西洋人のこだわりがキリスト教分派を生み出した

西洋人のこだわり・思考の強さがキリスト教の多くの分派を生み出した

キリスト教は分派が非常に多いんですね。おそらく宗教の中で最も分派が多い宗教だと思います。

何故、分派が多くなっているのかの理由は、西洋人はこだわりが強く、思考が強く、分析が好きだからです。そのため些細な違いでも「これが正しい」と自己主張して新しい派を作っていく。

戦争ばかりしている人達ですが、彼らの代表的な宗教(キリスト教)の始まりだけを見ていても、いかにこだわりが強いかがわかります。やはり遺伝的に問題があるんじゃないかと。

で、こうした当時の人々に、隣人愛に目覚めて、平和な社会を構築できるように導くために、天の計らい(天界における西洋人救済計画)としてイエスが使わされた(登場した)のではないかと推察しています。

で、彼らに「聖霊体験」が起きるように導いた。それがキリスト教。そんなキリスト教の分派の歴史は次の図がわかりやすいですね。wikiから拝借しました。

キリスト教全体の系譜

プロテスタントの系譜

ちなみにキリスト教の中でもっとも真っ当なのは、1500年代に登場した「プロテスタント」です。

後発組なのですが、プロテスタントは、聖霊体験をしたイエスと十二使徒の記録(聖書)にもとづく「イエスの教えにもっとも忠実」な一派になります。とはいっても文字に忠実(聖書という書物に忠実)です。

で、この「プロテスタント」の分派がものすごく多いんですね。世界一分派の多い宗教じゃないかと。それだけ西洋人は思考やこだわりの強い、つまリ煩悩過多な人達なんじゃないかと思うほど。

「聖霊体験」は西洋社会の根源にある精神性

ですので聖霊体験は、分離感が強く、愛がわかりにくく、思考が非常に強過ぎる西洋人の根本的な精神を改める特効薬になり得るんだと思います。

で、愛こそが、異常な西洋人を真っ当な生命に導く故に、彼らには心の奥底から響き、キリスト教が広く信奉されるようにもなったんじゃないかと推察しています。

聖霊体験(愛の目覚め)は、西洋人の理想的な精神、精神性の粋であり華。「聖霊体験」を抜きにして、西洋人、西洋文明、文化などは深く理解できないと思います。

イエスの本意は愛の体現

大事なことは、カトリックであろうと、プロテスタントであろうと、イエスが最も伝えたかったことを探し求めること。後世、改竄改変された情報のみに頼るのではなく、外典にも目を向けること。

ただ一つ言えることは、パウロが作ったいわゆる「キリスト教」であっても「愛」が強調されている点は良いかと思います。

パウロが「愛」を強調した理由は、自分の派閥であるパウロ派を主流にするための人心掌握の意向があったにせよ、結果的に優れた教えになったのは事実でしょう。

実際「愛」は尊いですからね。仏教では「慈悲」といっています。で、「愛」「慈悲」に目覚め、体現し、深めていく実践と祈りは素晴らしいと思います。

で、愛や慈悲の体現ができれば、別段、クリスチャンでなくてもいいでしょうし、聖霊体験という名称を使わなくてもいいでしょう。

そもそもイエスは、クリスチャンや信者になることを望んだのではなく、「愛の目覚めと体現」を望んだんだと思いますね。

こうしたことは、頭だけで教理を考えても答えは出てきません。照明体験なり聖霊体験をすることこそが答えになりますね。

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