名色分離智
瞑想もそうです。瞑想も、種類ややり方によって狙いや効果は違います。が、気づきの瞑想の場合、これを続けていきますと必ずある段階をジャンプします。
それを「名色分離智(みょうしきぶんりち)」といっています。名色分離智は気づきの瞑想では重要なステップです。
で、ここに開けると物事の見方が若干変わります。
気づきに気づく状態になります。
心が、対象物に巻き込まれにくくなります。
生命本来の有り様にひらけ自然な感じになります。
他にもいろんな表現ができます。
心に適度な距離ができる
その効能についてはいろんな説明の仕方がありますが、実生活上に役に立つのは、心に適度な距離を置くことができることですね。
ガッつぃりハマり込むことが減る、ハマり込んでいたことに愕然として自覚する。これが悩みやストレスを軽減するという効果をもたらします。
あるいは観念でない善の感覚がわかり、物事の是々非々の感覚が冴えるようになるというのもあります。
これも重要。生命本来の有り様から生じる判断や指針の物差しが感じられますのでね。
アドヴァイタにも気づきの瞑想に似たプレゼンスがありますが、率直にいって曖昧かつ「なんちゃって」になる恐れがあるんですね。その点、物差しやロジックがしっかりしているテーワーダに軍配が上がります。
名色分離智の後に一瞥体験も起きやすい
で、名色分離智は大切な一里塚でして、この先に一瞥体験も起きやすかったりします。
ちなみに一瞥体験はアドヴァイタや非二元では悟りとされていますが、実際は悟りではないんですね。が、それなりの恩恵をもたらします。
ですので瞑想は「気づきの瞑想」がおすすだなあと今は思っています。もっとも悟りの文脈になれば禅がおすすめですけどね。しかも本当の禅。
気づきの瞑想はおすすめ
そんなのがありますので気づきの瞑想はオススメだと思っています。効能などが優れているからです。
しかもこの瞑想は日常生活でもできます。自己観察がそうですね。で、自己観察をし続けていても、名色分離智に開かれますし、一瞥体験が起きる場合もあります。
精進が大切
けれども気づきの瞑想や自己観察をしていませんと、その果実を味わうことはできないんですね。で、最初の話しに戻って「続けることの大切さ」。ここになるんですが。
しかしながら、あまり気が乗らなくて取り組みたくないことがあるのも事実です。そーゆーのは仕方ありませんね。誰だって「それって価値があったり必要かもしれないけれども、なんかヤル気がイマイチで」というのはあります。
どうしてもヤル気が起きないというのは仕方ありませんよね。こういう場合は、そういうものだとして割り切ることも大切じゃないかと思います。
「続けること」は大切です。
体幹トレーニングにしてもヨーガにしても何にしてもそうですが、続けることで果実を味わうことができますね。