無意識を意識化することは大切
無意識を意識化することは大切です。なぜなら無意識にこそ本当の心があるからです。また問題もあります。
無意識は、エネルギー意識とでもいってよい状態で、漠然、モヤモヤ、ぼんやりしている特徴があります。
しかし、このぼんやりとした意識を明晰にすることで、つまり意識化することで、潜んでいる様々な心や問題を自覚することができるようになります。トラウマも無意識の中にあります。
ですので無意識を自覚化することは、自分の心の成長・魂の成長に欠かすことができません。
で、無意識を意識化する方法こそ「瞑想」になります。中でも「観察瞑想」になります。
トラウマは身体に刻み込まれている無意識
数年前から無意識と言われているもののずっと奥に、エネルギー的な意識があることに気づくようになり、そこには、いわゆる「霊」といわれているものも存在している気がしてきたものです。
思考、感情といったものは、浅い領域の想念活動です。で、その奥には、エネルギーとして漂っている意識があります。しかも、それは身体の至るところに蓄積されています。
トラウマというものも、こうしたエネルギー意識です。トラウマは身体に蓄積されています。
こうしたエネルギーとなっている意識が存在していることがわかってきたものです。集合的無意識といわれているものもでそす。共通の意識などが、エネルギーとして存在しています。
無意識の領域はドロドロとしている
で、この無意識の領域のフタを初めて開けると、ドロドロとしたものと直面し、恐怖、孤独感、絶望感、狂気、死への恐れなどがあふれ出てきて、危機的な状態に陥ります。
瞑想を始めたばかりの人が、比較的、長期間のリトリート合宿へ参加すると、大抵はこうした暗黒の気持ちに陥ったりします。
もしならなければ、それは真面目にやっていないか、あるいは既に自己浄化を経験済みかのどちらかでしょう。
で、暗黒ブルーになることをを「サンカーラが表れてきた」といい、こうした意識が浮上し直面し、観察瞑想(ヴィパッサナ瞑想)をすることで、自己浄化が起き始めます。
これは、心の深い領域(無意識)に開かれるときの通過儀礼のようなものです。もっとも瞑想リトリートで出てくるものは、それでも「小出し」のもので、激しく噴出するケースは少ないかもしれません。
あと常日頃から自分の内面を深く見つめ洞察している人は、小出しに自己浄化現象が起きていることがあります。
無意識の浄化は欠かせない
しかし、こうしたことを体験していませんと、また知りませんと、「それは危険ですね。間違ったやり方です。もっと無難にやりましょう」とか言い出して、せっかくの自己浄化へのアプローチを阻害してしまいます。
もっとも気軽に瞑想をしようとしている方々の場合は、パンドラの箱を開けることをしないほうがいいかもしれません。下手に進んでしまうと、おそらく面倒で厄介なことになるからです。
マンツーマンで指導したり、10日とかの期間、寝食を共にして指導するのは、自己浄化が起きたときの安全装置なんですね。強めの自己浄化が起きてパニックになったり混乱した場合、正常に立ち直らせるガイドが必要だからです。
面倒なことにならないためには、お気軽にお手軽な感じで瞑想をするのが無難だと思います。で、時間をかけて小出しに自己浄化させる歩みをする。
しかし「無意識」といわれる領域に開かれて、そこで「観察瞑想」をすることができて初めて瞑想らしいこともできるようになります。
ここを通過しませんと、おそらく浅い領域のままに止まったままになるでしょう。エネルギー意識を自覚することはできないであろうと思います。
無意識の領域はスピリチュアル・エマージェンシー(霊的緊急事態)を引き起こすこともある
中村氏は、呪術の世界にいながら、上記のことを把握しています。うーん、驚いた。(「呪いの研究」p110)
シャーマン(霊能者、呪術師)になるためには、「シャーマンの危機」を経ることが多いことを述べています。その「危機」は、まさに上記のことと本質は同じです。シャーマンの場合は、もっと激しいことが起きるといいます。
で、無意識の領域に開かれ、安定した状態で無意識層を自覚できていることが大切だったりします。
いや、本当は無意識というものは無く、ただ単に無自覚に生きているだけで、通常は気づいていない心の領域があったりするだけだったりします。
無意識に気づき出すと、普段は心の奥に追いやっている心やエネルギーと直面し、混乱したりして、スピリチュアル・エマージェンシー(霊的緊急事態)に陥ることがあるということですね。
無意識の浄化には観察瞑想がおすすめ
ここを通過する必要があるのですがリスクもあります。日頃から自分を深く見つめ洞察し、見識を深めていませんと、おそらく混乱します。
該当しそうな方は、深い領域まで把握している適切な指導者に付いたほうが無難です。ゴエンカ氏のヴィパッサナ瞑想はおすすめです。https://www.jp.dhamma.org/ja/この瞑想は、自己浄化力が大変強いものがあります。
で、この状態で観察瞑想(ヴィパサナ瞑想)ができますと、ようやく瞑想らしいことができるようになります。「いまここ」というのが体感できるようになり始めると思います。
シャーマン修行と観察瞑想は似ているところがある
今回、驚いたのは、シャーマンの修行と観察瞑想とが関連があったことです。中村氏は、観察瞑想をしていませんが、同じようなことを言っていたことは驚き。「あるがまま」の有り様から霊性を開発できるともいっています。(「呪いの研究」p84)
卓見です。
新しい発見があったものです。謎の一つが解けた。いや、一つどころではありません。多くの発見があり、新しい方面へ開かれた感じがします。おぼろげだったものが、明確になった感じがしますね。
中村雅彦氏の「祈りの研究」は興味深い
中村雅彦氏の「祈りの研究」を読みましてね。ええ、もう立て続けに、この界隈の本み漁っています。
これまたいいですね。平易な文章ですので、一晩で読めてしまいます。
で、中村氏の姿勢がなんといってもいい。知的で合理的。でありながら直感的で霊的な領域を認めている。さらに霊性の軸があり、宇宙性に開かれている。
こうしたバランスのある人は、大変少ないものです。霊的方面にまで開かれている人はとても少なかったりします。
日本の仏教界にも少ないでしょう。といいますか、今では、仏教の世界でも、霊的なことを認めない人が多いくらいです。特に悟り系では、霊的なものを迷信として眼下に否定するのが多い。
私も以前は、そういうのがありました。眼下に否定はしませんが、テーラワーダと関わるようになってから、あんまり重視しなくなったものです。
しかし、意識のどこかで、ひっかかるものがあり、どことなくモヤモヤしておったものです。
が、やっぱり大事なことだったことがわかってきたものです。いやね、体感というものが大きいですね。そこに来て、中村雅彦氏や、その他の霊的に関することとの縁です。
中村雅彦氏の一連の書はおすすめです。興味のあります方は、ぜひお読みになってみてください。しかし、人によっては、何も感じない、得られないということもあるでしょうから、万人向きではないかもしれませんね。
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