日本の仏教は明治に輪廻転生を否定しはじめた
そうそう、日本の仏教は輪廻転生を否定しています。これはですね、明治の神仏分離令のときに起きたことのようです。
宮元啓一氏の「ブッダが考えたこと」
この前、宮元啓一氏の「ブッダが考えたこと」を読んでいて初めて知ったことなんですね。
宮元氏の解説によれば、明治の頃、日本の仏教界でも西洋哲学の合理性に圧倒されて、「輪廻転生などという迷信は止めよう」というムードが起きたといいます。
輪廻転生は迷信?
そもそも輪廻転生は確かめることができません。死んだら、何かに生まれ変わるとか、地獄や極楽へ行くなど、誰も確かめたことがないからだといいます。
仏典というテキストによる伝聞なので本当かどうか疑わしい。そういうものを信じることは合理的でない。「非合理的」だと。
輪廻転生は、お釈迦さまの教えを理解できなかったインド人らが、大衆に迎合するために勝手に取り入れた迷信なんだと。
仏教学者も輪廻転生を否定しはじめる
で、当時は、輪廻転生を否定した仏教は「斬新さ」に映って、仏教学者らも賛同し始めたといいます。で、日本の仏教でも生まれ変わりを否定し始めたといいます。
けれども、やはり仏教そのものが「輪廻転生」を前提に成立している宗教であることから、仏教界と仏教学界より猛烈な批判と反発を受けて、次第に終息していったといいます。
ところが、この流れは知識人達に響き、「輪廻転生は迷信である」が深く浸透していったといいます。で、今日にまで至っているといいます。
輪廻転生が迷信のルーツは明治時代
つまり日本で「輪廻転生が迷信」とする向きは、明治の頃に、そのルーツがあったということなんですね。
明治の時代には、神仏分離令も発せられていますし、廃仏毀釈も起きています。
これに加えて、輪廻転生は迷信であるとして、日本は霊性を捨て去るようになったといいます。
うーん、この流れは酷いですね。
知性に偏った極端な有り様です。
警察犯処罰令~明治時代は法律でスピリチュアルを禁止
ちなみに、西洋哲学の合理性に影響を受けて仏教から輪廻転生を排除したこの流れは、まじないなどを禁止することにも及びます。
それが「警察犯処罰令」。
明治41年(1908年)に制定された法律です。
今から約100年前。
この法令では、なんと
・占い
・祈祷
・お札
・お守り
・呪文や真言を唱えること
・気などを使ったヒーリング、病気治療の類
・催眠術
といったことを、民間人が行うことを禁止したわけです。
つまり、今で言う「スピリチュアル」を一切、禁止したわけですね。いわば「スピリチュアル禁止令」です。
このことはホントの話し。
「警察犯処罰令」の第2条-17、18、19にちゃんち規定されています。
警察犯処罰令(明治41年9月29日内務省令第16号)
第2条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処す。
17 妄りに吉凶禍福を説き、又は祈祷、符呪等を為し、若しくは守札類を授与して人を惑わしたる者
18 病者に対し禁厭、祈祷、符呪等を為し、又は神符、神水等を与え医療を妨げたる者
19 濫りに催眠術を施したる者
◆「法令における呪術の取り扱い(警察犯処罰令を読み解いて)」/「雷」の小説
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5336447
どっひゃーですよね。
修験禁止令~明治時代には修験道も禁止された
で、明治の頃は、こうした呪術の類を根こそぎ否定しています。しかも法律にまで組み込んで取り締まって徹底的に排除する動きです。
先ほどの「警察犯処罰令」が発令される36年前の、明治5年(1872年)には「修験禁止令」を発布。
これは文字通りです。
修験道を禁止したわけです。
飛鳥時代から続く修験道を禁止。
もっとも修験行者(山伏)は、詐欺師などの犯罪者が隠れ蓑にする姿だったことも事実です。
山伏は、今でいうところも「ならず者」の象徴です。実際、山伏の悪辣ぶりは酷く、室町時代にも記録があります。
西洋の合理化精神を受けて、廃仏毀釈の潮流とともに、修験道も大弾圧を受けます。このため当時、国内にいた17万人の修験行者や廃業。また、各地の修験道は壊滅。
関西では、真言宗系の「当山派」と、天台宗系の「本山派」の2派がありますが、どちらも壊滅的に。かろうじて、ほそぼそと熱心な民間人が継承し、一応、現在も残ってはいます。
明治時代は迷信の類を徹底的に批判・排除した霊性欠落の時代
そう、明治の頃は、今でいうスピリチュアルが法律で禁止された時代です。オカルト、まじないといった個人で楽しむものを法律で禁止する異常な時代。西洋かぶれといいますか、合理的に偏りすぎた、知性に極端に偏ったおかしな時代なんですね。
しかしスピリチュアルには、霊性につながるエッセンスがあります。
19世紀の明治時代の姿勢は、まったく霊性を欠いた愚かな態度なのですが、目に見えるものしか信じないという感性は、ハートを欠落した人間特有のものだったりします。
これではいけませんね。
19世紀はミャンマーやタイでも仏教の合理化が起きていた
それにしても、日本でも19世紀の明治時代に、西洋の影響を受けて、輪廻転生や神通力といったスピリチュアルを全面否定したとは。
で、こうしたことは同じ19世紀の頃に、ミャンマーとタイでも同じことが起きていました。
ミャンマーでは、19世紀の半ば以降にかけて、仏教改革運動が起きています。
それは瞑想の仕方を変える動きだったといいます。それまでは禅定(サマタ瞑想)を主体としたものの、念を気づきと解釈する新しい潮流です。
この流れを受けて、マハシ、ゴエンカといったやり方が台頭してきています。ビルマ政府も後押しします。
タイでも19世紀の半ばから王室のモンクット親王が仏教の大改革に着手します。
タイ仏教も西洋の合理主義的な宗教にするために、神通力、天界・餓鬼といった異次元の世界、輪廻転生などの神秘的なことを排除する方向。そうして仏教を「心理学仏教」に改めています。
で、これを、「タンマユニット派」として新しい仏教を創設しています。
19世紀は合理性と霊性(スピリチュアリズム)が拮抗する時代
アストラル界や、コザール界といった異次元の世界。
こうした世界を認めないという動きは、19世紀以降に見られる、世界的な潮流なのかもしれませんね。確かに西洋の近代的な発展があったのは19世紀です。
しかし同じ19世紀には、イギリス、アメリカ、日本でも、合理化の流れとは別にスピリチュアリズムの台頭が起きています。
1848年には、アメリカニューヨーク州ハイズヴィルにある家でポルターガイスト事件が発生。この事件が、スピリチュアリズムの始まりだったといわれています。
19世紀は合理性と霊性(スピリチュアリズム)が拮抗する緊張関係のある時代だったのでしょうね。
現代は合理性と霊性(スピリチュアリズム)が融和の時代
ひるがえって現代では、合理性と霊性(スピリチュアリズム)が融和してきている時代だと言えますね。こうして少しずつ良くなっていくのかもしれませんね。
それにしても、日本の仏教が輪廻転生を否定したのは明治時代にはじまるということですね。知性や合理性に異常に偏りすぎた時代の産物です。
しかし、その極端に偏った姿勢が、今もなおスピリチュアルを批判し否定している有り様なんですね。異常な姿勢で物事を是々非々すること自体が、まったくお話しにならないわけです。
スピリチュアルを否定批判する姿勢には、明治時代のような異常に歪んだ偏向姿勢がある場合もあるってことですね。