マインドフルネスにおける気づきとは何か?
マインドフルネス、気づき、いまここ、プレゼンス。大いなる存在。いろんな言い方がありますが、どれも同じことを言っていますね。
ここでは「気づき」という言葉にフォーカスしたいと思います。そもそも「気づき」とは何か?
実は誰もが持っている天然自然の様だったりします。気づきが生じてくると「あ、これ知っている(知っていた)」と、ほとんどの人は気づくようになります。
そうです、子どもの頃、ほとんどの人が感じていた「あの」感覚です。あの感覚に「気づき」があります。
気づきは子どもの頃に感じてた感覚にある
で、これを自覚することが、マインドフルネスや気づきの瞑想で行っているプロセスだったりします。「気づきに気づく」とも言えます。
「子どもの頃に感じてた感覚がずっとあったことを自覚する」ともいえます。で、ここから「瞑想が始まる」とも言えるかと思います。
こう言いますと「え?子どもの頃の感覚が気づきなんですか?」と言われそうです。が、ザックリ言ってしまうと「そうです」となります。少々乱暴ですが、そういう言い方もできます。
瞑想の始まりとは?
もっとも「ここから始まります」というのが正しいでしょうね。で、気づきとは天然自然なものだったりします。
見ていること自体が気づきです。実は当たり前のことだったりします。
で、この当たり前のことを自覚すると、この当たり前の気づきが深まっていくというプロセスが始まります。これが「瞑想が始まる」「瞑想が進む」ということだったりもします。
マインド・思考の働きに振り回される
けれども瞑想や宗教、スピリチュアルなどのいろんな教えが頭に入っていると
- これって当たり前過ぎるのでは?(当たり前なので違うはずだ)
- これは違う(気づきではない)
- 気づきはもっとすごいものだ
- 何か特別なすごい感覚があるはずだ(変性意識を期待する)
というように、せっかく宝を見つけながらも再び迷いの世界に戻っていくこともあります。
あるいは変性意識が混じると、不思議な体験やらが起きて、惑わすことも起きます。神秘的なことやスピリチュアルが好きな方は、ここでつまづいてしまう場合もあります。
で、マインド(思考)の働きに振り回されないようにしていくのが、進めていく上でのポイントにもなろうかと思います。
マインド・思考がダメの理由
ちなみにマインド(思考)には、こうしたトリッキーな働きがありますので、それで「思考は悪い・ダメ」とか言われるようにもなっています。
なお瞑想を実習する上ではマインド(思考)は妨げになることもあります。が、実生活においてはマインド(思考)は欠かせませんよね。
生活ができなくなります。
思考停止は現代では危険過ぎます。このことは言うまでもありませんが、一応添えておきたいと思います。