サイコパスを簡単に見抜くサインは無慈悲

サイコパスを簡単に見抜くサインは無慈悲

映画で描かれるサイコパスは、わかりやすいですね。ただし映画では極端なケースになっています。⇒サイコパスの10の特徴とサイコパスになる理由

学術的な表現や映画による描写もいいのですが、しかしながら「サイコパス」を、もっとわかりやすく簡単にいってしまいますと、暴力団、暴走族、ヤンキー、チーマーのようなタイプになります。

具体的にいいますと、

  • 陰湿なイジメをする、人を責めて攻撃することに快感をおぼえる
  • 他人への思いやりや共感性が無く、人の痛みがわからない
  • 反社会的なこと、他人の迷惑になることを好み、楽しむ、
  • 刺激や快感を重視し、人に対してはモノ感覚なところがある

こうした気質を持った人になります。

もっと簡単にいいますと

ハート、慈悲、思いやり、親切心が無い(わからない)

という気質が核にあって、反社会的なことを好む人をいいます。一言でいいますと「無慈悲」です。

「無慈悲」が大なり小なりの「サイコパス」傾向を示すフラグです。だから、冷たい人で、悪びれることもなく反社会的なことをする人は、「サイコパス傾向がある」と言えるんですね。

サイコパスは、残念なことに企業経営者に時折みられるといいます。あるいは冷徹で、執拗に部下をいじめぬく上司や同僚にもいます。

「サイコパス傾向を持った人」は、意外と身近にもいます。知らずに被害を被っている人も実は多かったりします。

ハート・慈悲が何故大切なのか?

「ハート、慈悲、思いやりが無い(わからない)」というのは、基本的に相手への共感共鳴ができません。この上に「反社会性」が加わりますと、「サイコパス」になります。

しかし、核にあるのは「ハート、慈悲、思いやりが無い(わからない)」という傾向なんですね。

で、逆にいいますと、何故、「ハート、慈悲、思いやり」が大切なのか、ということなんですね。

「ハート、慈悲、思いやり」がありませんと、

  • サイコパスのように反社会的なことを好んで行うようになる
  • 他人に迷惑をかけても一向に気にしない
  • 他人に共感共鳴できないところから生じる尊大な自信やブレない信念
  • 礼節がウザったく感じられ、無礼なことをする(それを自然体であると思い込む)
  • 目上の人に対しても尊大な態度になる

こうした行動も出てくるようになります。

仏教の煩悩で言いますと

  • 無慈悲・・・慈悲が無い、欠けている
  • ・・・生命を傷つけいじめたくなる心
  • 無慚・・・恥ずかしい、マズいという心が無い
  • 無愧・・・悪いことをしても怖いと感じない、ヤバいと思わない

といった煩悩が盛んな人になります。

こうしたことを簡単にいってしまいますと、サイコパス(反社会性パーソナリティ障害)は無慈悲・強欲さという素地があるところに、間違った信条を抱いたり、不適切な成功法則や瞑想を行ったりすると、なりやすいというのがあります。

面倒で厄介な人間です。本人は自信にあふれて自己満足して気持ちがいいのでしょうが、関わる人や相手になる人、周囲は大変です。甚大な迷惑を被り、被害すらも受けます。

「ハート、慈悲、思いやり」が何故、大切なのか。おわかりいただけるのではないかと思います。

お釈迦さま諭した「無慈悲」「無慚・無愧」の危険性とサイコパス

結局、
・「ハート・慈悲」に欠ける(無慈悲)
・悪徳背徳を恐れる心と反省心に欠ける反社会性(無慚・無愧)

といった状態になりますと、人は誰でも人格障害(パーソナリティ障害)になるってことだったりします。

サイコパスは、「慈悲」が無い上に、「慚愧」という反省心を欠いた状態も加わった人格障害の筆頭になります。

しかし歴史の中の英雄には、サイコパスもいます。織田信長はその典型でしょう。

こうした心の有様は仏教的見地から見ても、首肯できないものです。英雄といわれる人々は、スピリチュアル的にみれば、不幸であり、真似てはならない人間になります。

「動機」が大切

世の中には、本来、尊敬してはならない、目指してはならない人間を、尊敬し礼賛する風潮もあります。戦国武将などそうでしょう。

人は、成し遂げた事の大きさや規模から、尊敬の念も抱きやすいものです。しかしこういう認識を持つこと自体が、不幸の始まりとお釈迦さまは見通します。

形となって目に見える業績・実績・成功も大切ですが、これ以上に大切なのが、その「動機」です。心根。

どういう心で、どういう動機で、どういうモチベーションで行ったのか。これが大切。

ここがポイント。
で、これを見抜く。
感じる。

そのために「自己観察」
これが必要です。

結局、サイコパスにならないためには、自分の心(特に本心、本音、動機)の観察をし続けていくことですね。

自己観察あるいは内観。
これは悟りのアプローチでもあります。が、心を健全に保つ方法でもありますね。

ぜひお試しください。

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