瞑想とはエネルギー

ここのところウクライナ関係の記事を投稿していましたが、グーグルのポリシー違反に抵触するということで、ウクライナ関係の記事は止めてしまいました^^;

要するに「主要メディアが伝えることと異なることを書くな」ということなんですが、なんだかなーですね。

ま、しかし気を取り直して、ちょっと瞑想の話しでも。

その前に、ミュージックスタート^^

Snow Drift Unattended Generative Ambient (Disting EX, Nebulae, DPO, Vector)

「State Azure」さんのアンビエント。

「State Azure」さんのアンビエントはいいんですよね。こんな良質なアンビエントをYouTubeで聞くことができるだなんて、なんと贅沢なことか。スグレもののアンビエントです。

 
で、瞑想の話し。

常日頃から言っていますが、瞑想とはエネルギーでもあります。

このことは、瞑想が深まってきますと、かならずわかることです。瞑想とはエネルギーです。ヒーリングともいえます。自己治癒。

なので瞑想が深まってきますと、無意識にある諸々が必ず浮上します。

これをサンカーラとかヴァサナと言っています。瞑想が深まると、必ずこれが起きます。

 
しかし、サンカーラやヴァサナが浮上しますと、結構つらい時期が続くようになります。理由のないモヤモヤとしたのが感じられ、なかなかぬぐいさることができなくなります。

これが結構しんどかったりします。一種の好転反応なんですけどね。

ちなみに、うつ病やパニック障害でお悩みの方は、こうした理由のないモヤモヤとした不安感が強く、これで苦しみ悩んでいるようです。

サンカーラやヴァサナの浮上は、一時的に、うつ病・パニック障害に近いような状態になるともいえます。

なので、シンドくなります。

 
が、これは一種の洗濯です。心の洗濯。しばらくすると消えます。

瞑想、中でもプレゼンスや気づきの瞑想を続けていますと、こうしたことに時々に遭遇するようになります。

が、このようなプロセスを経て、心が浄化されていきます。

瞑想が深まると、必ずサンカーラの浮上が起きます。無意識にある諸々の浮上です。

こればっかりは、どうしても避けることのできない大事なプロセスだったりしますね。

で、瞑想がヒーリング(エネルギー)というのは、こうした観点からも言い得るわけです。

 
で、瞑想が進んでいきますと、ただ座るだけで、エネルギーがトロトロの状態になります。肉体の感覚ではなく、エーテル次元の感覚ですね。

いえ、エーテル次元というのは一つの説明の仕方で、実際はよくわかりません。

ただ言えることは、肉体の心地よさを超えた「別の次元」としか言えない、トロトロとしたエネルギーになるということですね。

この辺りのことを言語化しますと、ちょっとアレになってきて、いたずらに空想や想像をかきたててしまいそうですので、言葉にしないほうがいいかなと思いますが、一般的には、肉体や物質次元のレベルで感じたり、考えたり、生活しているのがほぼほぼ全てですね。

しかし、そうした肉体次元、物質次元は、本当におおまかで粗い次元なんですね。大雑把な次元ともいえます。

もっと精妙で微細な次元といいますか、領域といいますか、そういうのがあって、で、そういう次元ではじめて「生命本来」が感じられて、その生命は「エネルギーの存在」なんですね。それが、より精妙な領域における生命の感覚です。

この領域といいますか、感性にひらけてきますと、いろいろと異なる考え、見解、受け止め方、価値観も出てきます。
 

で、人は、この領域に入ってはじめて変化変容が起きます。

本を読み、知識を憶えて、それを身につけようとする実践は、正直、変化変容は起きません。そのレベルと言っては申し訳ありませんが、見聞した情報を覚えて実践する有り様では、根源的な変化変容は起きません。

もし、このレベルで「変わった」というのであるならば、何か別の要因が働いているとか、あるいは感性が粗いんじゃないかと思います。

精妙な領域のトロトロ感は、一朝一夕ではわかりにくいといいますか、安定して身につけるのは難しいかと思います。やはり、それ相応の時間が必要でないかとも思います。

でも、精進ですね!

と、今日はそんなことを書いてみたり^^;

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