長浜浩明さんの「日本の誕生」講演会に参加
さて、一昨日の金曜日(10/14)は長浜浩明さんの講演会に参加。
想像していた以上によかったですね。
講演の内容は、長浜さんの集大成となる最新刊「日本の誕生~科学が明かす日本人と皇室のルーツ」のダイジェストです。
この本を読めば、講演の内容がわかります。また「戦後教えられてきた日本の古代史、天皇の歴史」が、いかに大間違いなのかがわかるようになります。
私は一通り読み込んでいましたので^^;、講演会は復習を兼ねることになりましたが、いやーホントによかったです。
戦後生まれた人全員、「必須の知識であり教養」です。マジで^^;
で、講演会では、長浜さんの最新刊のエッセンスが凝縮された資料が配布。
なんと、フルカラー印刷。
お茶も付いています^^;
エンピツも。
これで講演料1,000円。
すごすぎる大判振る舞い。
いやー、こんなにサービス旺盛な講演会は初めてです。
長浜浩明さんの古代史は正しい
長浜さんの話しは超絶驚きです。「日本の古代史」の本当のことがわかります。
学校の歴史や、大学での研究、考古学では、
- 朝鮮・中国からの渡来人・帰化人(騎馬民族)が日本を作った
- それまでは民度の低い邪馬台国が日本を支配していた
- 日本書紀や古事記は伝説・迷信の類
- 神武天皇は実在しない(創作)
と教わり、言われていますよね。
が、これらは全部「誤り」であることを、長浜さんは証拠とデータを元に証明し、本当の古代史を解明しています。
長浜さんは、
- 遺伝子解析
- 日本と韓国から遺跡・土器などの出土品
- 文献
などから精密に分析。
で、誰も否定できない「本当の日本の古代史」を明らかにしています。
日本書紀、古事記の「歴史」の箇所は、ほぼ正確に伝えている歴史書ということですね。
で、
- 日本が朝鮮に渡って韓国の始祖となっている。※このことは韓国の正史「三国史記」に記述。
- 邪馬台国は北九州にあった。※中国に媚びて奴隷を献上し、呪術使いの卑弥呼が国のリーダー&入れ墨がデフォルトが民というDQN国。
- 神武天皇は、宮崎県から鹿児島県辺りに住んでいた民度の高い天孫族。※入れ墨しない、奴隷を献上しない。中国にこびない。
- 神武天皇は実在している。神武東征は事実。※当時の大阪の地形から、神武東征の記述が正しいことは証明されている。
- 日本書紀や古事記は、ほとんどが正確に伝えている歴史書。※神武天皇以前の話しは「神話」的なので、どこまで正確なのかはわからないが、正確に伝承されいる歴史書。
ざっとポイントああげると、こういう感じです。
長浜浩明さんの話しは、本を読むとわかりますが、ものすごい話しですね。
朝鮮・中国からの渡来人(騎馬民族)が日本を作ったはウソ
長浜さんは、「朝鮮・中国からの渡来人(騎馬民族)が日本を作ったはウソ」であることを科学的に証明しています。
一つは、分子人類学(遺伝子解析)。
二つ目は、文献。
三つ目は、出土品。
この3つを元にして、日本は、朝鮮・中国からの渡来人(騎馬民族)が作ったことはあり得ないことを、証拠とデータに基づいて解き明かしています。
分子人類学(遺伝子解析)が解き明かす日本人
遺伝子解析の技術は、21世紀になってから長足の進歩を遂げ、現在では、人類の発祥地から、その伝播まで、既に解明済みといいます。
それが「ジェノグラフィック・プロジェクト」というとか。⇒THE NATIONAL GEOGRAPHIC GENOGRAPHIC PROJECT
このプロジェクトでは、父系「Y染色体ハプログループ」と、母系「ミトコンドリアDNAハプログループ」の情報を基にして、人類の発祥と移動を解明したといいます。
非常に専門的なんですが、この解析情報によると、なんと!「朝鮮中国から日本へ、ヒトは移動していない」といいます。
事実は、むしろ「日本から朝鮮や中国、アメリカへと移動した」ということが明らかになったといいます。
通説とは「真逆」なわけですね。
で、遺伝子解析からいえば「騎馬民族渡来説」はあり得ないと。
日本人は、遺伝的いえば、韓国人(朝鮮人)、中国人、モンゴル人、南方アジア人などの大陸由来ではなく、独自な「日本人遺伝子」を持った民族といいます。
しかも弥生時代のときに、大陸から韓国人(朝鮮人)、中国人が来て、日本人を形作ったということも、遺伝子解析で否定されたといいます。
ちなみにユダヤ人とも違うといいます。
三国史記に伝わる史実
で、決定的なのは、朝鮮の正史「三国史記」に、新羅(紀元前に朝鮮にあった国)の王や王族は倭国(北九州)と兵庫県からやって来たと明記されていることですね。
その他、土器や古墳、出土品など、複数の観点からも、「日本から朝鮮に渡った」のが事実で、「朝鮮・中国からの渡来人(騎馬民族)が日本を作った」はあり得ないといいます。
説明が煩雑になりますので割愛しますが、くわしいことは、長浜さんの新刊著書「日本の誕生~科学が明かす日本人と皇室のルーツ」をお読みになってください。この書を読めば、すべてが氷解します。
邪馬台国は民度の低いDQN国?
ちなみに「倭国」は日本ではなく、「北九州北部の地域」を指すようです。
で、倭国の中に邪馬台国があったといいます。
邪馬台国は、魏志倭人伝の記述から、福岡県 みやま市 瀬高町 女山(ぞやま)神護石[神籠石](こうごいし)辺りであると、長浜さんは推測しているようです。
ちなみに、この西に「権現塚古墳」があり、もしかして卑弥呼の墓?とか。
で、この辺りの地形から見て、邪馬台国は要塞のような町作りをして、戦いに明け暮れていたことがわかると。
邪馬台国のリーダー卑弥呼は呪術使い。中国に奴隷を献上し、男性は顔に入れ墨を入れていた(黥面:げいめん)といいます。
なので、民度の低いDQN国だったようですね。
黥面の風習は限られている
ちなみに黥面(げいめん:顔に入れ墨を入れる)の風習は、当時、限られた少数の地域だけに見られたようです。
主に、北九州、岡山県、岐阜市、名古屋市辺り、静岡市、茨城県、千葉県、群馬県に見られた風習であるとか。
一方、宮崎県日向の神武天皇一向は、入れ墨の風習は無かったといいます。
むしろ「徳の概念」を持つ、民度の高い一族だったようですね。
縄文時代は争いが無かったというのは極論
ところで、邪馬台国の特徴と関連しますが、当時、国内では戦乱が度々あったようです。
このことは、日本書紀や古事記を読み解くとわかります。
しかし最近では「縄文時代は争いが無かった」という説も流布されていますね。
が、人間の行うことなので、「争いが無かった」とするのは、たぶん違うでしょう。
実際、邪馬台国は武装国家であり、民度も低かったようですからね。
やはり昔から争いがあったとみなすほうが自然でしょう。
「日本人だから争わない」というのは、一種のファンタジーであり、妄想になると思います。
古代史は、ロマンが先行しやすいのですが、長浜さんのように、確認できるデータを元に考察するのが望ましいですね。
神武天皇は137才まで生きた?
ところで天皇の年齢に関しては、私も疑問でした。
記紀には137才とか、153才とか、168才とかあるんですね。
で、これがあるがために、私も「記紀は空想で書き上げた偽書だ」と思っていたほどです。
ところが、実は21代目の雄略天皇の時代までは、「春秋年」という年の数え方だったといいます。
このことは、魏志倭人伝の注記(裴松之の注)に記載されています。日本では「春秋年で年を数えていた」と。
で、「春秋年」とは、「春になれば1年、秋になれば1年」とカウントしていく年の数え方といいます。
つまり「現在の1年=2年」となる数え方ですね。
なので、
・137才・・・68.5才
・153才・・・76.5才
・168才・・・84才
になるわけですね。これなら納得です。
偽書「先代旧事本紀大成経」
で、天皇の年齢が「春秋年」で書かれていたことを知りませんと、江戸時代に登場した偽書「先代旧事本紀大成経」のようなオカルト書を生み出します^^;
ちなみに「先代旧事本紀大成経」の神武天皇の項目(p597)には
神武天皇の背の高さは約3m15㎝。胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15㎝足した長さ。頭には9㎝の角が2本あり、それはまるで雪のような色をしている。背中には龍のような背びれがあり、その長さは1m20㎝、尾の裏側には大きな鱗が72枚ある。115歳で皇太子の位に就かれた。
といった記述があります^^;
まさに「トンデモ」なんですが、「寿命が168才」とあると、こうしたオカルト偽書が出てくる隙を生み出しますね^^;
ま、こうした妄想書を生み出す輩が出てきても仕方ないような^^;
何故おかしな古代史が多くなったのか?
ところで「おかしな古代史」が、何故、学会をはじめ教育界にはびこってしまったかといえば、このことも長浜さんは説明しています。
GHQ政策が日本の考古学を弾圧した
それは端的にいえば、戦後の「GHQ政策」が原因です。
戦後、GHQは「教職追放令」を発令しています。この法令は、
・天皇を尊ぶ歴史観
・日本書紀・古事記に基づく歴史観
を提唱する教える学者、先生は、すべて「逮捕、監禁、罰金」という刑罰の対象。
しかも「学者、教職員の身分を剥奪」という、驚くような法令でした。
もはや「弾圧」ですね。
この「教職追放令」のため、仕事を失われたくない学者や先生は、保身に走って、天皇を批判し、貶め、日本書紀・古事記の記述を否定するようになったといいます。
で、追放された学者や教員の代わりに、共産活動で逮捕された人を釈放して教員や学者に採用して、反日的な空気を生み出すにもいたったといいます。
日教組は、まさにこれだといいます。
学者・教員が日本を貶める教育を行う
こうした日本を貶め、反日的な風潮が、戦後に形作られた特徴です。
が、こうでもしなければ、逮捕監禁される上、仕事を失うので、ウソを付いてでも身を守る必要があったようです。
しかしこの法令に納得できず、約10万人の心ある学者や先生は辞職。
中には、敢然と立ち向かい、戦った先生や学者もいたようですが、憂き目に遭っています。
頓珍漢な古代史
戦後、学会や教育界に、こうしたことがあったため、日本の古代史研究をねじ曲げて、頓珍漢になってしまったといいます。
仕事を失いたくない、逮捕監禁されたくないことから、国を売ってでも「自分を守ろう」とする保身から、結果的に、天皇を批判し、日本の歴史をもねじ曲げてしまうことが、戦後に起きてしまったということですね。
その代表的な学者が、江上波夫、上田正昭、岡田英弘、古田武彦、森浩一、といった学者であったといいます。
文化勲章とか、文化功労賞、勲二等瑞宝章を受賞していますので、戦後の考古学の世界は、かなり歪んでいることがわかります。
まとめ
日本書紀・古事記における「歴史」の箇所はほぼ正確。※神話は伝説かもしれない。
神武天皇は実在し、「紀元前70年(紀元前660年ではない)」に初代天皇になった。
神武天皇一向は、最新の技術(鉄の技術)とコミュニケーション(血族結婚)により、人々の信頼を得ながら、徳に基づいた国造りをした。
北九州にあった倭国(邪馬台国)のような野蛮ではなかった。
これが史実。
朝鮮半島から騎馬民族が渡来して建国したということはあり得ない。
日本は、中近東~インド~東南アジアのルートから来たものの、ハブ(中継地)となっている地域。
日本人は、遺伝子的にいえば、旧石器時代の縄文時代から脈々と続く「日本人」。
長浜さんは、三橋貴明さんや林千勝さんのような「天才級」な方だと思います。
そんな長浜浩明さんの話しは、全国民が知っておいたほうがよい「国民の教養」ですね。
単に日本の古代史云々ではなく、戦後、GHQの方針で「正しい情報」が歪められ、焚書、言論も封殺されてきたこと。
戦後77年経った今でも「誤った日本の歴史」を教えていますので、この誤りを正すためにも、長浜さんの話しは有益ですね。
講演会では、他にも有益なお話がありました。が、すべては紹介仕切れませんので、ぜひ最新刊をお読みになってください。