瞑想には3つの目的がある
瞑想の目的にもいくつかあると思っています。大きくわけて3つですね。
ざっとまとめてみますと次の通りになります。
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悟り・解脱
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スピリチュアル
・高次元の意識・真我に至る
・神さま・天使とつながる
・特別な能力の獲得
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現実に活かす
・能力の向上
・悩み解決
・心の安定
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他にもあると思いますが、ざっくりとあげると、こうなるかと。線を引きましたが、この線で区分けをすることができると思います。
で、それぞれ
・悟り・解脱
・スピリチュアル
・現実に活かす
ですね。これらはそのまま動機の違いになります。
解脱・悟りが瞑想の目的は真っ当
瞑想の目的に「解脱・悟り」「スピリチュアル」「現実に活かす」の3つあるように思いますが、解脱・悟りは真っ当です。
が、他の2つを目的にする場合とはちょっと様子が違っています。
そもそも解脱・悟りを求める人は、どうやら
・解脱・悟りを抜きにしては考えられない(生まれながら求めている)
・生きづらさを感じていて解脱・悟り以外はない(どうしても必要)
といった強い思いがある人が多いんですね。
解脱・悟りは答えのわからないゴールに向かっていくようなものです。
雲をつかむような話し。こうしたことに対して突き進んで行ける人は上記のような動機がそなわっている人だったりします。
だから放っておいても自分で見つけて何かをします^^;
誰から何も言われなくても悟るために何かをゴソゴソと行います。求道者なんですね。で、求道者とは、そういう性質でありサガだったりします。
なので解脱・悟りを求める人は、誰から言われなくても求めるモチベーションを持っています。求道者です。それが大きな特徴です。
ちなみに悟りは「あるがまま」になります。
が、この有り様の精度といいますか正確性が必要でして、しかしながら精度の高さと正確性を言っているところが皆無に近く、ごくごく限られたところでしか言及されていないのが本当のところだったりします。
スピリチュアルを瞑想の目的にするのは危ない
で、瞑想の目的がスピリチュアルになっている場合は、実は注意が必要だったりします。スピリチュアルを瞑想の目的にするのは危ないんですね。
なぜなら、そもそもスピリチュアルは確かめることができない場合が多いんですね。妄想になりやすい。巧妙にエゴが絡んでも自覚が乏しくなることも多いんです。
で、妄想や無自覚のエゴに陥っても、なんら気にすることなく、そのまま続けていくとヤバいんですね。危ない。過去にもこの手のことについては何度か言及しました。
いわゆる「魔境」です。「変性意識」です。
特殊な意識モードになることを求め、それを楽しむんですね。楽しみたがります。が、これは解脱・悟りはまったく異なります。動機も異なります。
とはいってもスピを否定する気はまったく無いんですね。関わり方、向き合い方を注意しないといかんということなんです。
スピリチュアルはエンタメが無難
スピリチュアルはとにかく落とし穴に陥りやすいんですね。物質界でいえばお金・モノと同じなんです。
で、お金・モノが好きな人がスピリチュアルにハマります。精神的なお金・モノと同じなんです。
とはいっても時に気分が高揚してハッピーになるのもいいんですよね。が、それをもって悟りと誤解したり^^;、何か特別な境地に達したとか、そういうのは注意したほうがいいと思います。
スピはエンタメなんですね。お笑いと同じで娯楽。お楽しみのもの。
現実に活かす
あと瞑想の目的が「現実に活かす」となっている場合ですね。
これは「マインドフルネス」が代表的ですね。あるいは「ACT」。
マインドフルネスやACTは、現実の生活よ良くすることが目的です。価値ある人生を創造するのが目的ですね。なので
・人間関係の円滑
・能力を発揮する
・コミュニケーションを高める
・心を安定させる
・不動心を得る
・メンタルの悩みを解消する
といったことが狙いになっています。で、これはこれでOKですね。実際に活かされますので有意義です。
まとめ
ということですて瞑想の目的にも違いがあります。大きく分けて3つですね。
・悟り・解脱
・スピリチュアル
・現実に活かす
それぞれ目的があります。
ちなみに私のスタンスは
・悟り・解脱
・現実に活かす
になります。
中でも「解脱・悟り」。これが目的です。こればっかりは外すことができません。スピリチュアルはおまけですね。エンタメです^^;そんな感じです。