呼吸瞑想は難しい?呼吸瞑想の仕方
呼吸瞑想。アーナパーナサティともいいますね。テーラワーダ仏教では定番の瞑想の仕方です。
けれども意外と難しいと感じる方も多そうです。どうして難しいのでしょうか。それは、呼吸瞑想は「Do」では決してできないようになっているからです。
気づきには4種類ある
そもそも気づきは
- Doのある気づき・・・見ようとする意図がある
- Doが弱い気づき・・・見ようとする意図が弱くなる
- Beの気づき・・・見ようとする意図がない(あるがまま)
- 気づきのないあるがまま・・・そのまんま、何もしない(禅的)
という具合に4種類にわけることができます。「Doのある気づき」は初めて行う人にみられる「気づき」ですね。マインドフルネスやACTでも行われている気づきです。
ところが気づきは、Doが落ちて初めて「気づき効果」が感じられるようになります。つまり、気づきの効果は「Beの気づき」で感じられることが多くなるということですね。
で、「Beの気づき」は呼吸瞑想ができることと関係しています。
呼吸瞑想とBeの気づき
呼吸は「Beの気づき」ができて初め見えてくると思います。
そもそも呼吸は自然に出入りしていますよね。が、「Doの気づき」では、呼吸がぎくしゃくしてしまいます。必ずそうなります。
なぜなら呼吸は、意識したとたんにギクシャクする性質があるからです。なのでDoが落ちたBeになっているか弱くなっていないと呼吸は見えないんですね。そういう風になっています。
呼吸が見えないのは、端的にいえば「Do」になっているからですね。「観よう、観よう」「しよう、しよう」です。これがあると呼吸は見えませんし、ギクシャクしてしまいます。
結局、呼吸は見るものではなく、見えてくるものなんですね。で、呼吸が自然なまま見えるには「Beの気づき」でないとダメなんです。「Beの気づき」になって、初めて呼吸はナチュラルに見えてくるようになりますね。
呼吸瞑想のコツ
では呼吸瞑想のコツについて書きますと、
- 肩や顔の力を抜く(ここに力が入っていると難しくなる)
- 上半身の力を抜く
- タッチングポイントに集中しない(軽く意識を置き大きく感じる)
- 鼻の呼吸の出入りを「観ようと」しない
- とにかく集中するとできなくなる
- タッチングポイントに意識を軽く置きつつも広い意識で感じる
- お腹から鼻にかけてのラインを感じる(広いアンカリングをする)
- 体全身を感じる(広いアンカリングをする)
このように行うと呼吸が見えてくると思います。この辺りのコツは「呼吸が【見えた】」ときの感覚からつかむことになると思います。
呼吸瞑想の先は禅
しかし呼吸瞑想によるBeの気づきは、どこかにアンカリングしていますので、実は「Doの気づき」となっています。呼吸が見えるための下準備をしているんdすね。厳密にいえば最初に操作をしています。純粋に「Be(ある)」にはなっていません。
で、悟りの場合は、志向性や操作があるとマズくなります。志向性や操作、意図的なことは無い有り様が必要になります。
本当の意味での「あるがまま」「そのまんま」は、気づきも落ちた状態になります。