それにしても怒濤のキリスト教記事投稿も一段落してホっとしています^^
ホッとしているといいますか、不思議な一時期だったなあと、今になって思います。
で、今、世間ではビッグモーターのニュースやら、キャッチーな話題で賑わっていますね。
ヤフーのポータルサイトを開くと、旬なニュースがたくさん表示されます。
ま、スマホは便利ですね^^
が、そんなスマホは、遅ればせながら持つようになって、4年目くらいなんですね。
私はスマホを持つようになつのがものすごく遅かったんですね。何故、遅くなったかといえば、個人情報などのセキュリティ問題を心配してなんですね。
ま、しかし現在は、実質、個人情報は垂れ流し状態になっています^^;
もうね、別段、気にする必要もなくなってきたと思います(笑)
ダダ漏れがデフォルト。いちいち気にしている必要はないでしょう。
個人情報といえば、マイナンバーによる問題を、堤美果さんも指摘しています。
が、しかし、この流れはもう変えられないんじゃないのかな。
世界中の人が本気で危機感を持たない限り、こうした全体主義は静かに進んでいきます。
残念ながら、個人情報はダダ漏れの時代。
で、行く末は、世界中の個人が完全にデジタル監視される、そんな時代が来るかなと?とも。
しかし、人類が気づけば回避できますね。
が、できるのかな~って気になります。
こういうのは、キリスト教を勉強すると、予想できるようになります。
ええ。
キリスト教を勉強して驚いたことはたくさんあったものです。
その一つが「世界は全体主義に向かっている」という事実。
いえ正確にいえば、全体主義と個々人の自由が拮抗しながら歴史は作られているということですね。
で、より大きな舞台、大きな枠において全体主義が進む。
で、それに反対して個々の自由が言われる。
で、個々の自由が、後追いしながら実現していく。
こんな掛け合い漫才みたいなことが2000年続いています。
あと、グローバリズムや国際金融資本を生み出したのもキリスト教が関わっています。
これって、実のところ反ユダヤ主義が関係しているんですよね。
で、反ユダヤ主義こそ、キリスト教にルーツがあるわけです。
2世紀に遡るんですよ。今から1700年前。
1700年間、反ユダヤ主義、迫害の思想が続いている。
これって地球人の根本的な欠陥を表しているかのようなんですね。
ま、問題が深いわけです。
怨みのような感情が1700年も続いています。
キリスト教では。
これでは高次の宇宙的存在が、地球人に公式に接触するのをためらうのもわかります。
ちなみに反ユダヤ主義の記事が、まだ完成していないで、下書きのままになっています。
反ユダヤ主義(キリスト教によるユダヤ人迫害)を知れば、戦慄が走るようになるかもしれませんね。
少なくとも「キリスト教の漆黒の闇」がわかります。
てか、キリスト教のおかしさ、どうしようもないくらいに救いようがない宗教であることが如実に理解できるようになります。
が、これが世界的な宗教。
もうね、卒倒するくらい驚きますよ^^;
ホント、地球人(とはいっても西洋人ですが)がどういうものかがわかるようになります。
まるで標本であるかのよう。
昆虫採取セットで、珍種の生命体をとらえて、ながねるかのような感覚にすらなります。
で、この反ユダヤ主義の原因は「聖書」。
聖書に真の原因があります。
で、この聖書は、呪いの言葉や敵を憎む言葉も載っています。
ブラックな書なんですよ。
聖書の魔界ちっくな面は、さすがにブログに書けない(書きにくい)かなあって感じるところもあります。
でも、なんとかして聖書のブラックな面を知っていただきたいと思うところがあります。
おそらくーーーーほとんどの人が、聖書のブラックさを知らないと思います。
元祖カルト。元祖霊感商法なわけなんです。
しかし、こんなブラックな書を、「聖霊が作った書」「神が授けてくれた尊い書物」として、プロテスタントのクリスチャンは、「本気」で信じているんですね。
ええ。本気で信じているんですよ。
これって悲しいくらいの洗脳なんです。
で、これがわかると、統治者は「こいつらバ◎だよなー」って達観して見下してしまうわけですよ。
で、「ふーん、人間の洗脳なんて簡単なもんだな」って学習してしまうわけなんです。
これ、お読みになると、キリスト教の見方が変わるんじゃないかと思います。
もうねキリスト教を勉強すれば、人類の歴史の深いところがわかるようになります。
で、そのまんま未来も予見できるようになります。
簡単に言ってしまえば、世界は(統治者は)、「勝てば官軍」「権力を握った者勝ち」なわけなんです。
そこに善意とか良識とか博愛という考えはありません。
勝てば官軍。
これがすべて。
ただし、「勝てば官軍」でやりたい放題にすれば、権力の座に長くいられなくなります。
そこで妥協案として、下々に自由やら平等のご馳走を与えて、美徳が広まっているかのように演出するわけです。
で、これこそがキリスト教の歴史でもあるわけなんですよ。
キリスト教って宗教じゃないんですね。
何度もいいますが。
人間の精神の粋(すい)といいますか、理想や高次意識を扱うのが宗教。
だからキリスト教もそうなんだ、と思うと、ザッツ勘違い。
これが真実なんですね。
もっとも末端の信者さんや、キリスト教に関連する文化・芸術・文学はいいんですよね。
バッハの音楽なんか最高。
もう最高^^
川で例えれば、支流や川岸の方が清らかな水であるってこと。
あと実際の歴史では、グノーシス主義が人間の美徳や高次の意識を説いてきたんですね。
グノーシス主義は、仏教やヨーガに似ています。
しかしキリスト教にしてみれば、グノーシス主義など面倒な連中に映るわけです。
で、叩きつぶしてきた。
異端認定して、蹴飛ばして、世の中から葬りさってきた。
これがキリスト教。
人間の美徳?なんだそれ?オレ達の教えが主流になれば、それでいいのさ。ふん。
これがキリスト教の本心、本音。
高次の美徳とか意識とかに興味が無い。
イエス様に救われる、ただそれのみ。
これ本当なんですよ。
実際、プロテスタントでは、5つの「ソラ」といって、イエスのみ、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、神の栄光のみといった塩梅で、徹底した「依存」をうたっています。
阿弥陀信仰のように、依存の先に新しい自我が開眼するという志向はありません。
少なくとも文字化されていない。
てか、キリスト教では、高次の意識とか霊性に開眼することを否定しています。
だから徹底した「依存」になるわけです。
これがキリスト教。
口あんぐりとなるんですね。
で、これが世界宗教。
だからこそキリスト教を学ぶ必要があると思うんですね。
キリスト教は、人類の業、人類の愚かさ、酷さの博物館です。
キリスト教を知れば、学べば、これでもかと言うほど人間の愚かさ、汚らしさを学び知ることができます。
で、歴史の深い部分を知ることができる。
地球人(西洋人)を知ることができる。
悲しい気持ちになるかもしれませんが、地球人の等身大の姿を知ることができるのがキリスト教です。
なので、キリスト教を全人類が学んだほうが良いと、今では思っています。
ショックを受けるんじゃないかと思いますけどね。
私などは、キリスト教に淡い期待といいますか、美しさを漠然と感じていましたので、その反動がデカくて、ショックが今も尾を引いています。
さすがに面くらいます。
こちらの記事(総集篇的な記事)でも書いた通りです。
キリスト教を学べば、パラダイムシフトが起きます。
世の中への見方は変わります。
私も超絶インパクトを受けて、今も尾を引いています。
それくらの衝撃が走ります。
それ故に、5月から3ケ月にわたって、取り憑かれたように勉強し、ブログにも記事を書き続けたんじゃないかと思うんですね。
キリスト教を知ることは、人類を知ること。地球人を知ること。
宇宙人達は「地球はサラス(悲しみの惑星)」と言っているといいます。
その理由が非常によくわかります。
ものすごくよくわかります。
しかし「悲しみの惑星」というのは、綺麗な言い方なんですね。
本当は「ネガテゥイブな惑星」が真意ですね。
いや、もっとほかに言葉がありますが、書くのも気が乗りませんので、それは書きません。
と、今日もまた結局、キリスト教の話しになってしまいましたが^^;、そんなキリスト教。
こちらの記事が集大成になっています。
訳2万文字の力作です。
こちらの記事をお読みいただくだけでも、キリスト教がどういう宗教なのかのあらましがわかります。
記事公開してから何度も推敲も重ねました、
超絶長文になりますが、きっとお役に立つと思います。
「見出し」を読むだけでもキリスト教のポイントがわかるようになっています。
キリスト教を知るダイジェスト版の決定版だと自負しています。
それにしても今宵は妙な記事になってしまいましたね^^;
あいやー。
大概、夜中に書くと、変な文章になることが多いんですよね^^ゞ
明日、起きてあいやーとビックリするかも^^;
でも、今日から通常営業です。
今まで通りのいろんな記事を投稿していきマッスル。