暗愚(タマス)の瞑想には注意
ところで瞑想の説明などを書いていますが、一般的に思われている「瞑想」のイメージとは違うこともおわかりいただけてきているのではないかと思います。
世間一般の瞑想、特に日本では顕著なんですが、瞑想といえば
・静寂
・枯れ木
・世捨て人
・無欲
・何事にもとらわれない
・孤高
・心を動かさない
・不動
・苦行
・清貧
・茨(いばら)の道
といったイメージがあるかもしれません。
こういう瞑想もあるとは思いますが、実は、これはタマス(暗愚)の瞑想と言われています。インドでも「やってはいけない瞑想」とされています。
サットバ(善性)の瞑想がおすすめ
で、本当の瞑想は、こうしたものとはまったく異なります。サットバ(善性)といって、
・明るい
・のびのびしている
・生命力がみなぎる
・オープン
・広がり
・やさしい
・心地よい
・やわらかい
・力強い
・生き生きしてくる
・すがすがしい
・きよらか
・ほどほど
・快適
・豊かさを否定しない
こうしたのが渾然一体となった有り様が、サットバ(善性)といわれる瞑想で、これが適切であるとされています。
こうしたことは、実際の瞑想や修行を、真剣に長く行ってきますと、自ずとわかってくるようになります。
マインド(思考)が強いとサットバ(善性)になりにくい
ところが、本当の瞑想の有り様に気づいていない人も多く、そのため伝統的な空気感(タマス:暗愚の瞑想)にしたがって、命が枯渇していく道をたどっている人も多かったりします。
命が枯渇するような有り様は、本能的に違和感が生じます。
が、「仏教とはこういうものだ」「瞑想とはこういうものだ」という思い込みがありますと、違和感を追い払って、思い込みのほうに従ってしまいます。
これは非常に不幸なことだったりします。
本当は、誰もがしあわせになり、生き生きとしてくる瞑想です。ところが誤った解釈の元に行われてしまいますと、逆に不幸をもたらします。
で、人は生まれ変わりをしていますので、こうした誤った瞑想観を持った人が生まれ変わると、おもいっきり不幸な道を歩むようになります。これが怖い。
で、某毒ガス教の悲劇の背景には、こうしたことがあったんですね。彼らは完全に誤った瞑想と仏教観を持っていました。誤った受け止め方は本当に危険です。
サットバ(善性)・祈りは大切
瞑想を始める前に、「適切な進め方」を知って、「適切に行っていく」ということがものすごく大事なんですね。サットバ(善性)です。
その大事な要諦は、今までも書いてきましたので、ぜひぜひご参考にしていただければと思います。
祈りは、適切な瞑想を進めることとほとんど同じですね。
自分と周囲をしあわせにする、自分も周囲も快適で幸福であることを願う。自分も他人もみんなしあわせ。これが祈りですし、適切な瞑想になりますね。
祈りの要領で瞑想を行っていくことは望ましいと思います!
祈り+瞑想はおすすめですね!