サイコパスの10の特徴
「サイコパス」という言葉は、今では一般的になっていますね。
ちなみに「サイコパス」とは「反社会性パーソナリティー障害」のことをいいますね。
「サイコパス」というと、ちょっと曖昧になってしまいますので、「反社会性」といったほうが適切かと思います。
「サイコパス(反社会性人格障害)」がどういうものかは、いろいろといわれています。こちらのサイトはわかりやすくまとめています。
⇒サイコパス(精神病質者)の10の特徴と診断基準
◆サイコパスの10の特徴
・表面上は口達者
・利己的・自己中心的
・自慢話をする
・自分の非を認めない
・結果至上主義
・平然と嘘をつく
・共感ができない
・他人を操ろうとする
・良心の欠如
・刺激を求める
◆サイコパス(精神病質者)の3分類
・A群|奇妙で風変わりに見える人
・B群|感情的で不安・演技をしているように見える
・C群|不安定で怯えているように見える
こうした分析は時々みかけますし、学術的には、このような分析と分類になるんじゃないかと思います。
映画になっているサイコパス
こうした「学術的」な分析による「サイコパス(反社会性人格障害)」は、人によってはちょっとわかりにくい場合もあるかもしれません。
その点、映画などで見ると、もっと感覚的に「サイコパス」がわかるかもしれませんね。
サイコパスは昔から映画の題材にもなっています。少し前にやっていた「悪の教典」もそうです。
あるいは、白石和彌氏のノンフィクション作品、「凶悪-ある死刑囚の告発-」を映画にした「凶悪」もそうですね。
ちなみにこの映画、キャスティングがピッタリなんですね。山田孝之、ピエール瀧、リリー・フランキーという面々。全員、そっちの素養のある人達です^^;
この映画は出演者が見事です。
他には「冷たい熱帯魚」があります。これ、監督が「園子温」ですのでね。屈折した心理やサイコパス系は園子温は得意としています。
サイコパスを扱った映画は、こういうのがあります。他にもあるかもしれませんが、こうした映画では、サイコパスを分かりやすく表現もしています。おおよそのアウトラインを知ることができるのではないかと思います。
ただ映画ですのでね。
デフォルメされて、オーバーに演出されているとは思います。
不適切な成功法則・瞑想・信条はサイコパスにしてしまうこともある
こうした「サイコパス」は、強欲さ無慈悲さが下地にあって、それが反社会的な言動となって表面化しています。
で、こうした下地を開花させてしまうものに
・不適切な「成功法則」の使い方、
・誤った「瞑想」の仕方、
・反社会的な「信条」
などがあります。
不適切な成功法則や成功哲学がサイコパスを生み出す
成功法則や成功哲学は使い方が適切ですと、性格を明朗にし、人生をハッピーにします。使い方が適切ですと、優れたメンタルテクニックになるんですね。
けれども過剰に行ったり、力を入れて緊張してバリバリに行ったり、分不相応な巨大な願望を持ったりしますと、途端に危険なテクニックになります。
人間性に歪みがでてきて、欲望が過大となって、サイコパスのように異常な人間にしてしまうことがあります。
こうしたことは、以前、こちらにも書きました。
瞑想のやり方を間違えるとサイコパスを生み出す
「瞑想」も、やり方が不適切になりますと、同じように人格を歪め、慈悲のかけらもない冷酷な人にしてしまいます。
あるいは万能感が出てきて尊大となり、人に迷惑をかける言動をしても平気となって、反社会的な行動に出るようになります。
反対に、枯れ木のように死んだような状態にしてしまうことも起き得ます。
瞑想のやり方を間違えると、とかく人間性に問題が出てきて、反社会的な行動を取るようになることは、古来より言われてもいます。室町時代に登場した一休宗純など、この典型です。
「魔境」に陥っているのですが、本人にはその自覚がありません。
むしろ「悟った」とか「智慧に優れている」思い込むようになり、これが無意識のうちに尊大な自信をもたらし、慈悲や慚愧を軽んじるようになって破天荒な行為を繰り返し破戒をしまくります。
誠に困った存在になります。
反社会的な信条・思想がサイコパスを生み出す
あと成功法則や瞑想のほかに「信条」があります。
反社会的な思想た信条に共感共鳴しますと、背徳で悪徳な生き方が「格好いい」「正しい」「悪くない」と信じるようになって、平気で反社会的な行動に出るようになります。
この手のことは、映画やドラマの影響を受けることも多かったりします。
昭和の時代には、この手の背徳、悪徳を「格好いい」「ヒーロー」と思わせる設定のドラマも多く、実は昭和世代は、サイコパス的な無意識を有している人が少なくありません。
サイコパスの素地のある人は、本当に反社会的な行動に出るようになります。
サイコパスの素地があると何かがきっかけで表面化する
成功法則や成功哲学、瞑想、信条もそうですが、そのやり方を間違えたり、不適切になると、性格に歪みが出てきます。
強欲となったり、無慈悲となったり、慚愧を欠いてしまって、厄介な人間になってしまうことがあります。
中には「サイコパス」や「サイコパス傾向」の性格に変貌してしまうこともあります。
元より「サイコパス傾向」がある人の場合、何かがきっかけで表面化することがあります。
そのトリガーとなるのが、間違った「成功法則」「成功哲学」や、誤った「瞑想」のやり方、あるいは反社会的な信条や思想、表現だったりします。
こうしたことがきっかけとなって「サイコパス」になってしまうこともあります。危ないですね。
強欲な人・無慈悲な人に近づかない
結局、
・「ハート・慈悲」に欠ける(無慈悲)
・悪徳背徳を恐れる心と反省心に欠ける反社会性(無慚・無愧)
といった状態になりますと、人は誰でも人格障害(パーソナリティ障害)になるってことだったりします。
ちなみにお釈迦さまは2500年前に、「政治家や有名人には近づくな(親しくするな)」と諭されています。
なぜなら「不幸になるから」といいます。
もっともすべての政治家や有名人がそうであるとは限りませんね。これは言うまでもありません。
政治家や有名人には強欲で慈悲を欠いた人が多いため、それで諫(いさ)められているわけですね。
で、結局、お釈迦さまがこう言われる理由の根底には、「強欲」や「無慈悲」が引き起こす様々な不幸やトラブルを喝破しているからですね。
こうした視点から鋭く指摘するお釈迦さまの言葉は至言です。
成功法則や成功哲学は健全性が大切
言うまでも無く、資本主義的な価値観にあんまり染まるのはよろしくありません。
「成功」「業績」「実績」といった「かたち」をとことん追求するのは、最終的に全員を不幸にしてしまうことも少なくありません。
こうした見た目の「成功」のみを礼賛する傾向が強くなりますと、成功法則や成功哲学を過剰に行っておかしくなっても問題を感じなくなります。
また誤った瞑想をして自我が肥大になって尊大な自信を得て、「無我だから」「空だから」「智慧があるか」といって無意識のうちに自己を正当化し、傍若無人な態度に出てもまったく省みることがなくなったりします。
あるいは反社会的な信条や思想に共鳴しやすくもなってしまいます。
そうして性格や考え、欲望が歪むようになって、人によっては「サイコパス」になってしまうことがあります。
もし、こうなったなら、最終的に人生は破綻してしまうでしょう。
できることなら「足(たる)を知る」ことが広まって欲しいですね。
「足(たる)を知る」。
ささいなことにも「ありがとう」と感謝する日々の向こうに、「足(たる)を知る」がありますね。そうして落ち着いた幸せが得られますね。
成功法則や成功哲学を過剰に信じることなく、この思想に含まれている誤った教えに注意をし、取り除き、本来の自助努力型の道徳的な生き方に戻すことで成功法則や成功哲学は健全性が得られるのでしょう。