リラ星人の特徴を述べるアレックス・コリアー
リラ星人。
リラ星人の特徴については、実は、アレックス・コリアー氏が述べています。その動画があります。大変、興味深いですね。
地球史 #4: レプティリアン、リラ人、グレイ
アレックス・コリアー氏の説明によると「リラ星人」とは、
- 人間型の宇宙人。
- 「量子論的な確率のコントロール」を経験してきている。
- 今は隠居している存在(地球人との接触は無い)。
- 彼らは過去の地球において「菩薩」Bodhisattva(ボーディーサットバ)と呼ばれていた。
これがリラ星人の特徴であるといいます。ちなみに「菩薩(ボディーサッタ)」は、古い時代の宇宙的な言葉だったといいます。
リラ星人とは菩薩(ボーディーサットバ)だったと。大変興味深いですね。
で、菩薩とは、人々を救済しながら、究極の生命・宇宙太極に至る(悟る)人をいいます。リラ星人は、人々を救済する宇宙人ということになります。
しかも、リラ星人は菩薩(ボーディーサットバ)で観察(ヴィパッサナ)をしているといいます。
これはすごいですね。驚きますね。
リラ星人は菩薩(ボディーサットバ)と呼ばれていた
リラ星人は「菩薩(ボディーサットバ)」だったいいます。動画の9分少し前あたりから説明しています。リラ星人は「仏教」と関係があるのでしょう。
そもそも大乗仏教で「菩薩(ボーディサッタ)」が強調されています。「菩薩(ボーディサッタ)」。
菩薩とは、自らの修行に励みながらも周囲の人を助け続ける人をいいます。これを「自利・利他(じり・りた)」といっています。あるいは「上求菩提・下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)」。
リラ星人は観察(ヴィパッサナ)をしていた
また、リラ星人はいくつかの惑星系において、「観察」及び「指導」を提供することで知られている、と。
「観察(ヴィパッサナ)」。
これは仏教の最大の特徴です。
「観察」という言葉だけから仏教のヴィパッサナを関連付けるのは、やや早計かもしれません。しかし菩薩・観察と並べば、状況的に「仏教」でしょう。観察は「ヴィパッサナ」のことになります。
リラ星人はカラーパレベルの縁起の観察をしていた
しかし「量子論的な確率のコントロールを経験してきている」というのは大変興味深いですね。
原始仏教をご存じの方なら、これを聞くと、ピンと来ると思います。「カラーパレベルの物質の縁起を観ている」と解釈できます。「縁起」の観察ですね。
「カラーパレベル」とはまさに量子論的な極微小な世界の観察、つまり「縁起」の観察です。ボーディサットバ、ヴィパッサナ、縁起観。大変、意味深です。
リラ星人の菩薩(ボーディサットバ)は大乗仏教で強調された精神
ところで仏教は、実は数種類あります。登場した順番でいうと
1.原始仏教(初期仏教)
2.部派仏教
3.大乗仏教
4.密教
このようになります。本当は、もっと細かく分類できますが、ザックリ分けると、このようになります。
アレックス・コリアー氏が述べているリラ星人の「菩薩(ボーディサットバ)」とは、3番目に登場した「大乗仏教」の精神をいいます。
大乗仏教では「慈悲」を強調します。「愛」の実践の強調ですね。で、これが「菩薩(ボーディサットバ)」の精神です。
仏教は歪められてしまっている
私は仏教も宇宙的産物であると思っています。仏教に限らず「悟り」といわれるものもそうです。しかし、インド人とインドの歴史が、仏教を歪めてしまったとも思っています。
仏教を実践している人は、宇宙人には開眼していない人は多いです。否定する人達も大変多くなっています。
これがキリスト教やスピリチュアルになると、そうではありません。スピリチュアルを信奉している人の多くは宇宙人は当たり前の常識です。
しかし、仏教の世界では、宇宙人は受け入れがたく、相入れない所すらあります。
原始仏教はインド人の嗜好にしたがって個人主義的なものに変容し、わい曲もされています。そしてドグマ化して伝承しています。
ですので「落とし穴」が大変多くなってしまっています。といいますか、落とし穴があること自体が分かりにくくもなっています。
教義の構築が、愛や慈悲を後ろに追いやる形を取っているからです。この上「伝統」というパワーが加わり、教条主義、原理主義となれば、まず、このワナから逃れることはできなくなります。
原始仏教は、とかく否定的マインドと、虚無、無慈悲、排他性を生み出しやすいところがあります。また理念的、イデオロギー的になりやすい。これが最大の落とし穴です。
そしてこれらは全て「愛」とは正反対なエッセンスです。
原始仏教の伝承が間違っていたため大乗仏教が登場した
こうした「欠陥」が生じてしまったため、後に大乗仏教が隆起したものと思います。
大乗仏教では「慈悲」を強調します。「愛」の実践の強調です。大乗仏教は仏教の原点回帰運動ですね。
原始仏教こそ、宇宙的な視点で再構築していく必要もあるとすら思っています。あまりにも視野が狭く、こじんまりとし過ぎていると感じられるからですね。
本来のブッダの仏教は、リラ星人のように菩薩(ボーディーサットバ)であり、観察(ヴィパッサナ)をしている人達なんだと思います。
で、この姿こそ、ブッダ在世当時の姿でしょうね。つまり、ブッダは菩薩であり、観察する瞑想を推奨していた。
しかし伝承の過程で、菩薩の精神が弱くなってしまった。それが原始仏教(初期仏教)となって伝承された。たぶん、そんなところではないかと思います。
まとめ
ということで、アレックス・コリアー氏が述べるリラ星人は、大変、興味深かったものです。
で、リラ星人は
- 菩薩(ボーディーサットバ)であり、
- 観察(ヴィパッサナ)をし
- 縁起の観察をしている
ということなんでしょう。
リラ星人と仏教とは、関係がありますね。
大変、興味深く、示唆に富んだ話しです。