「お祓い」とか「まじない」の世界へ?

「お祓い」とか「まじない」の世界へ

こちらの記事は2017/04/15に書いたものですが、再び掲載したいと思います。今にしてみると示唆的なんですね。

それにしても神道。いいですなあ。

祓い(はらい)とは清浄になること。究極は「本当の自分」「神の心」に還ること。祓いは、個人の救済のみならず、社会全体の浄化を目標とする。神道において重視されるのは「生活共同体」。

霊性とは「目にはみえない大いなる存在」とのつながりを自覚する感性。神秘体験、感動体験、深い平安を経験する中でも発達していく。

大自然との触れあいに感動したり、絵画や音楽に心を打たれたり、日常生活の些細なことにでも魂が揺さぶられることも霊性体験の一種。霊性に目覚めた人は、生活のすべてに「神聖さ」を見出す。

こうした感性は自分に合います。ピッタリだ。

いや、こうした神道の精神は、日本人の深層意識であり、おそらく多くの日本人が共鳴する霊性(ハート)のエネルギー意識であろうと思います。

霊性とはハートのこと

霊性。それは「ハート」のこと。

キリスト教の神聖さは、まさにハート、霊性に依るものだったのでしょう。形式や表現は異なっても、世界中の民族が共通して内包し、回帰したいと願っているのが霊性・ハートなのでしょう。素晴らしきかな。

そうそう「お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く」が届きました。伏見稲荷神社の砂澤たまゑさんのエピソードです。想像していたよりも、いい感じですね。こちらも一気読みする予定です。

お祓い・まじないの世界と身体感覚

それにしても、突如、「お祓い」とか、「まじない」の世界に突入してしまったような^^;なんていいますか。

ですが10日位前の4/3に「まじない」の夢を見ているんですね。(2017年4月3日)しかも「呪詛」の夢^^;

で、何気に、その夢のことを、書いているんですね。なーんか、妙ーな展開になってきているような。え?呪術の世界に行くのですかあ?と一抹の不安がよぎったりも。

ここのところ身体感覚に変化が出てきていまして。それと並行して「まじない」やら「お祓い」の世界に接点が出てきたりして、なんか感じがまた変わってきたような。大丈夫かなあと^^;

しかし昔から神社は好きですからね。神さまに会いに行くといいますか、神さまの気に触れるのが好きでして。ですので神社へ行きますと、「神さまありがとうございます」と心中でお唱えをします。

神社は霊性(ハート)を感化するところですね。うーん、また神社へ行きたくなった。


※東国三社の一社 香取神宮(千葉県)

過去世の話し

あと妄想話しになりますが、わたしゃ、過去世に吉野にいたんじゃないかという感触がありましてね。奈良時代じゃないかと思います。山岳修行をやっていたような気がしますね。

で、昔は、たまに夢の中で九字を切ることがありましてね。怖い夢を見たときに、九字を切って、追い払うわけです。昔、学研のムックなどで見よう見まねで憶えたことが、なんか馴染んでしまっていたり。

お祓いとはエネルギー意識の世界での操作

実は、そんなのがあったりします。で、今になって、中村雅彦さんの一連の著書がトリガーとなって、「まじない」とかの世界に、怪しくも惹かれ始めてきたり。

これって、ヤバいと違う^^;なんて思ったり。

しかし通常の心理系のカウンセリングや判断に加えて、霊的な見地からの対処や判断も必要だと思いますね。

でも「お祓い」かあ。エネルギー意識を扱う世界です。エネルギー的に防護される仕組みを用意しておきませんと、ちとヤバい感じがしましょうか。

中村雅彦さんの著書にインスパイア

中村雅彦さんの書にインスパイアされて、あれやこれやと思いを巡らせますが、横道みたいなものかもしれません。

「物語の世界」で、いかに「物語をよくするか」といったオプションです。ですが、「たかが物語、されど物語」。やっぱり良い物語が望ましいですね。

神道における共同体重視は、まさに個々人の物語をもよくしていくことにもなりますしね。

と、独り言。

そうそう、中村雅彦さんのこちらの「祈りの力」もいいですよ。

◎祈りの力―願望実現へのアプローチ

この本は、「呪いの研究」から、おどろおどろしいものを取り除き、なおかつ、平易にした書です。明るい感じになっていますので、読みやすいですね。

それにしても、すっかり、こっちの世界のモードですなあ^^;

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