マインドフルネスのコツは説明の理解の仕方にもある
マインドフルネスは、今や広く浸透しましたね。ところでマインドフルネスにはコツがあります。それは説明の理解です。言葉の理解といってもいいでしょう。
マインドフルネスは、その説明の際の言葉への理解の仕方が大事です。
詳しいことは後述しますが、マインドフルネスの説明の際に、たとえば「手放す」「何かになろうとしない」という説明があります。この理解の際に注意が必要なんですね。
ここを誤ると、言葉の持つイメージに引っ張られて、マインドフルネスが狙っている状態とは別の状態になってしまうことがあります。
ところでマインドフルネスは、一般的で通俗的な言い方になります。本当は「いまここ」「あるがまま」といったほうがいいでしょう。
で、「マインドフルネス」や「いまここ」「あるがまま」。いろんな言い方があります。
で、「いまここ」というのは「あるがまま」と同じことです。いろんな説明の仕方があります。「手放す」「何かになろうとしない」「ただある」などなど。
これらもそうです。同じことを言っています。
言葉だけで理解するのは危険なことも
けれども冒頭に少し説明した通りで、こうした説明を「言葉」のみで受け止めて理解すると、間違いが起きやすかったりします。
中でも「手放す」「何かになろうとしない」。これらは言葉だけで理解してしまうと、文字通り「何もしない」といった「消極的」な理解になって、ひどい場合は虚無になってしまう心配もあります。
「手放す」「何かになろうとしない」というのは、仏教的な説明になります。
仏教が今ひとつ人気が無いのは^^;、もしかすると、こうした「説明に使っている言葉への誤解」があるかなあと思うときもあります。その点、アドヴァイタはソフトでスピ的な表現もあっていいんですよね。
しかしながら「手放す」「何かになろうとしない」というのを額面通りに受け止めると、ちょっとよろしくありません。あくまで「いまここ」「あるがまま」に誘導する説明の一つなんですね。
現代人が頑張り過ぎ
現代人は、とかく「何かをやろう」という目的志向が強くなっています。といいますか、幼少の頃から目的志向の教育を受けて、何をするにも「頑張ろう」というクセが染みついています。
けれどもマインドフルネスと言われる「いまここ」「あるがまま」では、こうしたガンバリズムとは、性質が正反対になります。
異なります。
むしろこうしたガンバリズムでは、マインドフルネスや瞑想はできなくなります。
で、ガンバリズムに染まっていると、「手放す」「何かになろうとしない」という言葉は、まるで行動を停止してしまうかのような印象を受けるようになります。
そうして枯れ木のようになって意欲を喪失し、虚無となってしまうことがあります。
いまここ・あるがままは生き生きとした状態
実際のところ「いまここ」は、むしろ生き生きとしてくるようになります。言葉のイメージとは逆です。また観念や思いから遠ざかり始めます。自由な感じになってきます。
「いまここ」というのは、決して観念ではなく、思いで作ったものでもなく、リアリティとして感じられる状態です。
なので「何かになろうとしない」「操作しない」「コントロールしない」「あるがまま」とか言われるんですね。リアリティだからです。
「手放す」「何かになろうとしない」というのは、消極や虚無として受け止められる心配のある表現ですが、実際はそうではなく、むしろナチュラルなポジティブさや意欲といった美徳を生み出します。
生命の躍動感が出てきます。
明るくなります。
心が開かれていくようになります。
メンタルの状態がよくなっていきます。
新型コロナウイルスの時代だからこそマインドフルネス
ところで新型コロナウイルスの感染が拡大していますね。4月16日は、全国に緊急事態宣言も発令されました。
こうした有事のときになると、戦争と同じです。平時とは違い、心も揺れ動きやすくなりますね。こうしたコロナ時代だからこそマインドフルネスも必要でしょう。
コロナは長期化するという見解もあります。また外出時には、手で顔を触らないほうがいいといわれています。まさに「コロナ・マインドフルネス」です。
コロナの時期こそ「マインドフルネス」「いまここ」は役に立つんじゃないかと思います。
ちなみに、解決する必要のある事柄に対して、文字通りの「いまここ」「あるがまま」とするのはマズいですね。これまた間違った解釈になります。
物事に対処するときは、一生懸命に考えて対処することは言うまでもありませんね。自分の心の有り様と、現実への対処は別です。ここはしっかりと区別したほうがいいでしょう。
で、適切な理解をしながら、健康的にマインドフルネスや瞑想をしていくことが望ましいですね。