超能力には2種類ある
超能力。
世の中には、超能力者がいますね。で、「超能力」のことを「通力」ともいいます。
通力というのは、昔の言い方です。超能力のことです。
で、超能力・通力には種類があります。ええ。大別しますと2種類あるんですね。それは、
・空の超能力
・我の超能力
です。
今日は、あまり知られていない、知られざる超能力の種類に関するお話しです。
超能力を持っている・出てきたという話し
こちらは面白い動画ですね^^
無料相談3本立て【秋山眞人】
秋山眞人さんの動画です。で、話しは三本立てになっています。
・オーラが見える子どもの話し
・サイコキネシスが発動した話し
・瞑想の話し
この3つですね。
で、オーラが見えるとか、サイコキネシスの能力を先天的に持っている人、途中から生じる人が実際にいますね。ええ、いらっしゃいます。
超能力が発動する正しい発生源
が、超能力は、その発生源が大切なんですね。実は。
で、その発生源というのは、
・ハート
・空
・禅定
に基づいているのが望ましいんですね。
で、これに由来する能力を「空の超能力」といいます。昔の修験道では「無の通力」といっています。ええ。
自己、エゴから離れた宇宙意識からもたらされる能力なんですね。人々や社会を幸福にしていく性質があります。
超能力が発動する注意すべき発生源
しかし、この手の超能力には、
・エゴ、執念
・過緊張
・変性意識
に基づくものもあります。ええ、あるんですよね。
で、これらの能力は「我の超能力」といいます。昔の修験道の言葉では「有(う)の通力」といっていました。
で、これらは実はリスクがあるんですね。エゴに流れる心配があるからなんです。
なのでエゴに流れないように自己管理・規律が必要になるんですね。言動を慎む心が必要なんです。
で、自分を律するのがありませんと、
・高額なお金を要求する
・不安や恐怖を言い出す
・人を支配する
といったことが起きやすいんですね。
危険な「我の超能力」は1300年前の首楞厳経にも紹介されている
で、リスキーな超能力があることは、1300年前の中国で編纂された首楞厳経(しゅりょうごんきょう)という禅のお経にもあります。
1300年前にも、今の新興宗教のようなことや霊感商法、アセンションのように恐怖をもたらす預言があったんですね^^;で、首楞厳経では、そうゆーのは「マズい」として警告を発しているんですね。
実は今も昔も変わりがないんですね。新興宗教やスピリチュアルのようなことは、1300年前にもあったんです。こういうのはもう、人類のサガのようなものなんですね。
空の超能力が望ましい
このように超能力には2種類あるってことなんです。
その発生源によって、2種類に分けられます。が、これは意外と、知られていない真実なんですね。
で、超能力は、
・空の超能力
・無の通力
が望ましいんです。これが理想。
慈悲、ハート、空、禅定に基づく能力です。社会を平和に導きます。人々に安らぎと幸福をもたらします。
その能力者もやさしい。
あたたかい。
やわらかい。
ハートフル。
反対に
・我の超能力
・有の通力
になりますと、自分を律することが必要です。でありませんと、どうしてもエゴに流されやすくなります。
社会に不安をまき散らすようになります。人々を支配し、欲望を煽って、怖さで縛り付けるようにします。
その能力者は厳しい。
暗い。
重たい。
冷たい。
同じ超能力でも、見極めが大切です。ここはしっかりと見抜いていく必要がありますね。
何故、ハートが大切なのか?
で、何故、「ハートが大切」かといいますと、こうした超能力の性質にも関連してくるからなんですね。
ブログでは「ハートは大切ですよ~」と言っていますが、その理由は、超能力にも関係してくるんですね。
ハートに基づいた超能力、慈悲を源とした神通力は、社会と人々に与し、益し、しあわせに導いていきます。
しかし仮に、エゴ・自我に基づいた能力だったとしても、しっかりと自分を律して戒めをして、間違った方向に流れていかないように注意していくことが大切です。そういう善へ向かう羅針盤が必要です。
「空の超能力(無の通力)」にしても、「我の超能力(有の通力)」にしても、見た目はどちらも超能力です。非凡な能力です。
超能力に限らず、非凡な能力や優れた能力を持った人は、その能力を、社会や人々のために使うようにしたほうがいいですね。
で、そういうモチベーションを発動するのも「ハート」「「慈悲」なんですね。ハート、慈悲がいかに大切かってことなんですね。改めて、そう思います。