「気づき」とは何か?
「気づき」とは何でしょうか?テーラワーダ仏教では言語化していませんが言語化すると、
・「常に観ている」という当たり前のこと。
・「常に聞いている」という当たり前のこと。
・「常に気づいている」という当たり前のこと。
・「常にある」という当たり前の感覚。
認識すること以前の作用・機能・事実ですね。当たり前のことだったりします。
瞑想とは気づきを深めていくこと
で、この「当たり前の作用・機能・事実を自覚する」ことが「気づいていることに気づく」ということです。
「いまここ」というのが体感的にわかるようになります。「思考・感情・気分に常に巻き込まれている」ということもはっきりとわかるようにもなります。瞑想の始まります。
気づきは誰もが持っている「当たり前」の認識です。これを純粋意識とも言っています。が、おぎゃーと生まれて死ぬまで、ずっと存在している機能ですね。ただ観ている。聞いている。存在しているという感覚。
気づきは当たり前なので特殊な能力は不要
で、瞑想とは、この当たり前の「気づき」を深めていくプロセスですね。で、気づきを知る段階では禅定は要りません。
また超能力とか霊が見えるといった特殊能力や変性意識などとは、まったく関係がありません。といいますか、この手の特殊能力は、かえって「気づき」への幻想を生み出してしまう恐れもあります。
この気づき・観察のプロセスの先に一瞥体験が起きたりもします。が、一瞥体験が起きる起きないに関係なく、気づきの実践をしていくことが大事ですね。
気づきがわかるようにシステム化したのが瞑想
あるがままに観る。
観察する。
事実を事実を認識する。
ただある。
人は、これらを忘れてしまっています。しつけ、教育、社会性を身につける過程において、天然自然に認識・観察していることに、思考が絡み、感情が生じて、気分が形成されて、純然たる気づきを持っていることに気がつけなくなってしまっています。
この本来、誰もが持っている「気づき」に再び立ち戻るようにシステム化したのが「瞑想」です。
気づきの瞑想は日常生活の中でもできる
たとえば、歩く瞑想。
手を動かす瞑想。
呼吸瞑想。
これらのほか、食事をしているときに気づくこと。食器洗い。ほかに何か作業をしているときに、その行っていることに「気づく」ようにする。これらは全て気づきのトレーニングになります。
最初は強めに「集中」して行うやり方もありますね。対象物に気づくことを通して、「気づきの主体」に気づくように設計されているのがテーラワーダの瞑想システムです。
瞑想は日常生活の中でもできます。ゆっくり・超スローで行う歩く瞑想もおすすめ。これは部屋の中でもできます。
1日10分でもいいですので「気づきの素振り」を毎日行っていくとおそらくわかるようになると思います。
気づきがわかるようになって性格はよくなる?
ちなみに気づきがわかるようになったからといって、
・何事にも動じないとか、
・怒らなくなるとか、
・キレなくなるとか、
・成功できるとか
・能力がアップするとか、
・運が良くなるとか、
・天使が見えるとか^^;
・人生超ハッピーになるとか、
そういうことはほとんど関係ありません。あまり期待しないほうがいいかもしれません。こうしたことは個人差があります。
性格の良さは生まれつきとか環境に寄るところが大きいですね。生まれながらに性格のいい人にはかないません^^;
成功する力もそうです。特殊な能力もそう。こうしたことは「気づき」とは直接、関係がありません。副産物として生じる場合はあります。この辺りへの過剰な期待はしないほうがいいと思います。
性格を良くすることは別のアプローチ
性格をよくするとか成功とかは別のアプローチですね。
昔からある善行、慈悲の実践、サンカーラの浄化の実践を通して、性格をまるくしていくことはできます。
あるいはACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)とか、そういうテクニックも交えながら行うと効果がありますね。
気づきがわかることから瞑想が始まる
しかしながら「気づき」がわかることで、「安堵感が生じる」「悩みが軽減する」「過去の自分と比較すれば精神的な成長は起きる」ということは言えるかと思います。
気づきがわかることから瞑想が始まります。このことは大きな一歩です。悟り・解脱へ向けた大きな一歩になります。