健全なナショナリズム・愛国心は必要
ナショナリズム。
最近はナショナリズム(愛国心)に目覚める人が多くなってきている感じです。著名人の中にもナショナリストがいます。
ナショナリズムといっても、街宣車で騒ぐような右翼ではありませんね。失礼ながら、こうしたのは違うと思います。
もっと健全でノーマルな「当たり前」な感じの愛国心ですね。そういう「ナショナリズム」です。自分の家族、町を愛するような感覚です。もっと平たくいえば、お互いが助け合う志ですね。
で、私は、こうしたナショナリズムに目覚めることは、昔から良いことだと思っています。
といいますか、欧米のセンスが今一つ好きになれないというのもあります。
欧米の文化って、どこか好戦的で、粗雑で、軽すぎる印象を受けることが多いんですね。もちろん芸術等では感心し、素晴らしいものもあります。しかし全般的に底が浅く軽薄な感じを受けます。もっとも大衆文化とは、欧米に限らず、現代の日本でもそうかもしれませんね。
欧米文化は素晴らしが違和感がある
しかし、そういう感覚があるため、昔から「なんで欧米の真似をしないといかんよ」と、ずっと思っていたくらいです。
会社で、アメリカに出張に行き、アメリカかぶれになる同僚を見るにつけ「おめー、なにかぶれているんだ」としばしば思っていたくらいです。がさつで、無神経になることを、アメリカンで新しく格好いいと勘違いしまくっているように映ります。
欧米人は、岩に苔むす光景を見ても、なんとも思わないといいます。こうした白人の感性を、中学の授業で知ったのですが、この時など、「信じられない」と思ったくらいです。
この当時感じた感性は正解だったわけですが、とはいっても、お国柄が違えば、それぞれ一長一短ですからね。
欧米では、論理性や科学に優れています。テクノロジーや科学の分野でも先駆的です。良いモノや役立つモノを作っています。
また芸術の面でも素晴らしいものが多い。音楽や芸術は素直に素晴らしいと思います。芸術、文化においては、異国感もあるのでしょうが、素晴らしいと思うものもたくさんあります。
実際、音楽や芸術はブログでも多く紹介しています。良いモノは良い。しかし悪いものは悪い。欧米が、十把一絡げにダメという烙印を捺す気は毛頭ありません。
欧米文化は霊性が劣っている
ただ、欧米流の生き方や社会への感性はいただけないかな。また哲学や精神性もいただけない。哲学などは酷いものです。
欧米の思想や精神文化は、論理性(知性)ばかり際だってしまい、思想としては熟成されていません。意識の深いところに響いたり、魂の成長には役立つことは大変少なかったりします。知性には優れていても、霊性が未熟です。
スピリチュアルなどは欧米で盛んですが、浅薄でおかしなものも結構あります。全般的にみて知性と霊性とがうまくリンクしていないのが多い傾向です。
もっとも欧米流に解釈した東洋的思想の中には、分かりやすいものがあり、これは役立つときもあります。欧米人は、その得意の左脳的解釈で、分かりやすく表現できる長所があります。
アジアの感性は優れている
生き方、社会性、思想、精神性に関しては、圧倒的に日本人の感性が優れていますし素晴らしい。
いえ、もっといえばアジア全体ですね。タイ、ミャンマー、ベトナム等々のアジアの諸国も、日本に通じるメンタリティを持っています。
ただ、中国や韓国は、政治的な理通があって、よからぬ状態にあります。中国に至っては、文化大革命で伝統が破壊され、人民の気質も大きく変わってしまったといいます。
中国にも素晴らしい文化や精神性もある(あった)のですが、それが文革でかなり破壊されてしまった感もあります。残念ですね。
ですが、アジアのほとんどが、「和」「調和」「温厚」といった素晴らしい美徳を備えています。
自分の国を愛するのは当たり前
ですから、日本をはじめ、アジアの感性に誇りを持ち、素晴らしいと常々思っているわけですね。
が、こうしたこや「ナショナリズム」とか「国を愛する」といえば、最近では「ネット右翼」に認定されるとか?
もう、なんていいますかね、さすがにこれはオカシイですね。
自国を愛する、自国に誇りを持つことを言ったり、外国に征服されたり支配されることを嫌うのは、当たり前です。当たり前の感覚。
侵略され征服されるのを受け入れるのはおかしい
しかし中には過激な愛国心を持った人も出てくるわけですね。が、それは極端であるとはいえ、どこか良い意味での任侠をも思わせましょうか。
味方であると心強くあっても、敵にはしたくない剛毅な丹を持った人にも映ります^^;義侠心に篤いといいますか、社会のために身を挺する「サムライ魂」をも思わせます。
しかしこうした人が出てくると、とかく問題も起きがちです。実際、過激になってしまうこともあります。
なので、「戦争に誘う危険性がある」「こういうのは戦争に向かわせる」と、注意をうながす人も出てきます。こうした警戒はごもっともですね。戦争はいけませんからね。
ただ、何をされても黙っているのは、さすがに問題でしょう。根性無しさと、お利口さんとを履き違えてはならないでしょうね。自国が侵略されたり、征服されそうになれば、防衛に出るのは正しいことです。
家にドロボウが入れば、追い出して警察に通報するのは当たり前です。これは国も同じですからね。
けれども左脳的な判断による理想を描くと、「いかなる武力行為もダメ、コレもダメ」みたいになってしまいます。
で、何もできなくなるケースに陥り、結局、無抵抗になって侵略されるという悲惨な結果を招くことになります。
自衛のための軍事力は必要
戦争はイカンのは当たり前。こんなのは言わずもがなです。だが、戦争を仕掛けられないための「抜かない刀」は腰にスっと差しておくのはいい。守るための、自衛のための武力、軍事力は必要でしょう。
ある程度の軍事力が無ければなめられっぱなしになります。世界には、紳士の仮面をかぶった危ない国家もあります。「国連」などといいつつも、実は悪意をしたためながら、善意の仮面をかぶっている機関もある位です。
軟弱で弱腰になるだけではイカンでしょう。
引くときは引く。
出る時は出る。
この緩急のバランスが大切なのでしょが、政治の世界にも、こうした徳性を身に付けた人がもっともっと出てくることが望ましですね。
融和に基づいた社会システムが欠かせない
とにもかくにも、マスコミが流すことは反日報道が多いですからね。
国益を損ねる姿勢があります。
「従軍慰安婦問題」など、その典型。
眞に遺憾です。
しかし、一方では、ナシヨナリズムを高揚させる言論活動を
している方も最近は多いですね。
たとえばこちらの歴史考察を読みますと、
「ああ、やはり日本人だなあ」と思いますね。
◆世界に誇る縄文文化
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html
◆勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1622.html
素晴らしい美徳です。
こうした美徳を、日本人は先祖代々受け継いでいます。
やはり日本人は素晴らしい。
毎度ながら、日本人の感性がいずれ世界を救うと思っています。
ヨーロッパにしろ、アメリカにしろ、欧米は戦争に明け暮れる歴史です。
支配者と被支配者という二元論でしか考えることができない。
勝者と敗者の構造。
その延長で経済システムも作り上げています。
超富裕層と貧困層。
こうした構造に違和感をおぼえないこと自体、もうどうしようもないと思います。
彼らに平和な社会、地球を作ることは不可能です。
こういう欧米の「戦闘思考」ではなく、
日本的な融和精神を根底に根ざしたメンタリティを、
逆に欧米に伝え、彼らを牽引していくくらいがちょうど良いですね。
そう思います。