執着すると苦しみ・不幸になる
「執着すると苦しむようになって不幸になる」。このことは、あらゆることに言えます。
いかなる信条・信念・価値観・観念・教えであっても、それを固持したり、しがみつけば、苦しみを生み出すようになります。
苦しい。
つらい。
居たたまれない。
馴染まない。
嫌だ。
イライラする。
落ち着かない。
不安だ。
こうした感情を引き起こす場合、何らかの「信条」「信念」「価値観」「観念」を持っていて、強く握りしめていることが多かったりします。
敬虔な宗教の信者や、何らかのイデオロギーを信奉していたり、政治信条を持っている方は、案外その信条を強く持っていたりします。
けれども、その「信条」なりと、現実に起きている出来事とを比較すると、「現実は私の信条と合致していない。嫌だ、認められない、苦しい!」となってしまいがちです!
おわかりでしょうか?何かを握りしめれば、現実に対して柔軟に対応できなくなるんです。苦しみ、悩み、ストレスを生み出すようになります。
現代人にはこれが多い。何かを強く「信じる」ということは苦しみの原因になりがちなんです。
評価・判断・見解もとらわれると苦しみ不幸になる
これはあらゆることに言えます。たとえ素晴らしい教えや信条、信念であっても、価値観であっても、それにしがみつけば必ず苦しむようになります。
聖なる教え、正しいとされている信条のほか、あらゆることが該当します。
「◎◎さんは、ぶっきらぼうだ」
「△△さんは、我が強い」
「□□さんは、さわがしい」
「女房は、だらしないヤツだ」
「夫は、私をかまってくれないつまらない人だ」
こうした「評価」「判断」「見解」もそうです。こうした評価なりをすること自体、悪くありません。
ただ、問題なのは、こうした「評価」「判断」「見解」なりを、握りしめてしまうことなんです。固定した見解を持ってしまうと、途端に現実への対応力が弱くなり、苦しみを引き起こすようになります。
だから、これらに気づくこと。を観察すること。常にチェックし続けていくこと。そして「いまここ」を行い続けること。これが大切です。
自分が執着しているものに気づいて手放すことが大切
およそ「苦しい、つらい、居たたまれない、馴染めない、嫌だ」などの硬く緊張した拒絶の感覚の裏側には、何らかの信条、信念、価値観、観念を抱き、握りしめていることが多かったりします!
自分が何を握りしめているのか。これに気づくことは、極めて大切なことですね。
そもそも握りしめていることにすら、気づいていないことが多いものです。苦しみは自分が何かを握りしめている「サイン」だったりします。
あるがままが大切
宗教やスピリチュアルの教えは有益です。しかしそれを強く握りしめると、かえって苦しみの原因になります。
だから「あるがまま」なわけなんですね。
手放す。
握っているものを手放す。
そうすると、存在の背後にある不滅の意識に開けて、感じらるようになってきます。
そこには、やすらぎ感、あたたかさ、至福、エネルギーがあります。これこそが「本当の自分」。
で、こうなることで、
・真我・宇宙意識から生じる「善のエネルギー」
・宇宙性の不滅の存在、宇宙意識、大いなる存在から生じる善性、表現
・本来の「善」
・時代に影響を受けない普遍的な善性
・悟りに関係する善
というのが本当の意味で実現されてきますね。