自己啓発の教えを身に付けるには一つのことを実践する

自己啓発の教えを身に付けていくためには

自己啓発での教えには、いろんな教えがありますね。しかしながら、せっかく有益な教えであっても、それを身につける、習得しないと、絵に描いた餅になってしまいます。

どんな教えでも実践でもそうですが、一つ自分で決めて、それを数年から10年以上続けるのがおすすめだと思っています。

よく、好奇心からなのか、あれもこれもと手当たり次第、読みあさって、知識だけはものすごく多い方がいます。

興味本位なのかもしれませんが、こうしたスタンスは「実践」という立場からしますと、あまりよろしくなかったりします。

「知識」として、あるいは非日常を楽しむ「カンフル剤」や「刺激」として読むという、そういう楽しみ方もあるかもしれませんが。

何か役立つ教えなどを聞いても「あ、それ知っている」という感じとか、反対に初めて聞くものには「それはすごい」と感動して、「役立つ教えの収集家」のようになってしまうならちょっと問題です。頭デッカチになってしまいますから。

どんな教えでも3年間は続ける

大切なことは、どんな教えでも実践でも「行う」ということですね。

「一つ」。
一つを愚直なまでに実践し、自分のものにしていくこと。愚直なまでに実践することですね。

文字化された知識など、所詮、知識です。
文字の集合体に過ぎません。
文字情報では、せいぜい認知の仕方が多少変わるくらいです。

認知の仕方にしても、これを自分に落とし込んでいくこと。身体意識を通して血肉にしていくことが何よりも大切です。

最低でも3年だと思います。
心を構成する要素も3年弱で入れ替わります。7年で全て入れ替わるという話しもありますが、9年くらいはかかると思います。

とにかく、年季を入れていくことだと思います。
シンプルな教えであっても、愚直なまでにこだわって、それを続ける。

次第に、こだわりが落ちて、自然と自分の習慣になる。こうしたことを20年続ければ、誰でも大きく変化します。

あれこれとさまようのは問題

「もっと良い教え」「もっと効果のあるもの」とさまよいながら手当たり次第、求めていくのはよくない気もします。

もっとも、「教え」を探し求める「求道の途中」なら別です。また工夫は改善も別ですね。

誰しもありがちですが、複雑であったり、「ナントカの法則」のようにキャッチーなものを見ると「これはすごい」として心惹かれます。

しかし、しばらく経つと、また別なものを求めてさまよっていくことがあったりします。

これではいけませんね。
もっと腰を据えて。

知識や言葉だけで満足しないこと

知識など所詮、文字の羅列に過ぎないことが分かってきます。もちろん知識も大切なことは言うまでもありませんが。

知識や言葉で満足しているのではなく、それを「身に付けていく」ということですね。

倦まずたゆまず、これを愚直に続けた人のほうが、たくさんの知識を持っている人よりも、実は何倍も優れていたりします。

役に立つものは大概シンプル

ちなみに仏教系では「執着を手放す」という実践です。畢竟これだけです。

しかし、「手放す」というやり方以外にもあります。今ではいろんな方法が世の中に出回っています。

「今の自分の必要」と思うのがあれば、まずは3年くらい続けてみるのが大切かと思います。

3年も続ければ、ホント、何らかのものが得られます。アタマではなく、魂を通して得られます。
仮に、それが成功しなくてもです。

失敗しても、身につかなかったとしても、貴重な体験になります。そういうものです。

物事は、大概シンプルです。
複雑ではなかったりします。

で、シンプルであるが故に深いわけですね。
またシンプルであるが故に、興味も持たれにくいというのもあったりします。

自己の高揚する輝きを感じ、見出すことができれば、普段の当たり前の生活の中に、偉大なる光をも見出すことができると思います。

2013/12/03 09:02:00

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です