マインドフルネスの気づき効果が感じられないのは何故
マインドフルネスでは「気づき」が大事になってきます。ところが、その「気づき」の効果が感じられない場合があります。なのでマインドフルネスでは、
- 気づきの効果が感じられない
- 「気づき」といってもいつもの意識と同じでは?
と思ってしまう方もいらっしゃると思います。いえいえ案外多いかもしれません。
なのでマインドフルネスを行っても「はあ?」「こんなの瞑想じゃない」と思って止めてしまう場合もあるでしょう。
では何故気づきの効果が感じられないのでしょうか。
Doの気づきでは効果が感じられない
その理由は「Doの気づき」をしているからです。
「Doの気づき」。これは「見よう、気づこう」と「しようとしている(Do)」の気づきです。「何かをしよう」とする気づきですね。
で、このDoの気づきでは、残念ながら「気づきの効果」が感じられにくいくなっています。「Doの気づき」は途中経過、発展途上の気づきなんですね。
気づきは「Beの気づき」になって初めて「ああ」と体感することができます。
Beの気づきとは?
「Beの気づき」は「見える」といった受け身的であり、向こうから見えてくる有り様です。何もしていない、そのまんまの状態でありながら、見えてくる様です。自分から見ようとしない。見えてくる様です。
「Doの気づき」は「見よう、しよう」といった意図のある気づきです。
「Doの気づき」と「Beの気づき」とでは異なります。違うんですね。性質がまったく異なります。感じもまったく違います。
Beの気づきからマインドフルネスは始まる
で、Beの気づきになって初めてマインドフルネスの効果が感じられるようになります。
で、Beの気づきの状態をテーラワーダ仏教では名色分離智ともいっています。たぶん同じじゃないかと思います。名色分離智に開けることは「Beの気づきの始まり」と同じだと思います。気づきに気づく。気づきが見える状態。
テーラワーダ仏教では色名分離智から瞑想が始まる
で、テーラワーダでは色名分離智から本格的に瞑想が始まります。つまり「Beの気づき」ですね。この気づきからトレーニングが本格的に始まります。清浄道論ではそうなっています。
が、「Beの気づき」はまだアンカリングをしています。最終フェーズに近づくにしたがい「禅」になると思います。志向性、意図が抜け落ちたまさに「あるがまま」。そのまんま。そういう状態ですね。
気づきには種類がある
ということでしてマインドフルネスの気づき効果は「Beの気づき」になって初めて感じられると思います。
ちなみに「Doの気づき」「Beの気づき」は私の造語です^^;うまく表現できないかな~と思っていたところ、ヒラきました^^;
で、気づきは
- Doのある気づき・・・見ようとする意図がある
- Doが弱い気づき・・・見ようとする意図が弱くなる
- Beの気づき・・・見ようとする意図がない(あるがまま)
- 気づきのないあるがまま・・・そのまんま、何もしない(禅)
といった4種類に分類できるかと思います。あくまで目安としての分類ですね。
で、マインドフルネス効果(瞑想効果)はBeの気づきになって初めて効果らしい効果が得られるんじゃないかと思います。
しかしDoの気づきでも、ACTにみられる脱フュージョン・テクニックを使えば、気づきの効果を後押ししてくれますね。脱フュージョン・テクニックは、発展途上の気づきをサポートしてくれる心強い心理テクニックですね。