藤平光一「中村天風と植芝盛平 氣の確立」がおもしろい
藤平光一氏の「中村天風と植芝盛平 氣の確立」がおもしろいんですね。
この本は、23年前の1998年に出版されています。
著者は藤平光一氏。
王貞治やスポーツ選手に、気を使った指導をした人で、昭和の時代には知る人ぞ知る人でした。
藤平光一氏は、3人の師匠に就いていたことを、本書で明らかにしています。3人の師匠とは、
- 小倉鉄樹・・・禊(みそぎ)の呼吸法。一九会主催者
- 植芝盛平・・・合気道の始祖。
- 中村天風・・・自己啓発。天風会。
この3人です。
実像が描かれている良書
中でも、植芝盛平と中村天風の実像が描かれていて、これが実におもしろい。虚像と実像がわかります。
以下、要点を抜粋。
武田惣角
- 弟子に佐川幸義
- 武田惣角は、植芝盛平の道場生に投げ飛ばされた。
- 武田惣角は、実際はそれほど強くなかった。
- 武田惣角は強いというのは伝説。
- 自分達の流派が優れていることを誇示するために、弟子達が始祖を持ち上げて、伝説化する。
植芝盛平
- 植芝盛平は、昔は弱かった
- 大本教へ行ってから強くなった(合気が使えるようになる)
- 黄金体験をする。自分の体も、見る物も黄金に輝いて、紫雲が自分の中に入ってきた。
- 植芝は、これを神のなせる技としていた。
- 実際は、クンダリーニ体験。
- 藤平には、クンダリーニ体験であることもわからなかった。植芝自身もわからなかった。
- 植芝が使う言葉は、意味不明なものが多かった。たとえば「合気の真髄は、愛と光が化合したもの」。藤平は、プラス思考と解釈した。しかしこの意味は、本当に愛と光のこと。
- 植芝は茶目っ気が多い
- 藤平の悪口を陰で言っていた。
- リラックスすることの大切さを説かなかった。植芝自身、何故、合気が使えるようになったのかわからなかった。
- 植芝は、祝詞を毎日あげていた。大本教を信奉していた。大本教の教えや言葉をよく使った。
- 植芝は、自分の権威を守るところがあった。弟子には超えさせない。
中村天風
- 中村は、裏表のない人だった。
- 中村は、褒めるところはちゃんと褒める人だった。
- 藤平は「クンバカのやり方は力を込めるため効果が無い」と指摘したところ、中村天風は、自分のやり方が間違いであることを認めた。
- 亡くなるときの遺言に「今まで教えたことはすべて忘れろ」だった。つまり自分のやり方に欠陥があることを、藤平の指摘で気がついていた。
- しかし弟子達は、中村天風門下の立場を守るため、中村天風の遺言を無視したとか。
まとめ
ざっと、このような内容です。
本書には、武田惣角、植芝盛平、中村天風といった人達の実像が描かれています。
藤平光一さんの本書を読みますと、いかに伝説(虚像)が作られていくかがわかります。
その界隈で「権威者」といわれる人は、おそらくおおむね同じじゃないかと思います。
非常に興味深い内容となっています。