気が出るきっけは瞑想と善性だった

気がでるようになったのは瞑想だった

私が気功体質になったのは、気功とかの修行をしたからではなく、瞑想を続けている中で、自然に活性化してきたというのがあります。

ええ、気功とかをやっていたのではなく、自然に気が活性し始めたものです。

最初「これは何なんだ?」と不思議に思ったものです。で、ネットで検索して初めて「気」ということがわかったものです。

意図的に気を活性するのはおすすめではないことを体験的に感じています。自然の摂理の中に、気が活性するメカニズムがあると思っています。

善性を自然に習得する中で気が生じることもある

気が活性するメカニズムは、人が「善性」を体得しようとする、そのプロセスにおいて副産物のように生じてくるように思っています。

善性そのものを会得するというよりも、そういう気持ちのベクトルですね。

気楽な感じで(ここ大切)、ほがらかに、「善性っていいじゃん」みたいな自然な感じでやっていますと、体質もあるかもしれませんが、気が活性するようになります。
副産物ですね。

あと、感受性が強いというのも大事な要素になるかもしれません。感性と知性をシャープに磨いていこうとするプロセスも大切だと思います。

善性とは自然体でありリラックス

で、善性って何?

なーんて言われそうなのですが、あんまりアタマであれこれと考えて定義付けしようとすると、おそらく伸び悩むと思います^^;

善性とは自然な有り様であって、浄心であって、リラックスでもあって、力んでいない有り様であって、と、いろんな言い方もできると思いますが、この辺りのニュアンスですね。

あんまり思索的になったり、哲学的になったり、あるいはイデオロギー、教義的になりすぎないほうがいいですね。こうしたベクトルは、気の性質とは正反対になります。

といいますか、知性・知識との適切なバランスが大事になってきます。

時々、ボディワークの界隈では、知性や知識をダメとする向きもありますが、これはこえで問題があるんですね。そうじゃなくて「適切なバランス感」が大事なんですね。

知性や知識そのものを否定すると、今度は愚かになっていきます。

気が活性すると天候などの影響を受けるときもある

話を戻して「気」の話し。

で、時々天気の影響を受けて、腰が痛くなったり、頭が痛くなるなどの不調を訴える人もいますが、もしかすると「気」が関係しているんじゃないかと思っています。

「もしかして」というのは控え目な言い方なのですが、本音では「関係がある」と確信しています。

こうしたケースも気功体質と言えるかもしれません。身内に、自分の体の具合で天気が崩れるのを数日前から予報できる人がいます。

で、よく当たる^^;

こうした感性の向こうに霊感とか霊能といったものがあると感じていますが、これは何もオカルトではなく、合気道や瞑想とも関係しています。

植芝盛平の黄金体験

合気道では、植芝盛平が有名かもしれません。

植芝は40代のときに「黄金体験」をしたと述べています。これは有名な話しですね。

ある日の朝だったと思いますが、地面から黄金に輝くエネルギーが立ち上がってきて、その光に包まれてから合気ができるようになったという話しです。

これは「クンダリーニ」のことですね。

植芝盛平は、突如クンダリニーが活性して、合気に目覚めたという塩梅です。

これは植芝の手記を読んでいるとわかりますね。

しかし植芝は、この後電磁波体質になってしまっています。たとえば電線のある所が苦手になり、電車には乗れなかったといいます。

気が活性すると、感受性が強くなるんですが、慈しみ・ハートとのバランスが悪くなりますと、HSP的な過敏体質になってしまうと感じています。

で、植芝は武術の才能は優れていたのかもしれませんが、慈しみの心は弱い人だったかなあと思っています。

で、慈しみの心が弱いというのは、望ましいとは言えないと思っています。

気は気分と関係があり気の停滞も起きえる

「気」は「気分」と関係があります。
「気」が関係する心理状態もありますね。

心理状態のすべてが「気」と関係しているとは思いませんが「気」と関係している心理状態があります。

気の巡りが悪くなる、つまり、気が身体のどこかに停留するような感じになると、気分がすぐれなくなります。

気が停留する理由

で、気が停留する理由には、

・運動不足
・栄養素不足
・考え過ぎ
・感情の爆発
・心身が気に馴染んでいない
・偏差
・気候
・場の雰囲気
・存在が発している波動

といった要因が意外とあったりします。外部要因も関わっていることがあるんですね。

なので「エソテリック(秘教)」というのが言われ始めるようになったのだと思います。エソテリックは、外部からの悪影響を遮断したりするテクニックが多いですからね。

しかし気の感覚がないとわからないため、エソテリック(秘教)にしているんだと思います。

気の話しはわからない方にはわからない世界

が、気がわからない人や、わかりにくい人にしてみれば、この手の話しは、ちんぷんかんぷんだと思います。

といいますか、妄想や、それここ気のせい(思い込み)と思う人が大半以上になると思います。

で、「あんた、おかしいとちゃう?」と思う人が必ず出てきます。

もうね、こういうのは体験済みです^^;
下手に言えば「はあ???(何言ってんの?、アタマ大丈夫?」みたいな目で見られますから^^;

しかしわかる人にはわかる。
ツーカーでわかります。

なので人を選んで話しをする必要があります。
無闇に言わないほうがいい。

それだけ現代はロジカル脳や思索脳に偏っていて、またロジカル脳や思索脳が盛んな人には、こうしたエネルギー的な世界は認知できないんですね。

かくいう私も昔はちんぷんかんぷんというよりも、そういうものもあうかもしれないが私には関係無い、なんて思っていたものです。

なので気のことは、「わかる人にしかわからない」というのは仕方無いと思います。

ということで、今日は「気」の話しでした。

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