気づきの王道は自己観察・心随念
「自己観察」は大切です。瞑想の王道ですね。「心随念」ともいいます。
自己観察で大事なことは、本心、本音、本当の動機。ここに気づくことですね。
なぜ大事かといえば、もし慈善的な行為をしたとしても、本当の動機に気づかない行為であるならば、雑になってしまうからですね。偽善になってしまう場合もあります。
で、雑な行為は、身体部位の活性にはつながらないんですね。
善行は動機に気づき丁寧に行う
善行は、その動機に気づき、丁寧にしていったほうがよくなります。社会貢献とかを大々的に行う「規模の大きな善行」よりも、家族身内や親しい人の間でいいので「丁寧な善行」のほうがおすすめです。
身体部位が活性し鋭敏となるためには、日頃における自分の有り様、中でも自分の本心や本音から目を背けることなく気づくことが大事になってまいります。
また深い洞察も必要。
なので自己観察が大事になってまいります。基本になります。
自己観察は苦しい
しかしながら自分の本心・本音に気づくという心との向き合いをするといっても、嫌な自分に気づいたり、直面すると、不愉快に感じたり、落ち込んだりして、自己嫌悪に陥る恐れもでてきます。
また自分の本心・本音に気づくといっても、トラウマ、過去の嫌な記憶などがあると、よからぬ思いや悩みの反すうを繰り返すことになりがちです。
下手をすれば、自己嫌悪を酷くしてしまうことがあります。うつ的になることもあります。
で、自己観察では、適切な対応を知らなければ落ち込みます。いわゆる「暗夜」に陥ります。暗夜に陥ると厄介なことになる場合もあります。
ですので実際のところは、自己観察においてはデリケートな対応や向き合い方が必要になります。
自己観察では気づきの瞑想と天啓気療がおすすめ
しかしながらトラウマ、心の傷、繰り返す悩ましげな思い、理由のないモヤモヤ感、不定愁訴などに対しては、「気づきの瞑想」と「天啓気療」系のヒーリングが功を奏します。
気づきの瞑想は「サティ系の瞑想」です。「あるがまま」です。
ヒーリングでは天啓気療がおすすめです。
テーラワーダのサティ系の瞑想・気づきの瞑想がおすすめなのは、心のよどみを緩和・解消していくからなんですね。実際、うつ病やパニック障害を抱えている方も回復しています。
ところが瞑想よりも即行性があるのが、くどい位に紹介している「天啓気療」なんですね。心が軽くなります。
天啓気療は瞑想よりも手っ取り早いんですね。で、瞑想も進みやすくなります。天啓気療をおすすめしているのは、こうした理由があるからなんですね。
⇒天啓気療
気づきの瞑想は感受力と受容力
ちなみに気づきの瞑想は「気づき」と「あるがまま・そのまんま」という二つのエッセンスから成り立っていますね。これは言い換えると
・感受力の高まり・・・洞察の高まり深さ
・受容力の高まり・・・慈悲・おおらかさの深まり
ともいえます。この瞑想は心を浄化します。また感受力と受容力が育って、自分の心に気づくようになると、身体部位も自ずと活性し鋭敏になっていくようになります。
要諦は自己観察ですね。自分の心に気づくことですね。心の浄化も促進されていきます。
で、さらにいえば「気づき」が深まり高まれば、気づきがBeの有り様になります。
気づきがBeになれば、もはや気づきを意識することはなくなり、「何もしない(あるがまま)」一本になります。禅ですね。
気づきの瞑想は何かになろうとしない瞑想
ちなみに気づきの瞑想は、「何かになろうとしない」瞑想ですね。
瞑想には大きく分けて2種類あります。
一つは、理想的なイメージなどを描いて、それと「一体化する」「なりきる」「何か(理想)になろうとする」瞑想です。「サマタ瞑想」といわれているものです。
一方、「何かになろうとしない」「あるがまま」という瞑想がありますね。これが「気づきの瞑想」です。サティですね。
で、気づきの瞑想のすごいところは、何もしない、あるがままとしていると、自ずと内側から生命力がわいてくるようになることです。
それがエネルギーです。喜(ピティ)、楽(スカ)といった気持ちよさが生じてきます。
で、この有り様こそが「自然体」であり、「そのまんま」であって、「自分らしさ」です。
「自分探し」という言葉もあるようですが、探していたら見つからないと思います。何もしないでいると、自ずとわかります。
で、この自然な有り様からエネルギーが生じて、感じられて、これが馴染んでくると、身体部位の活性&鋭敏ということが、人によっては起き始めます。
で、この延長に、ヒーリングができる現象もおまけとして起きるってことなんですね。