 聖書が読まれない理由
- キリスト教の暗い歴史
- 西洋人の意識の深奥がわかるキリスト教
- 成功法則のルーツも聖書にある
- キリスト教はバクティヨーガでなかった
- キリスト教はイデオロギー信仰
- グノーシス主義がキリスト教を変える
- キリスト教の問題は大きすぎる
- 認知行動療法がキリスト教の問題を解決する?
- キリスト教に第二の宗教改革が起きる
- 物語の信仰から認知の有り様をテーマに大きく転換
聖書を勉強すればキリスト教がわかる
聖書を勉強すればキリスト教がわかるようになります。
またキリスト教の問題・課題もわかるようになります。
しかも世界のこともわかるようになります。
なので聖書を完読することは、現代人にとって必須であると思うようになっています。
新約聖書の学びにおすすめな本・著者と聖書の勉強の仕方 キリスト教の勉強法7ステップ~1ケ月半の独学で深く学ぶ方法
キリスト教を信仰しない人こそ聖書を読むべき
聖書を完読し、研究することは、キリスト教を信じているクリスチャンだけのものではないんですね。
むしろ、キリスト教を信じていない人こそ、聖書を完読したほうがいいんですね。
それは信仰のためではありません。
教養のためです。
歴史を学ぶため。
人間の愚かさを学ぶため。
反面教師となることが非常に多いので、聖書を完読することがおすすめになります。
聖書には人間の清濁が記録されている
聖書には、霊感商法や人種差別、相手を罵る(呪う)言葉なども伝承されています。
2000年前の宗教の原型が、聖書には清濁ともに残っています。
人間の愚かさ、酷さ、悪徳さのすべてが聖書にあります。
聖書は、神の言葉が伝わっているといわれていますが、そうではないんですね。
逐語霊感説は迷信です。
聖書は、2000年前の人間の営み、行為がしっかりと残っている「歴史書」です。
聖なる書物ではありません。歴史書です。
で、2000年前に編纂された聖書を読むことで、西洋の歴史の根本部分がわかります。
キリスト教はパウロが作ったユダヤ教(ファリサイ派)のアップデート宗教だった
聖書は歴史書
聖書は作品です。人間が作った作品。しかも呪いの言葉などもあり、宗教を掲げながら、醜い人間の姿をしっかりと残している歴史書そのものです。
聖書を歴史書として読む。人間の観察と洞察の対象として読む。
このような姿勢で聖書と向き合うと、聖書の中には、人間の愚かさが、これでもかと読み取れて、大変な学びになります。
だから現代人こそ、教養として、反面教師として聖書を完読し、研究することがおすすめだと思うようになっています。
聖書の学習はおすすめ
そんな聖書なんですが、そもそもキリスト教に深く興味を持つきっかけは「聖霊体験って何?」。これでした。
で、まずはキリスト教の歴史を学び、聖書を完読。
聖書は複雑ですので、関連する事項、気になる点、おかしいと思う点、ドギツイ不適切な表現、びっくする話し、ヤバイ話し、疑問点などなど全てチェック。
これらを拾い上げて一覧表にもまとめたものでした。
巷のキリスト教本では上辺しかわからない
このように整理しながら聖書を読むことで、聖書とキリスト教を立体的に理解できるようになったものです。
で、キリスト教がどういう宗教なのかがよくわかるようになりました。
こう言ってはなんですが、巷の本を読んでもキリスト教はわかりにくいんですね。
当たり障りのない「ふわっ」とした表面的な説明が多いからです。これではふわっとした理解で終わってしまいます。
けれども聖書を「完読・精読」すると、キリスト教の極めて醜い部分も含めて、どういう宗教なのかがはじめてわかるようになります。
聖書を読む人は3%以下
そんな聖書なんですが、バート・D・アーマンの話しによると、アメリカ人ですら聖書を読む人は極めて少ないといいます。
わずか3%程度であるといいます。
聖書を完読・精読する人は、もっと少ないといいます。
つまり、聖書の中身を知っている人は、意外と少ない。かなり少ない。
「キリスト教がどういう宗教なのか」がわかっている人、知っている人は、極めて少ないということなのでしょう。
キリスト教のことは意外と知られていない。
だから、キリスト教は、今でも世界宗教として君臨できているんでしょう。
聖書を読むことで世界がわかる
けれども聖書の中身を知れば、おそらく仰天すると思います。
しかし仰天する話しがほとんど聞かないのは、聖書を完読している人は少ないからでしょう。
特に、キリスト教を信仰していない人が、聖書を完読することは、まずあり得ない。少ない。
しかしキリスト教を信仰しない人こそ、聖書を完読し、聖書の中身を熟知する必要があります。
というのも、聖書を読めば、「世界がわかる」からです。
この2000年の人類の歴史の深奥がわかります。
なので聖書を完読することはおすすめなんですね。特に、クリスチャンでない人こそ、完読する必要があります。
世界に対する物の見方が、大きく変わるからです。
聖書が読まれない理由
そんな聖書なんですが、アーマンの指摘の通り、プロテスタント国家であるアメリカですら3%以下。
確かに聖書は文字は小さいし、伝説じみた話しから始まります。
そもそも原文の文章が破綻しているため、翻訳文も意味不明になっている箇所もあります。
読みにくい本であるため、相当な気合いやモチベーションがないと読むこと自体が難しいと思います。
世界一のベストセラーでありながらほとんど読まれていないのが聖書。ちょっとビックリ。
アメリカの南部では、ありがたかって「聖書を飾っているだけ」の人も多いといいます。
キリスト教の暗い歴史
キリスト教の歴史をみると、一部の人が聖書を理解し、キリスト教の教義を作り、神の使者を名乗って人々に教える。そんな支配的な時代も長かったこともわかります。
そんなキリスト教の歴史は、異端認定と排除・弾圧。ユダヤ人への迫害。巨大な権力化と支配。そうして数々の戦争。一方では芸術文化への圧倒的な影響力。
近現代では、資本主義の生みの親となり、ユダヤ金融資本をも生み出す原因にもなっています、実は。
そうしてホロコースト。原爆投下。
グローバリズムの源もキリスト教。
もちろん草の根の末端信者の目覚ましい博愛の活動はあります。しかし闇の深さも半端ありません。まさに世界を動かし、世界に影響を与え続けている宗教です。
西洋人の意識の深奥がわかるキリスト教
西洋の人間がうごめいてきた歴史そのものがキリスト教に集約されていますね。人間の営みがわかりやすくパッケージされているのがキリスト教。
キリスト教を調べれば、人間の営みや歴史のほとんどのことがわかると思います。キリスト教はまさに人間の歴史そのものといっても過言ではありません。
そんなキリスト教の教義や歴史を知ると、残念ながら義憤もわいてきます。
知らなかった。いや知られされていなかったのでは。
こんなに大事なことをと思うと、なんとも切ない気持ちにもなります。いやはや。
キリスト教を簡単にいえばイエスの「死」「復活」がキモのユダヤ教
成功法則のルーツも聖書にある
ちなみに成功法則、引き寄せの法則、アセンションなどなども源流をたどればキリスト教にあります。
成功法則の原理は聖書にあります。
スピリチュアルの源流の一つはキリスト教神秘主義。
動物磁気(メスメリズム)のメスメルもそう。
ありとあらゆる面で影響を及ぼしてきたキリスト教。久しぶりに驚きやらパラダイムシフトが起きるやらで、なんと言ってよいやら。
人生の教訓、教養、人間洞察などなど、世界中の人が知っておいたほうが良いと思う、宗教という名の思想・イデオロギーとその歴史、それがキリスト教ですね。
キリスト教はバクティヨーガでなかった
キリスト教を知るまでは、「信仰」といえば日本型の信仰やインドのバクティヨーガしか知らなかったものです。
そもそも「教えがない」神道。素朴に仏を信じる多くの日本型仏教。ラーマクリシュナのようにカーリ神をシンプルにとことん信じるインドのバクティ・ヨーガ。
信仰とはシンプルでありながらも高い意識に開眼していく、まさに「バクティヨーガ」であり、これはこれで一目も置いてきたものです。
で、キリスト教も同じバクティヨーガな信仰であるとずっと思っていたものです。
イエスが残した教えや実践を行い、イエスをシンプルに信仰する宗教、それがキリスト教であると。
キリスト教はイデオロギー信仰
ところが、それはまったく違うことがわかりましてね。日本やインドのようなバクティ・ヨーガとしての信仰じゃないじゃん。
思想・イデオロギーを信じるという意味での信仰じゃん。
これを知ったときの驚き。
驚天動地とはまさにこのことで、キリスト教を勉強するようになってから「何故?どうして?なんだこれは?」の連続。
自分の中に何十人ものシャーロックホームズが登場し、謎解きに夢中になってしまったという塩梅。
もっとも末端信者はシンプルな祈りをしていたり、キリスト教神秘主義では瞑想を行うなど、キリスト教の中でもよさげな信仰もあります。
キリスト教はメインストリームでないところが良いんですね^^;
崇高なキリスト教徒【テルトゥリアヌス護教論より】~社会的困窮者の救済にいそしむ
グノーシス主義がキリスト教を変える
ところで1945年、エジプトで偶然発見された「ナグ・ハマディ文書」。グノーシス主義の文献が大量に見つかっています。
「ナグ・ハマディ文書」は、キリスト教の土台を揺るがすインパクトがあります。
おそらくーーーそう遠くはない将来、キリスト教は第二の宗教改革を迎えるのではないかと予測しています。
それは、教えや解釈を押しつける思想・イデオロギー型信仰の曲がり角を迎える出来事になるのではないかと。
グノーシス主義はなぜ異端なのか?正統派教会とは違いすぎる驚きの内容
キリスト教の問題は大きすぎる
それにしてもキリスト教の問題は、私のような一介の個人が取り扱うには大きすぎますね。そもそもややこしい。
キリスト教は草の根に行き渡っていますので、市井レベルで争いを引き起こすことになりそうです。
この構図はまるで「ワクチン派・反ワクチン派」であるかのよう。あまり踏み込むといろいろと面倒なことになりそうですね。
けれども多くの人が知ったほうがよい歴史の真実があることも事実。二律背反する心が自分の中にはあります。
認知行動療法がキリスト教の問題を解決する?
キリスト教は光も闇も両方とも強いですね。しかし瞑想的な観点からいいますと、光に見えても実は本質は闇と同じに映ります。
思い・観念・概念といった「考え」への強いこだわりは宗教や思想に多いのですが、こだわればこだわるほど心は落ち着かなくなり、不幸になっていきます。本当は望ましくないんですね。
しかし認知行動療法的なものが、この手の問題を解決する導き手になると思っています。
欧米で広まりを見せているマインドフルネスもそうですね。
マインドフルネスこそ、認知行動療法の平俗化です。
で、認知行動療法やマインドフルネスの先に、思想型宗教(キリスト教)の問題を解決する道と術があると思っています。
キリスト教に第二の宗教改革が起きる
キリスト教における第二の宗教改革は「認知の有り様」がテーマになると予感しています。思い・考え・観念・教義・思想との向き合い方ですね。
で、認知の有り様を云々するのが認知行動療法(マインドフルネス)やグノーシス主義。
キリスト教はこれらを取り入れるかどうかを巡って侃々諤々しながらも、取り入れざるを得なくなって刷新されていくんじゃないかと思います。
もし聖書という物語を信仰するフレームの中に居続けるならば、永遠にユダヤ人迫害は収まらないんじゃないかとも思います。
そもそも2000年という長い歴史が、この問題を「解決できない」と証明しています。
物語の信仰から認知の有り様をテーマに大きく転換
物語との向き合い方を見直す「認知的な有り様」から取り組んでいかないと、キリスト教徒のみならず、世界に平安は訪れないんじゃないかと。
このことは言い換えると、キリスト教にグノーシス主義を取り入れることです。
個々の内面に「神を見出す」、個々人が「神の子」「メシア」であるという意識を見出す。感じる。
これこそが異端、外典として扱われてきたグノーシス主義ですが、グノーシス主義にこそ、キリスト教の限界と壁を突破する道筋があります。
トマスによる福音書~真我を説くヨーガ的なイエスの教えに驚愕!
キリスト教はなんといっても人類の1/4が信者という世界最大の宗教ですからね。キリスト教が変われば、世界も変わりやすくなるかもしれませんね。
それにしてもキリスト教の多くの謎が解明されてくると、キリスト教の全体像が浮かび上がってきます。当初、想像していた宗教とはまったく異なる姿です。
キリスト教は刷新し、変容していく必要があります。