プレゼンスとハートの目覚めをうながす~キリスト教の真髄を知って感動

日本にNATOの拠点とCDCを作る動き

それにしても、なんだか日本はますますおかしな方向へ進んでいるような。

最近では、日本にNATOの拠点を作る話しも出てきています。

⇒NATO、日本に拠点 – 日本経済新聞

これ、第三次世界大戦の構造作りに思えるのは、気のせい?

ゼレンスキーも、何故かG7広島サミットに来ることになっちゃいましたし。

あと、アメリカのCDC(疾病対策センター)版が、日本に作られるとか。そんな動きが具体的にもなってきました。

⇒日本版CDC法、衆院通過 司令塔新設案、参院審議へ(共同通信)

日本人に、ワクチンを強制的にバンバン打たせるための推進じゃないんですか?

滅びの足音がよりはっきりしてきたような。

日本が滅ぶことに気づいている人は国民の1%~3%

時代が悪くなっているように思います。

この手の話題は、2008年くらいから興味を持ってきました。で、一時はブログにもつけていましたけどね。

しかし、この手の話しをずーっと意識したり、取り組んでいますと、だんだんと気持ちも萎えてくるといいますか、波動的にもよくないんですよね。

しかも、問題を意識している人の数は、国民の1%~3%程度といいます。

日本が危機的な状況に陥って、何らかの手を打たなければ、2040年までに貧困国&発展途上国&植民地&日本消滅になることを想像できる人も、これまた国民の1%~3%程度いいます。

つまり、ほとんどの日本人は、問題の深刻さに気づいていない。

で、そんな中、気づいた人は、焦ったりして、独り相撲をするかのような状態になってしまいます。

虚しいといいますか、10年経っても気づく人は、国民の1%~3%程度。

これって、この先、10年、20年経っても同じじゃね?

なんて最近は思うようになってきましてね。

それじゃあ、なんとか生き残りゲームに賭けるほうがいいんじゃね?なんて思うときも。

日本が悪くなることで気づく人は増える

で、ま、実際のところ、参政党が頑張ってきていますので、もう参政党におまかせすればいいかなと思っています^^;

しかも、日本が悪くなるに従って、気がつく人の数も増えます。

逆にいえば、もっと悪くなって、ポンコツ寸前にいかなければ、過半数近くは気がつかないかもしれませんね。

日本にミサイルが数発落とされたり、土地の10%が外資に買われたり、地方銀行がゴールドマンサックスに占拠されたり、外資が国内の水道をほぼすべて管理運営するようになったり、中国人移民が100万人くらいになったり、失業者が1000万人になり、ワクチン被害者が1000万人になるとかが起きて、日本のポンコツっぷりが顕著になってはじめて「ヤバイんじゃね?」って気がつく人が増えるんじゃないかと。

実際は、そんなところじゃないかと思います。日本が半分くらい壊れて「ヤベ」って気がつくようになるんじゃないかと。

でも参政党が頑張ってくれますので^^;、もういいかな。お任せー^^

なんか「ズルイ」と思われるかもしれませんが、この手のことはもう15年くらい興味を持ってきていますし、上記に書いた通りで、問題意識を持つ国民が増えなければ、なんともかんとも状態。

なので、この辺りへサっと身を引いて、別のことに力を注ぐほうがいいんじゃないの?なんて思ったりもします。

興味があることは縁のある方々の意識の向上

で、それが縁のある方々の意識の向上。

これです。
以前も書きましたけれどもね。

スピリチュアルは意識の向上の障害になる

ところで、参政党はスピリチュアル色が強いんですよね。

しかし、スピリチュアルに興味があると、高い次元に進めないんです。

このことは「OSHO」も言っています。

スピリチュアルは、アストラル次元のことなんですね。迷い、妄想、混濁、知性がうまく働かない境涯です。

コーザル次元に開眼してから、アストラル次元に興味を持つのならまだいいんですが、最初からアストラル次元のスピリチュアルに興味を持つと、瞑想の次元であるコーザル次元には、なかなか開眼しません。

このことは、経験的にも言い切れます。

スピリチュアルはお断り

なので今では、「スピリチュアルはお断り」にしています。

ま、エンタメ、娯楽として楽しむ分ならいいんですが、スピリチュアルに何か真理があると思ったり、興味津々になっている方は、まず瞑想は伸びませんし、無理です。

なので、スピリチュアルが好きな方は、瞑想を基本的にはお断りしています。例外はありますけどね。

浄化が大切

で、スピリチュアルにそれほど興味の無い方で、意欲がある方ならば、いろいろとアドバイスさせていただこうと思っています。

しかし、他にも条件はありますので、そうした条件もクリヤーしていく必要もあるんですけどね。

中でも「浄化」ですね。
マイナスのエレメンタルの浄化。

わかりやすくいえば、雰囲気を良くすること。
これが非常に大切なんですね。

瞑想などの修行の大半以上は、浄化になります。雰囲気を良くすること。これがほぼすべてになります。

で、最初からある程度、良い感じの方は素養があると思っています。仮に、瞑想がなかなか進まない方であっても、雰囲気のよさげな方はOK。

事実、昔の瞑想マニュアルである大乗起信論においては、浄化の修行は半分以上のウェイトを占めているとも述べています。

天啓気療で浄化を

想像している以上に、浄化は大切なんですね。

で、浄化が必要な方には、天啓気療を何度も受けていただくことをおすすめしています。

もしも天啓気療を受け続けることが無ければ、その時点で終了になってしまうときも^^;

それくいらい浄化は大切なんです。

大乗起信論にもある通りで、浄化がもっとも大切。大乗起信論ではもっと厳しいことを言っています。前世の業なので、相応の時間は覚悟してくださいと。

しかし福音があります。
それが天啓気療。

キリスト教は素晴らしい

最近、キリスト教に非常に関心を寄せています。

毎日、キリスト教の本を読んでいます。

この前、ようやくキリスト教の歴史を読み終えました。電話帳のように分厚い本だったんですが、2000年の歴史がようやくわかりました。

で、キリスト教は素晴らしい。

今までキリスト教って、修道院以外の信仰は、聖書を読んで、イエスが残した教えを実践し、奉仕に生きる、愚かな欧米人らしい宗教って具合に、軽んじていたんですね^^;(失礼)

しかし、ハートの体験が大変豊かな宗教であることがわかり、また粗削りながらもその方法もあったりして、見直しました。

キリスト教は素晴らしい。

キリスト教ではハートの覚醒を目指す

で、キリスト教では、祈りと聖霊体験によって、ハートの次元に開眼していくことを狙っています。

で、キリスト教の信仰とは、愛に目覚めること。

このことを、神からの恩寵、神の義、聖霊によるはたらきなどといった言い方をしています。

で、キリスト教の信仰と実践を通して、深い愛に目覚めている方々も少なからずいらっしゃいます。

内村鑑三が素晴らしかった

意外だったのが内村鑑三。
教科書でも習いますよね?
明治の初期に、日本にキリスト教を本格的に広めた人として教わったはずです。

この内村鑑三は、実は聖霊体験、つまり神の愛を体験していたんですね。神さまからの恩寵を受けて、生涯、神の愛を感じた方だったんです。

このことは、「内村鑑三信仰著作全集(9)神 聖霊 三位一体」という著書を読んでいるときに発見しました。

聖霊体験をしていた内村鑑三

内村鑑三が、神の恩寵を受け、聖霊のはたらきによって愛に目覚めていたことは、その著書のいたるところに書いてあります。

まるで魂からほとばしるかのように意気揚々と記している箇所もあります。

内村鑑三の文章を読んでいると、明らかに体験した人特有の表現もあって、感銘を受けたものです。

たとえば、次のような記述です。そのまま引用します。

「内村鑑三信仰著作全集(9)神 聖霊 三位一体」/◆聖霊を受けし時の感覚(p168)

聖霊を受けし時の感覚はこれである。すなわち、
こんなよいものは全世界にない。
これさえあれば余はなんにもいらない。

金はもちろん、位も名誉もなんにもいらない。
家庭もいらない(もし神の聖意ならば)
事業もいらない。

成功もほしくない(もし神の聖意ならば)
伝道に従事することができなくともよい(もし神の聖意ならば)

なんにもいらない。
ただこれ(聖霊)を永久に持っておりたい。
これに去られてはたまらない。
どうにかしてこれを永久にしておかなければならない。

ああ、平和、平康、安心、聖書に書いてある「人の思いに過ぐる平和」とはこのことであろう。

わが過去はすべて忘れられ、わが未来は希望満々とたり。

人生の意味はわかり、ことに苦痛問題は美事に解釈され、天は晴れ、地は動かず、木も草も、獣も鳥も、日も月も星も、みなわれに同情を寄するように思われる。

これがもし天国でないならば何が天国であるか。天よりくだる新しきエルサレムを、われはこの世においえ見ることができて、感謝する。

こんなうれしい事、こんなありがたい事を、余は余のこの世の生涯において実験しようとは思わなかった。

ああ今より後、永久続けてかかる歓喜にあずかりたいとは、あるいは望外の望みであるかも知らない。

しかし、よし一分間でもよい、一分間なりと、この世から天国をのぞいたのである。この一分間を得んがために、余の生すべての苦痛があったとするも、余は悔いない。

余はただこの昇天的歓楽を一度も味わわないで世を逝(さ)る人の多いのを見て、彼らのために非常に気の毒に感ずる。

余は今より後、余の死ぬるまでにかかる経験をなお一度も持つことができずとも、深く神に感謝すべきである。

内村鑑三のほとばしる思い

内村鑑三のほとばしる思いが、文章からも伝わってくるかと思います。

魂が震えるかのようなこのほとばしりこそ「愛のエネルギー」です。

感情とか気持ちではありません。エネルギーです。

聖霊体験した者の心境。ハートに目覚めた者の心境。

聖霊体験とはハートの覚醒

ハートの目覚めもそうですが、真我体験をすると、人によっては、絶対的に救われた安堵感が生じます。

で、これがキリスト教における「救済」だったことがわかり、合点したものです。

キリスト教では聖霊体験といっていますが、他では「ハートの覚醒」「慈悲の開眼」といっています。

エネルギー体験です。

プレゼンスとハートへの開眼

私は、まずは知性の飛躍となる「プレゼンス(名色分離智)」への開眼をうながしています。

そうして次に「ハートの覚醒」。胸の真ん中から慈しみのエネルギーがほとばしるようになります。

このほかにもありますが、まずはこの二つ。
知恵と慈悲。
プレゼンスとハート。

ハートの覚醒だけでも、内村鑑三の手記の通りになります。

日本が悪くなっていくということを横目に(参政党におまかせして^^;)、私は一路、意識革命のほうに力を注ぎたいと思っています。

キリスト教への理解が、これをなお一層プッシュしたように思います。

それにしてもキリスト教は素晴らしい。

こんなに素晴らしい愛の目覚め、愛の体現があったとはまったく知らなかった。

せいぜい教えレベル、奉仕活動レベルの、欧米人向けの稚拙な信仰であるかと思っていましたが、修道院で修行しなくても、キリスト教を信仰・実践している人の中には、愛を体現している人がいることを知って、目から鱗となったものです。

これを多くの人に体験体現していただきたい。

そう強く思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です