柔和でやさしくも朗らかな「慧観(けいかん)」の雰囲気が大切

慧観~慈悲やハートの徳性に根ざしたやわらかくも朗らかな明るい雰囲気

瞑想や気功など身体意識を開発する世界やボディワークの世界では、雰囲気や空気が実は大切だったりします。すっごく大切。ええ、ものすごく大事なんです。

気功の世界では、これを「慧観(けいかん)」といっています。慧観(けいかん)。「慧観」とは楽観的でほがらかで、落ち着いたやさしい雰囲気をいいます。

やさしく、やわらかい感じですね。一言でいえば「慈悲」「ハート」です。慈悲やハートの徳性に根ざした空気を「慧観(けいかん)」というんですね。

この「慧観(けいかん)」の大切さについては、気功の中でも秀逸な禅密気功の朱剛氏が強調されています。
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過緊張で厳しい世界では身体意識は開発されないし伸びなくなる

実は身体意識は「慧観」のように朗らかな空気でないと上手く育たない所があります。ですので「ゆる体操」でも、お気楽な気分で微笑むような感じでやっていくんですね。

「慧観」は何も気功やゆる体操だけに限ったことではありません。全てに言えます。

もうガチガチで緊張して、目が血走っているようなそんな空気。時に鉄拳が飛んでくるような不条理な世界。こうした空気に常にいると、人間は劣化していきます。

まあ、こういうのは禅宗の中にもありますし、生徒をビビらせて教育するスパルタ式の先生もそうですね^^;

あるいは、妄想が多く、なんか「モワー」っとした空気や、ハイになって興奮気味だったり、まくし立てるようにおしゃべりが酷かったり、自慢話が多いようなイライラした空気感もよくなかったりします。

こういうのは新興宗教やスピ系に見られることがあり、言ってはなんですが、こういう世界にいると教えで救われた気分になる「頭デッカチ」になると同時に、人間そのものが劣化し、家畜みたくなっていきます。

天人の雰囲気や空気は大切

神さまではありませんが、天人の雰囲気といいますか、空気はすごく大切です。身体意識のトレーニングをする場合、こういう朗らかな雰囲気や空気がとても大切になってきます。

が、これとは反対の雰囲気や空気はマズいんですね。たとえば、しかめっ面にして苦行僧のように励んでいる世界。ハイになって興奮しているような世界。どんよりとよどんでいる世界。濁った感じの世界。

こういった雰囲気や空気のある世界には近寄らないほうがいいんです。たとえどんなに立派なことを言っていてもです。能力的に優れていてもです。できれば近づかない。深入りしない。

あたたかく、やさしい、柔らかい、静謐で、おだやかな空気感が大切なんですね。

こうした世界にいるだけで気分はよくなります。ほがらかになります。運もよくなってきます。で、元来の縄文型日本人は、身体意識に優れているんですね。

経済合理性を追求する世界に居つづけると人間性と霊性を破壊する

しかし、資本主義、もっといいますと新自由主義や新古典派主義といったグローバル経済や、功利を追求するお金儲けに邁進する過激な拝金主義のような世界は、殺伐とした空気になっていますからね。

もう「利益、利益」とか。「お金、お金」といってお金が全てであるとか。激しくもお金を追求する人は守銭奴です。

あるいは「コスト削減、コスト削減」とか。また「きまり、きまり」の連続とか。もう血眼になって、従業員はロボットのようになって機械の歯車のように没してしまう企業も多いものです。

で、大企業になればなるほど従業員への拘束が厳しくなります。もちろん業種や企業によっては違います。しかしトヨタにせよ、大企業には「きまり」という名の封建的な束縛システムがあります。

お金、コスト、利益、ムダの排除といった経済合理性を追求する世界ばかりにいたり、こうした環境にずっとい続けると、人間は劣化するようにもなります。金銭的にはある程度得られるかもしれませんが人間性を破壊します。いえ霊性を破壊するんですね。

で、その行き先が過労死であったり、うつ病です。グローバル企業のYという大手アパレル企業では、社員の42%がうつ病といいますしね。

果たしてこれでいいのでしょうかね。価値観はそれぞれと思いますけどね。

しかし、明らかに言えることは確実に「慧観(けいかん)」を破壊しています。明朗や慈悲といった優れた徳は育たなくなります。

日本人は元来「慧観」的な民族だった

日本の縄文時代は、世界に希に見る平和な文明だったことが明らかになっています。

昔の学校教育で教わった歴史の教科書にあるような、野蛮でウッホウッホといっていたような劣性な民族や文化ではなかったといいますね。1万年くらい前に、すでに水田耕作をやっていた遺跡も発見されているとか。

そんな平和な文明を1万年以上も続けてきた日本人。今こそ、日本人的な気質をよみがえらせて、世界にメッセージを送るときなんじゃないのかな、なんて思ったりもします。

元来の縄文型日本人には、天然の「慧観(けいかん)」が宿っていたんですね。ほのぼの、お気楽、ユーモアがあって、やわらかい感性だった。

それを宗教の言葉でいえば「慈悲」とかになるのでしょうが、元より日本人はハートの民族でもあるんですね。このことは覚者フーマンも述べているほどです。

武士道は慈悲を欠如した危険な姿勢であり雰囲気

瞑想や気功といった文脈だけでなく「慧観(けいかん)」は大切です。ホント、大切。人の能力を開発し伸ばすのは、まさに「慧観(けいかん)」な空気や雰囲気です。

この「慧観(けいかん)」と正反対なのが、昔の日本の「武士道」。

武士道は野蛮な精神であり感性です。切った張ったの殺伐とした世界。昔ながらの武士道には、過緊張な意識が底流にあります。日本の仏教にも、こうした殺伐とした空気と意識があります。

要は「慈悲」がないんです。やらわらかさが無い。やわらかさを女々しいとか子どもっぽいといって大誤解しています。

暴力性を潜在的に宿しながら、表面的には力強さをうたう、そんな錯誤した昔の日本の感性。

こうした力を前提にした、誤った感性は一掃し排除する必要がありますね。なんらいいことが無いからです。

仮に、こうした武士道的な空気で、何らかの体験をしたり境地を得ても、それはネガティブな道になるだけです。このことはフーマンが述べています。間違った歩み、道なんですね。

「慧観」な空気から慈悲、宇宙意識、ワンネス、気づき、智慧が生まれる

フーマンの姿勢とは、まさに「慧観」。

ハート。
やわらかさ。
思いやり。
利他。
大乗仏教で強調された精神。

「慧観」といった楽観的でほがらかで、落ち着いたやさしい雰囲気が、特有のやわらかさをともなった集中状態を生みだし、これが日常的になってきます。

つまり「宇宙意識」です。
軽いサマーディ。
ワンネス。
気づき。
智慧。

こうした意識が日常的になることがおすすめだったりします。で、「慧観」な空気や雰囲気から、こうした徳性が育まれやすかったりするんですね。

令和の時代には「慧観」が主流になっていくんじゃないかと思います。また、そうあったほうが人類にとってもプラスになりますし発展的になります。

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