「善悪の判断をしない」の本当の意味

「善悪の判断をしない」ということが禅やスピリチュアルではいわれています。
禅の世界でもそうですが、「悟りのアプローチ」においては、余計な思考や判断を捨て去ることをすすめています。

「善悪」のジャッジメント。
物事に白黒を付けて判断することですね。
これも戒めています。

こうした「善悪の判断停止」は、スピリチュアルの世界でもよく言われています。

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「善悪を判断をしない」を文字通りに理解するのは間違い

「善悪を判断をしない」といっても、文字通り、
「善悪を判断しない」
「ジャッジしない」
という意味ではありません。

あるいは、
「善悪を無視して、何でも行ってもOK」
「善悪を何でも受け入れる」
という意味でもありません。

時々ここを誤解する人が出てきます。
指導者からして、思いっきり誤解しているケースもあります。

思考や感情と一体化しないことが「善悪を判断をしない」の本義

結局「善悪を判断をしない」というのは一つの表現です。本質は、思考や感情と一体化しない、振り回されないということですね。

思考や感情に巻き込まれて、我を忘れてしまうことがあってはならないという意味です。

善悪を判断することで、これが起きてしまうことへの戒めですね。

それが「善悪を判断をしない」という意味です。

純粋意識・大いなる存在にゆだねる

しかしながら、これを実現するためには、文字通り、判断しない、一体化しない、振り回されないとやりますと、見当違いなやり方になります。

こういうのは、マインドを使ったやり方です。
で、間違いです。

そうではなく「大いなる存在」「意識そのもの」に開かれ、それにゆだねることによって実現できるようになります。

真我に開けるといった受け身の姿勢です。

これを深めることで「善悪を判断をしない」が実現できるようになりますね。

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